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東京オリンピック「中止でも困らない」に多くのひきこもりの共感

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写真・Pixabay

文・ぼそっと池井多

安倍首相は「完全な形」と語り、麻生財務相は「呪われた五輪」と言った。

新型コロナウィルスの世界的大流行で、4か月後に予定される東京オリンピックを予定通り開催すべきか否かに、今週はにわかに国際的な議論が高まっている。 

そこで私は、「ひきこもりはこの件をどう思っているか」を知りたいと思い、GHO(世界ひきこもり機構)(*1)を通じて、アンケートを実施したところ、3月16日から17日にかけて、ほぼ1日半の間に次のような投票結果を得た。

*1. GHO (Global Hikikomori Organization)

https://www.facebook.com/groups/Global.Hikikomori.Organization/

 

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東京オリンピックが中止になっても「まったく困らない」とする人が69.1%、「べつに困らない」が26.2%で、コロナ騒ぎでオリンピックが中止になっても困らない人が全体のじつに95%以上を占めた。

なかには、

困らないどころか、中止の方がいい

という追加コメントを入れてくれる投票者もあった。

 

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反対に、「はい、困ります」と答えた人は全体の4.76%に留まり、20人に1人もいないことがわかった。

投票者であるGHOのメンバーは、世界各国のひきこもり当事者が主であるため、結果的にひきこもり人口層の意見の集約になっていることが期待される。

そのため、経済優先になりがちな、ひきこもりでない人々とは、ある意味、対極的な方向に意見が表出しているであろう。

 

コロナ以前からあった「オリンピックの憂鬱」

かくいう私自身も、ひきこもり当事者として、コロナ騒ぎが持ち上がるよりはるか以前から、

「ああ、今年の夏はオリンピックか。憂鬱だ」

と頭を抱えていた者である。

 

心理学の世界では、「先取り不安」などという語が使われることが多いが、これはいうなれば「先取り憂鬱」である。

オリンピックが開催されれば、世界中から日本へ、とくに私が住む東京へ人がやってくる。どこへ行っても人ごみで、交通機関は混雑し、生活人口密度は高く、日常生活は不便になるだろう。

べつに自分のひきこもり部屋の中に入ってくるわけではなくても、大勢の人々が自分の街に押し寄せてくるというイメージだけで、なにやら気分が圧迫されてくるものである。

 

誤解のないように言っておくと、これは単なる排外主義とは一線を画する感覚だ。

さまざまな国から人々が集まってくるに際して、むやみに排除したり差別したりすべきでないとは、ひきこもりである私でも考えることである。だからこそ、異なった文化、異なった価値観の人々に対して、理解ある対応を取ることが求められるし、できるだけ取りたいと思う。

すると、それだけ頭を使うだろう。「脳力」が要求されるのだ。自分にはそれがない。その予感に対し、プレッシャーを感じて憂鬱になっているのである。

 

きらびやかで躍動的な日々への嫌悪

さらに、オリンピックの期間中、テレビをつければ毎日のように、きらびやかな原色のユニホームを着た選手たちが、画面いっぱいに躍動していることだろう。

このことも、地味なボロ着を身にまとい、部屋のなかで不活発になっているひきこもりにとっては、なにやら自分だけ仲間はずれにされ、世界から置いていかれ、しまいにはコケにされているような気がしてくる原因となる。

それを「被害妄想」と名づけたところで解決はしない。社会の空気が変化する以上、そういった心理変化は厳然として在るのだ。

オリンピックの期間だけ、世界の標準が、外に出る、前向きな、華やかで、活動礼賛の、健康的な笑顔と汗へと中心を移す。それによって、相対的にひきこもりのみじめさが際立ち、暗く自覚されるのである。

 

他人ひとの運動を見て、何が楽しいか

「オリンピックが中止になったら、ここまでがんばってきた選手たちがかわいそうだ」

という開催論者がいるが、「かわいそう」なのも、「がんばっている」のも、選手だけではない。

私はそもそも「オリンピック選手」という他人がスポーツしているところを見ても、ちっとも面白くはないのである。

自分がスポーツするなら、まだしも少しはカロリーが燃焼して、筋肉も鍛えられ、昨日食べ過ぎたものが今日のぜい肉にならないことに役立ってくれる。しかし、いくら他人がスポーツして、世界新記録だの大会新記録だの出してくれたところで、ちっとも自分の運動にはならないのである。

 

他に考える問題は山ほどある

さらに加えて、私の住む日本では、福島の原発、被災地の復興、社会保障の減額などさまざまな問題があいかわらず山積しているのに、

「過去ばかり見ていないで、未来へ目を向けましょう」

といった耳触りのよい言葉におどらされて、ひたすらポジティブな世界にいざなわれているようで、オリンピックを観ること自体に、なんとも居心地の悪さを感じるのである。

そのような「先取り憂鬱」があったものだから、東京オリンピックが中止になっても、私はまったく困ることはない。

 

(了)

 

<筆者プロフィール>

ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
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twitter:  @vosot_just

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