文・編集:中村秀治・尾崎すずほ・ぼそっと池井多
<プロフィール>
中村秀治 長崎県佐々町在住のひきこもり当事者。佐世保フリースペース「ふきのとう」利用者。東日本大震災後、宮城県でボランティア活動をし、その体験を書いた「おーい中村くん ~ひきこもりのボランティア体験記~」を自費出版。
尾崎すずほ 東京出身の元ひきこもり。現在は複数の仕事を掛け持ちする働き方を実践中。ひきポス8号に記事を寄稿。ひきこもりUX女子会アベニュー運営スタッフ。
ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
前回のおはなし
ひきこもりにとって居場所とは
尾崎すずほ 中村さんは、東日本大震災のボランティアを終えた後、佐世保市内にあるフリースペース「ふきのとう」に行かれたんですね。どちらでこの居場所を知ったのですか?
中村秀治 仙台のボランティアセンターにいる時に、埼玉から来たボランティア仲間に、佐世保に「ふきのとう」があることを教えてもらったんです。
それがキッカケで長崎県へ帰ってから「ふきのとう」に行ってみました。そこで悩みを話したり相談をしたり、同じように悩んだりしている人や支援者に出会うことで、ひきこもりというものを前向きに考えられるようになっていきました。
ぼそっと池井多 「ふきのとう」は、中村さんの家からどのくらいかかりますか。
中村 僕が住んでいるのは佐世保市外の佐々町という地域で、佐世保のほぼ中心地にあるフリースペース「ふきのとう」まではバスで50分くらいかかります。
ぼそっと 中村さんにとって「ふきのとう」はどのような居場所でしょうか。
中村 ひきこもりの自分にとって「ふきのとう」は社会とつながれる場所でもあります。
尾崎 「社会とつながる」というと、たとえばどんなことでしょうか?
中村 たとえば、30才を過ぎた時に、先延ばしにしていた年金機構の委託企業から毎日のように督促の電話がかかってきました。就労もせず、年金のことにも疎い自分は、どうすればいいのか困り果ててしまいました。そこで「ふきのとう」の運営者である山北眞由美さんに相談すると、同じように悩んでいる当事者と家族を集めて専門家を招き、後日相談会を開いてくれました。そういったアドバイスをしてくださるのは、社会につながりが持ちにくいひきこもりにとって重要な場所だと思います。
尾崎 ひきこもりならではの、現実的な悩みってありますよね。周囲に相談ができずにご家族と一緒に抱え込んでしまったりすることもありますし。すぐに相談できる場所があるというのは、心強いですね。
写真・ぼそっと池井多
行き来できない地方のひきこもり
ぼそっと 中村さんは、定時制高校は佐世保まで通っていたのですか。
中村 そうですね。中心地ではないですけど佐世保でした。
佐世保市は中心地が際立って賑やかなので、少し外れた場所なら佐々町と雰囲気は変わらないと思います。佐々町もインフラが整備されて高速道路もできたので、佐世保のベッドタウンとしての役割もあると思います。
ぼそっと 佐世保という街は、この間たった二日だけお邪魔しましたが、独特の味わいがありましたね。県庁所在地ではないけれど、この地方の中核都市であり、町の人にも佐世保人としてのプライドがある。長崎と同じように港に迫ってて坂の多い街だけど、空間的には開けている。軍港があるので、町のお店にもアメリカ人の客が多く、そこがまた独特の雰囲気を醸し出していましたね。
地方は車がないと大変ですよね。佐世保近辺もそうですか。
中村 はい。長崎県は平地が乏しく山が多いので、町から町へ移動するには車がないと不便だと思います。長崎市に居場所を開設されている知り合いがいるんですけど、佐世保の「ふきのとう」の利用者とはなかなか交流できないですね。
ぼそっと 「同じ長崎県だから、いつも一緒に活動しているのかな」なんて東京の人はつい思っちゃうんですけど、東京近辺でいうと、埼玉と神奈川のひきこもりよりも会う時は少ないでしょうね。
尾崎 へえ、そうなんですね。
中村 自治体によって教育からゴミの分別まで違うので、ひきこもりや不登校への対応も佐々町と佐世保市とでは違いがあるのではないかと思います。
