(文・南 しらせ)
図書館に本を借りに行く。それが私のひきこもり生活の、数少ない習慣だ。図書館の貸出カードを忘れないようズボンのポケットに突っ込んで、私はいつも家を出る。
ひきこもり長期化、募る焦り
私は短編小説が好きなので、図書館でよく借りる。短編のいいところは、ズバリお話が短いことだ。物語の筋や展開を把握しやすいし、何より気軽に読めるのがうれしい。
しかしそんな短編とは真逆に、私のひきこもり生活は5年目に突入しようとしている。もし今のこの生活を物語にするならば、果たして短編小説のページ数で足りるだろうか。そんな不安や焦りが、私の心を日々侵食している。
個人的に長編小説は好きではない。分量があるぶん、物語も複雑になり、単純に読むのが嫌になるのだ。だから私のひきこもり生活は、なんとか短編の量で収めたい。
「急いでこの生活から抜け出さなければ」と思いながら、けれど結局、私は今日も家で一人、短編を読む。最近は好きな短編を読んでいても、内容が頭に入らないことが多くなった。
ひきこもり生活を、早くハッピーエンドにして終わらせたい
なぜ私はひきこもり生活から抜け出せないのか。その理由の一つは、私の心に居座る見栄とプライドが、この生活を無理やり「いい話」にしようともくんでいるからだと思う。例えばこんな風に。
「私がひきこもっていたことですか? ああ、あの件ね。こういう理由で、仕方なくひきこもらざるを得なかったんです。でもね、その後ちゃんとひきこもりから卒業したんです。聞いて下さいよ、それにはこんな劇的な話がありましてね……」
ひきこもって無意味だと感じているこの空白の時間を、自分自身や見えない誰かに正当化したい。自分がひきこもったことには、ちゃんとした意味があると思いたい。そしてその意味は、きっと誰もが理解してくれるものだと信じたい。
そういう理由がないと、今苦しくひきこもっている私の存在意義が、完全に失われてしまう恐怖に襲われる。だから私のひきこもり人生を、無理やりでもハッピーエンドの物語にしないといけない。そうしないと、私はもう生きていけない。
しかしこの生活をいい話で終わらせるための最後のピースが、なかなか見つからない。そして私のひきこもり生活編集会議は難航し、時間だけが過ぎていく。
2週間後の未来を見つめて
私には小説を読む時に、読む前から本の最後のページをめくって、つい結末を確認してしまう癖がある。しかし未来のことは、どうやっても誰にも分からない。
それでも私はこの苦しい人生の答えを、早く知りたいと思ってしまう。自分がひきこもりかどうかなんて、本質的にはあまり関係ないのかもしれない。私は未来が怖い。それだけなのだ。
そんなどうしようもない日々の葛藤に、心がぎゅうと押しつぶされそうになる。ふと、栞のように本に挟まれていた図書館の貸出カードに目がいった。
「<返却期限> 20/4/××」
それは2週間後の私に訪れる、1つの明確な未来だった。この2週間で、本を読み切るも、読まずに返すも、貸出期間を延長するも、選ぶのは自分次第。何を選んでもいい。ただその期間は2週間だということ。そんな当たり前のことが、どうしようもなく私の心に沁みた。
「未来ってのはさ、2週間くらいのちょっと先だけ、考えてればいいんだよ」
貸出カードに、そう教えられた気分だった。
私は指でぐにゃりと、貸出カードをU字に曲げては戻すを、繰り返す。空と海を連想させる、少し濃いめの青色をしたカードが、その度に歪む。その青色に、私の将来への焦りとかプライドとか色んな気持ちを、全部溶け込ませたかった。
今度はカードの裏側を透かすように、私はひょいとそれを持ち上げて、小刻みに動かしてみる。濃い青色の壁は厚く、それ以上先は見えない。けれどこの青色の向こうに、2週間後の未来がある。私はその言葉を心の中で繰り返しながら、手に持ったカードにぎゅっと力を込める。
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執筆者 南 しらせ
ひきこもり歴5年目の当事者。学生時代から人間関係に難しさを感じ、中学校ではいじめや不登校を経験。アニメ・声優オタク。好きなアニメは「宇宙よりも遠い場所」。ペンネームの由来もこの作品から。