文・写真 中村秀治
編集・ぼそっと池井多
僕は、九州は長崎県北部の佐世保市で生まれた。活発な子どもだったと思うが、小学6年生の時に明確な原因もなく不登校となった。不登校になる前後に佐世保から佐々町へ引っ越しをした。
佐々町は、佐世保と同じく県北部にある町で、平成の大合併で隣接する町が佐世保市に編入する中、佐々町だけは合併を拒んだ。なので佐々町は、海岸線を除けば佐世保市にぐるりと囲まれている。かつては炭鉱で栄えたという佐々町だが、町の中心の人通りは多くない。
山と海が近く自然豊かで、鮎釣りができるほど清流である佐々川。春には佐々川沿いの通りに並ぶ河津桜が咲く。過疎地というわけでもなく、住宅街やマンションもある。賑やかな佐世保市のベッドタウンという役割もあるのだろう。
「何とかしなければ」と焦っていたころ
それでも、地方の悩みである人口流出が進む長崎県である。
かくいう自分も、以前は家にひきこもりながら、悶々と東京に住むことを夢みていた。
地方の生活は嫌ではなかったが、ひきこもりの自分がとにかく嫌だった。
二十歳を超えても働かずに家にひきこもり、罪悪感と焦燥感が日増しにつのっていく。
「何とかしなければ…」
とにかく環境さえ変えればひきこもりから脱却できて、ネガティブな自分自身が大きく変わるのではないか、と激しく思っていた。
そして、何より小さい頃からの夢である漫画家になりたかった。上京してその夢を叶えたかった。
家では日々鬱屈した感情をぶちまけるように自室にこもり、妄想を練ったプロットを書いては、その中から気に入ったものを漫画に描き起こし、原稿を完成させてコミック誌の新人賞に応募する。だが二次選考までが関の山で、落選するのが当たり前だった。
落ち込んでは、また描きたくなった時にペンを握る。ここでは他にやりたいこともできることもない。
応募による受賞が無理ならば、上京して編集部に持ち込んだり、漫画アシスタント業務をやったりするのはどうかと考えた。
そのためにはお金が必要だ。だが自分にはお金を稼ぐ能力が無い。それ以前に人付き合いも得意ではない。まともに人の目を見て話せないのである。
自分が都会で暮らしていくことは現実的ではない、と薄々感じ始めていた。
そして漫画家という夢に、上京をセットで考えていたことも間違いだと気付いた。
今やアシスタント業務も、デジタルで作画しネット上でやりとりできるので、地方で活躍している漫画家もいるし、素人でも自分の作品をネット上に発表することができる。
地方の漫画家志望者が上京するメリットや魅力は、手塚治虫を慕い志望者達が集まったトキワ荘の時代とまるで違うだろう。
そういうことで、また数年とひきこもるうちに上京への熱意は完全に冷めてしまった。
地方のひきこもりの暮らし
佐々町での暮らしも決して悪くない。刺激も変化もないが、それがいい。
町には映画館などの施設はないが、スーパーはあるので二、三日おきに買い物へ行く。
生活するには目立つような不便さもなく、不満もない。
今や地方に住んでいても通販で大抵の物は注文できるし、ネット環境さえ整っていれば映画も見られるので、ひきこもり生活にはさほど不自由ない。
生活の上で人付き合いは多くない。会う人はフリースペース関係の人達ばかりで親戚も佐々町や佐世保市内にいる。
不登校だった自分は、同級生の顔と名前はほとんど卒業アルバムで知った。それは他の同級生もそうだろう。成人式にも行かなかったので、自分が同窓会なども呼ばれることはないし、中学校の思い出もない。きっと同級生のほとんどが町を出、あるいは県外に行ったであろう。
そんな自分が、住む町、住んでいた町の風景イラストを自分なりの表現で描いてみたいという気持ちが芽生えたのはここ最近だ。
家にこもり、外の世界を閉ざし暮らしてきた自分が、外の世界を描き残したいと思うのは不思議な感情である。しかも絵を描くのは好きだが、風景画は手を出さなかった分野だ。
以前は上京して、住む場所さえ変われば自身は変わると思っていた。
でも今は、住む場所は変わり映えのしない生活でも、どんな人に出会うか、どういう考え方に触れるかが、自身が変わるために重要だと感じる。思いがけない人との出会いは、たまにこういう不思議なエネルギーを生み出してくれる。
(了)
<プロフィール>
中村秀治 長崎県佐々町在住のひきこもり当事者。佐世保フリースペース「ふきのとう」利用者。東日本大震災後、宮城県でボランティア活動をし、その体験を書いた「おーい中村くん ~ひきこもりのボランティア体験記~」を自費出版。
ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。