ぼそっと しかも長崎県は、やたら島が多い。
中村 そうなんです。だから、五島列島や壱岐・対馬などは、長崎本土とは学校の雰囲気も違うんじゃないでしょうか。そのように複雑な部分もあって、長崎本土と島内のひきこもり当事者、家族同士の交流や行政との連携が難しかったり、互いに情報が伝わりづらいのではと思います。
居場所の心地よさとは
ぼそっと 中村さんにとってご自宅にいることは、心地よいものですか。
中村 今は自宅は心地よいですね。読書やイラストを描いたり、自由な時間に自由な活動ができるので。
以前は、家にいると自責の念に駆られてつらかったのですが、居場所に関わる人達と出会ったり、ひきこもりに関する講演会やイベントなどを通して多くの人達のお話を聞いたり相談してから考え方が変わりました。
ぼそっと その自宅における心地よさは居場所にいる時のそれとは、どのようにちがいますか。
中村 居場所は開所時間も決まってますし、他人もいますので、自分一人の空間ではないですよね。どちらが心地よいかはその日の気分によって違ったりもします。
ぼそっと 尾崎さんなどはその点、居場所というものについて、どう考えますか。
尾崎 私がひきこもっていた当時は、自宅は居場所だとは思えなかったですね。存在を否定され続けていると、生きるエネルギーが奪われていくんです。そうすると、外に出て行く力までもなくなってしまいます。
現在は親元から離れ、時間のあるときに、ひきこもり当事者の居場所づくりをしているのですが、「ここに居ていい」と思える安心感を持てることが居場所の大前提だと思います。
ぼそっと 東京のひきこもりは、比較的「居場所」とされるイベントや空間があちこちにあるので、その中で取捨選択して行くことができます。しかし、地方のひきこもりの皆さんは、その点、状況が厳しいですよね。あまり選択の余地がないでしょう?
中村 そうですね。限られた居場所しかないと思います。こっちは合わないからあっちへ行こう、とはなかなか出来ないと思います。
ぼそっと 皆さん、居場所である「ふきのとう」(*1)ではどんなことやってますか。
中村 カードゲームしたり、スタッフとお話したり。居場所は畳部屋なので横になってる人もいます。最近は行ってないですが、本当に自由ですね。
僕はしてませんでしたが、一時期は男性陣の間でモンスターハンターというゲームが流行っていて、みんなで携帯ゲームを持ち寄って協力プレイされてました。
ひとりの時間が好きな人は読書されてますし、要望があれば、スタッフが講師となって英語や数学の学習会もあります。「ふきのとう」が開いている間は、自分の好きな時間に行って好きな時間に帰れるので、それこそ「何かしなければならない」というわけでもないので自由ですね。
尾崎 「ふきのとう」は一日にどれぐらいの方が利用されているんですか? 若い方が多いのでしょうか?
中村 1日に3~4名くらいでしょうか。それでも日によって違うと思います。「ふきのとう」は週5日朝から夕方まで開いてます。会話するにも騒がしくもなく、雰囲気は落ち着いてますね。僕が利用していた時は男性が多かったです。利用者の年代は10代20代が多いと思います。
「ふきのとう」の利用者と知り合ってから、家でオンラインゲームしたり、居場所と関係なくたまにファミレスで食事したりもしますけど、頻繁ではないです。
また居場所では、月に一度の夜に親同士が集まって、家族の会を開いて相談や情報交換もされています。
*1 佐世保フリースペース「ふきのとう」ホームページ
http://fsfukinotou.ec-net.jp/
居場所に「居る」ことからの発展
ぼそっと 「ふきのとう」では、参加者から声があがると、地域の産業と連携しながら、いろいろと発展的な活動を手がけてますね。
中村 そうですね。参加者から「お店をやってみたい」という声があがると、運営者の山北眞由美さんを筆頭に、事業計画書を立ち上げて助成金を得られることができました。それから不動産で物件を探して、「ふきのとう」の近くの商店街に雑貨店「みんなのマルシェ 星の風」を出店されました。その後、このお店はつい最近、2020年2月まで続いていました。
尾崎 そのお店では、どんな物を売っていたんですか?
