文・編集:中村秀治・尾崎すずほ・ぼそっと池井多
<プロフィール>
中村秀治 長崎県佐々町在住のひきこもり当事者。佐世保フリースペース「ふきのとう」利用者。東日本大震災後、宮城県でボランティア活動をし、その体験を書いた「おーい中村くん ~ひきこもりのボランティア体験記~」を自費出版。
尾崎すずほ 東京出身の元ひきこもり。現在は複数の仕事を掛け持ちする働き方を実践中。ひきポス7号より執筆に参加。ひきこもりUX女子会アベニュー運営スタッフ。
ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
前回のおはなし
ひきこもりがボランティアをして感じたこと
尾崎すずほ 仕事を辞めて家にひきこもる生活を続けた後、ご著書にあるように東日本大震災の被災地へのボランティアに参加されますよね。
どういった経緯でボランティアに参加されたのですか?
中村秀治 震災後、テレビや新聞などで被災地でボランティア活動をされている人達がいることを知り、母に「ボランティア活動に行きたい」と伝えました。すると母の知り合いが、9月頃にボランティアをしに1週間ほど被災地である宮城県へ行くというので、その人についていく形で参加しました。
尾崎 家にひきこもっている状態から、知らない土地へボランティアに行くというのは、とても勇気がいることのように思うのですが、不安はありませんでしたか?
中村 不安はありましたけど、「母が信頼する人について行くなら大丈夫だろう」と気持ちが和らぎましたね。ひとりきりなら交通の面でつまずいてしまって、東北までたどり着けていなかったと思います。
ですので、同行した方やチケットの手配などサポートしてくれた方には本当に感謝しています。「しんどくなったらすぐに帰ればいい」という気楽な考えも心の余裕に繋がったのかもしれませんね。結局、約3ヶ月被災地にいましたけど。
尾崎 3ヶ月というと、随分長いように感じますね。ボランティア活動をされる中で体力や精神面での負担はありませんでしたか?
中村 震災ボランティアは、ノルマではなく、マイペースでできるので、プレッシャーもなく、思ってたよりも活動しやすかったと思います。人見知りなので訪問活動がしんどい時もありましたけど、ボランティア仲間からの励ましもあって、なんとかなりました。他のボランティアの方は、やはり仕事や家庭があるので、週末に来られることが多かったですね。滞在は長くても1、2週間くらいでしょうか。
尾崎 他のボランティア仲間の方には、中村さんの状況、つまりはひきこもっていることはお話しになられたのでしょうか? 自己紹介のときに
「ふだんは何をされている方ですか?」
という質問が苦手だ、とよく当事者の間では言いますけど。
中村「ひきこもり」だと知られると批判される時があるので、自己紹介の類いは苦手でしたね。仙台のボランティアセンターでは、人の入れ替わりが激しかったので、知られる機会もなかったですけど、後々に自分からひきこもりだと話しました。
でもボランティア仲間は、ひきこもりを批判するわけでもなく、受け入れてくれたので良かったです。
尾崎 それは良かったですね。批判されることなく、受け入れてもらえるだけで心が楽になりますよね。
ぼそっと池井多 私も、たまたま東日本大震災のあとは宮城県にボランティアで入っていたので、中村さんのご著書に出てくる宮城県の地名にはなじみが深いのです。私も、「ふだん仕事は何もしていない」「精神科に通っている」という身分を隠すのに苦労しました。
「会いに来てくれただけでうれしい」
ぼそっと池井多 私の場合、現地へ入って、たとえば「クルマがないとどこへも行けない」というような、東京とは違うところばかりに意識が行ったのですが、中村さんの場合は、宮城県に入ったときに、ある意味、お住いの佐々町や佐世保周辺と同じような「地方性」や「田舎性」を感じたことがありますか。
中村秀治 仙台市は、中心地を離れれば佐世保や佐々町と変わらないのどかな風景が多かったですね。ボランティア活動を行った仙台市は農家が多いですし、その隣の塩釜市は漁業が盛んだったりします。
ただ塩釜市は、佐世保と同じく坂の町で島も多く有人島もあるので、ぼそっとさんが仰るように交通の不便さはありましたね。車がないと不便なのは「地方性」なのかな、と思いました。
尾崎すずほ 中村さんもぼそっとさんも、ボランティアで宮城に行かれたんですね。実は私の親戚が宮城に住んでいて被災したんです。中村さんのご著書の中で出てくる石巻市の日和山公園は、まさに親戚が津波から逃げて向かった場所でした。
私自身は、東日本大震災の際はひきこもっていて。余震の不安など精神的ストレスが大きく、ボランティアに行きたい気持ちはあったのですが、行くことができなくて。こうして、ボランティアとして行かれた方のお話を聞けるのは、とても貴重だなと思いました。特に、中村さんが訪問活動の際に家に伺ったおばあさんとの交流は印象的なエピソードですよね。
中村 被災してから
「自分には会いに行く人も会いに来てくれる人もいない」
という仮設住宅でひとりで暮らすおばあさんですね。そのおばあさんが僕に
「会いに来てくれて嬉しい」
と涙ながらに言ったんです。
何の価値もない、何の役にも立たないと思っていたひきこもりの僕が「会う」という行為をしただけで被災者は喜んでくれたんです。ひきこもりである自分の存在を、心から受け入れてくれたような気持ちになりました。
そして僕と同じようにひきこもり、復興に向けて頑張れない方、自分だけが生き残ってしまったと罪悪感を持つ方、何もする意欲が湧かないという方など、仮設住宅には悩みを抱えて孤独に暮らす被災者が多くいました。皆さん被災してなければ、ひきこもることはなかったと思います。
そう考えると「ひきこもり」は、「ひきこもり」だけの問題じゃないとわかったんです。誰しも生きていれば人間関係に悩んだり、病気や被災してつらくなることだってある。つらくなれば動けなくなって学校や職場から遠ざかり、ひきこもってしまう。みんなが「ひきこもり」になる可能性はあるんですよね。震災にしても、ひきこもりにしても「私は大丈夫」は必ずしも当てはまらない。
被災地には「がんばろう東北」というスローガンがあふれました。家族や家などの財産を失った被災者の中には、その言葉に励まされる人もいれば、傷ついてしまう人もいる。
「被災者は頑張らないといけない」
という常識が一人歩きして、頑張れない人は社会に取り残されたようにつらい日々を過ごされていました。その被災者の姿は、学校にも行けず働けずに、親や社会に対して罪悪感を持って家にこもる自分と重なりました。
その後、拙著「おーい中村くん」を読んだ方から感想を聞いたり、ご自身の境遇などを書いたお手紙が届くことがあります。みんな住所も年齢もバラバラなんですが、共通して人生のなかでつらくて動けなかった時期があったというんです。ひきこもりというのは年齢・世代や性別、土地に関係なくありえる普遍的なものだと知りました。それは被災地での体験がなければ一生わからなかったことですね。
尾崎 中村さんのこのお話には、私も深く共感します。私自身も、東日本大震災のボランティアや取材に行かれた方とお話ししたことがあるのですが、やはり家から出ることができない方が今でもいらっしゃると話していました。
また、以前に視覚障害の方のお話を伺った際にも、ひきこもり状態の人が多くいると聞いたんです。
「ひきこもり」は「ひきこもり」だけの問題ではないというのは、本当にそうですよね。
どうしても、前を向かなければいけない、進まなければいけない、という風潮が世間的には強いですけど、悲しい時に悲しむ時間や、つらい時につらいと感じる時間、立ち止まる時があってもいい、そんな風に私は思いますね。
・・・「中村秀治さん 第3回」へつづく
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