中村 「ふきのとう」の若者がハンドメイドした、素敵なアクセサリーやオリジナルイラスト入りのポストカードなどを販売していました。もちろん店員さんも居場所の若者で、店の看板も皆さんの手作りでした。
尾崎 面白い取り組みですね。閉店は残念でしたね。
中村 お店は閉店ですが、各イベントで出店は続けるそうです。また農業をしてみたいという利用者の声をもとに、社会福祉協議会と連携して佐世保の沖合にある黒島への農業体験などを企画されています。
ぼそっと 黒島というと、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産として世界遺産に登録されている、黒島天主堂で有名な島ですね。いいところに畑があるんですね。
中村 はい。天主堂が美しく、自然豊かでテレビや映画のロケ地に選ばれるくらい魅力的な島です。ただ黒島も高齢化や人口減少が進んでいます。その中で島の住民の皆さんのご厚意で荒れ地を貸して頂き、「ふきのとう」の青年たちが雑草だらけの土を耕して玉ねぎや芋類などの野菜を育てたりしています。
島の方々も歓迎して、昼食を振る舞ってくださるなどの交流があったりします。また黒島で収穫した野菜は「みんなのマルシェ 星の風」で販売されていました。
ひきこもりとして自費出版
ぼそっと そのように佐世保のフリースペース「ふきのとう」では、利用者であるひきこもり当事者が「やってみたい」ということを大事にして、居場所がいろいろな活動や産業に発展している、とのことですが、そのような発展の一つのかたちとして、中村さんは本を出されたわけですよね。
その経緯を、もっと詳しく教えていただけますか。
中村 ボランティアを終えた翌年に、佐世保で「ふきのとう」主催のひきこもり当事者が弁論する「子どもサミット」というイベントがあって、それに参加して被災地での体験を話しました。すると、会場で聞いていた方から「貴重な体験ですからぜひ本にされて下さい」というご感想を頂きました。その言葉がずっと僕の心にあって、ゆっくりですが、書き続けたのです。
尾崎 完成したら、初めからこのような本にして出版する予定だったのですか?
中村 いえ、原稿が完成した当初は、コピー紙に印刷して親戚や山北さんに読んでもらい、その後「ふきのとう」関係者に配布するだけの予定でした。そうしたら、読んでくれた山北さんから「本にしよう」と言われ、ひきこもりの就労支援をしている東京の出版会社「生活ジャーナル」を紹介して頂くことになりました。そこで相談して、自費出版という形で販売しようという流れになりました。
ぼそっと これも居場所からの、すばらしい発展形ですね。
中村 ええ。でも自費出版は費用がかかるので、自分としては「働いてないのに、本を出して良いものか」と悩んでいました。それでも「出版費用を持つ」という母から「絶対に世に出す価値がある」という説得もあり、本は無事に自費出版として販売されました。
ぼそっと 中村さんの場合、ひきこもり生活は、このように「働いていないのに、本を出したり」と、非常に豊かですよね。それは、なんといってもお母さまの理解があることが、ものすごく支えになっているように思えますが、いかがでしょうか。
中村 そうですね。その本には僕が東日本大震災後に、宮城県へ震災ボランティアに入った時のことが書かれているわけですが、「ボランティアに行きたい」と相談した際も、母は前向きに考えてくれましたね。
これがもし、「就労こそが大事だ」という親だったら、ボランティアや出版よりも「そんなことよりも働け」と言うのかもしれませんね。でも僕としては、今は働くことはできない。働くこと以外のことで「今はこうしたい」という声を汲み取ってくれる人がそばにいるのは大きいと思います。「自分は生きていても良いんだなぁ」と生の居場所があるような感覚です。
学校に行くことや働くことを常に強要されていたら、今ごろは潰れていて、自傷行為や家庭内暴力は避けられなかっただろうと思います。
尾崎 ひきこもっていると、「こうしたい」という意欲自体がなくなってしまいますよね。「生きていていいんだ」という感覚は、とても大事なものですね。
写真・ぼそっと池井多
「働く」とは何か
ぼそっと お金を稼ぐことだけが「働く」ではない、と私は思うのですよ。ボランティアへ行ったり、本を書いたりすることも、ある意味「働く」なのかもしれない。ただ給料が支払われないだけで、社会的に意味のある、価値のある存在であることはすべて「働く」なのだと私は思うんです。
中村 ぼそっとさんが仰ったこととは違って、僕としては、やっぱりまだ対価が発生しないと「働く」というイメージが湧かないですね。
例えば僕の本の話をしますと、数年がかりで文章を書いていましたが、その間「自分は働いている」と感じはしなかったです。むしろ好きなこと、したいことをしているという感覚でした。
文章が完成して本にしようという動きになった際、自費出版は印刷・製本・流通も生活ジャーナルに頼みました。出版費用は会社の方から「後払いで良い」ということで販売したので、いわば借金している状態ですね。
その後、販売してから一年くらいで第3刷になった時に、生活ジャーナルの方から「第3刷が完売すれば、あなたに利益が発生するよ」と伝えられました。その時初めて自分のしたことは「働いたこと」になるのかな、と思えました。
固定観念なのか、お金が発生しないと「働いた」と思えないのでしょうね。好きなことをして対価が得られれば、そこで初めてそれが働いたになることか、と。
「したいこと、好きなことをしている」イコール「働くこと」では少し息苦しいかと思います。この好きなことをして出版から利益への経緯が、ひきこもりの就労への結び付きやモデルにならないかな、とよく妄想してます。したいことをしていたら、いつの間にか対価を得ていた、というのはある意味理想ですよね。
尾崎 うーん、一般的に「働く」といえば、対価が発生するものというイメージがあるかもしれないですね。私は、仕事上主婦の方と一緒に働くことが多くて。
「ボランティアはしていたけれど、働いてはいなかったから…」
と、対価を得る活動をしていないことを気にする方は時々いらっしゃいますね。
私個人としては、ボランティアであっても働いているのと同じようなものだという気がするのですが。この感覚は、ひきこもりであるなし関係ないかもしれないです。中村さんの仰るように、したいことをしていたら対価を得ていたというのは確かに理想的ですね。
ぼそっと 私の考えでは、お金というのは、資本主義社会の市場によって価値をつけられて入ってくるものなので、人間が「働く」こととは別の基準で決められているために、「働いてもお金が入ってこない」という現実は、いくらでもあると思います。
尾崎 ぼそっとさんの考えは、とても面白いですよね。私は、企業で働くことと同時にひきこもり当事者の居場所づくりだったり、ひきポスで記事も書いているんですが、やはり資本主義社会での活動は楽しくないんですよ(笑)。
限りある選択肢の中から、職種や給与、働く場所や時間などを自分にマッチングさせていくだけですし。長く働いていると、「こんなことやってて何になるんだろう」と虚しくなってきちゃったりして。ボランティアだったり、お金にならないようなことにこそ、「こうしたい」という生きる希望って言うんですかね…。
そういうものがあるような気がするんです。ぼそっとさんも、中村さんも、もしかしたらそうなんじゃないのかなと思うんですが。
中村 確かにぼそっとさんが仰った「働いてもお金が入ってこない」ということでいえば、家事をされている方はお金は入らないけど働いてますもんね。お二人のご意見が間違ってるとは思わないですし、「働く」という概念には、捉え方が多角的な面も範囲も広くあるのでしょうね。
一般企業では通用しない人間でも
ぼそっと 中村さんは、ボランティアへ行ったあとは、いわゆる賃金労働という意味で働くことはまったくしていないのですか。
中村 実はボランティアを終えて地元に戻ってから、佐世保で接客業の派遣スタッフとして働いたんですけど、僕は要領悪いので仕事を覚えるの遅かったんです。その上、仕事の速さについていけないと、フロアマネージャーから即パワハラだったので、自分はこの仕事を続けていても、呼ばれなくなるか、精神が潰れるかのどっちかが先なんだろう、としんどくなって辞めてしまいました。
精神的にも肉体的にも常にトップギアで走り続けるような感覚で、このペースが速すぎてついていけない。平気な人は平気なんでしょうけど、自分には無理だと思いました。言い方悪いですが、自分は一般企業では通用しない人間なんでしょうね。優秀じゃなくても個々のペースでできる「働く」が多くあれば理想だと思います。なんだか理想の話ばかりですけど。
尾崎 私も中村さんと同じく、「ひきこもりから脱しよう」と思い、接客業でレジの仕事をしていた時期があるんですが、同じような経験がありますね。
レジの担当者は、品物ひとつひとつを通すスピードが計測されているんです。ミスの回数もカウントされ、間違えると社員が来て、お客さんの前で怒鳴りつけられたこともあります。そして、レジのスピードとミスの回数はデータ化されて、従業員が利用する廊下に、名前とともに張り出されランク付けされるんです。いかにミスなく生産性を上げるかということが重視されるので、精神的にとてもキツかったですね。まるで、自分がロボットになったような感覚がありました。何かを感じる心はもうそこにはいらないんだろうな、と。壊れて使えなくなれば、また代わりの人がそのポジションにつくだけですからね。個人であることが大事にされず、いつでも代替可能な働き方は、生きる意欲を奪っていくように思いますね。
表紙イラストも中村さんが描いた。
ぼそっと もし中村さんのご著書を、この記事を読んでいる読者の方が買いたいと思ったら、どのようにしたら買えますか。
中村 拙著「おーい中村くん ~ひきこもりのボランティア体験記~」は書店になくても取次には流通してますので、お近くの書店で予約していただければ取り寄せることができます。生活ジャーナルへの電話やFAXなどでもご注文もできますし、Amazonや楽天などのネット通販などでも扱って下さっています。
ぼそっと 次回作というか、今後も新たに出版や発信をすることは考えておられますか。
中村 文章に限らず漫画やイラストなどの創作は好きなので、今後も自分の作品を発信していければ良いな、と思っています。この記事を読まれた方の中にも、イラストや文章など依頼がありましたらご連絡お願いします。
メールアドレス f-porepore@shirt.ocn.ne.jp
Twitter @vanitas00
(完)
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