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ひきこもりがひきこもる秘訣を語れないのはなぜ? ~ 「迫りくる」コロナ自粛明け

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Photo by Pixabay


文・ぼそっと池井多

 

最近、私があるメディアの方から受けたインタビューを、私の側から一部編集したうえ、適当に尾ヒレ葉ヒレをつけてみた。

 

アドバイスという無理ゲー

あるメディアの人 今日はインタビューを受けてくださり、ありがとうございます。ほんとうはお会いして、対面インタビューを取りたいのですが・・・

ぼそっと池井多 私もあなたのような女性とお茶したい気持ちはヤマヤマですが、外出は自粛せよと言われている昨今、そんなぜいたくなことをしたら世間に叩かれますから、やはり会うのはやめましょう。

メディア こら、セクハラで訴えますよ。そんなことを言うのなら、やっぱり危険を感じるので、ビデオ通話で済ませましょう。

ぼそっと 失礼いたしました。ご質問をどうぞ。

メディア なぜ、あなたは何日もひきこもっていられるのですか。

ぼそっと 外へ出ていきたくないからです。人ごみに出ていって、たくさんの人と出会ったり、話したりしたくないからです。
壇蜜は嫌いではありませんが、3密が嫌いだからです。

メディア いえいえ、求めているのはそういう答えではありません。

伺いたいことはですね、そろそろコロナ自粛の終息が語られるようになってきましたが、特定警戒都道府県ではまだ緊急事態宣言は続くようですし、その後もいつ集団感染が発生して再び「ステイホーム」と言われるかわからない状況です。

社会全体がひきこもり生活を余儀なくされているわけですが、みんな慣れないので嫌気がさしています。「楽しくひきこもり続ける」というやり方がわからない。だから、料理を作ってYouTubeで流したり、ブックカバーを作ったり、読書やエクササイズの駅伝をやったりしているのです。

ひきこもり生活からもたらされるストレスが、いろいろな形で表に出ています。海や山へ出かけちゃう人もいる。開いているパチンコ屋を見つけて殺到する。家の中ではDVが増加して、飲酒量も増える。スーパーマーケットやホームセンターは、まるでテーマパークのようにごった返しています。
ぼそっとさんはこういう時、ひきこもりとして、こういう人たちにどういうアドバイスができるでしょうか。
ぼそっと アドバイス? 私はそんな、大それたことはできませんね。

メディア なぜですか。

ぼそっと だって、だいたいアドバイスなんてのは、上の立場にいる者が、モノを知らない下の立場に教えてやろう、としてするものでしょう。
私は、ひきこもりは「ふつうの人」より人間的に下の立場ではないと思っているから、ひきこもりに対するさまざまな不当な差別に反対しています。しかし、それはとりもなおさず、ひきこもりが「ふつうの人」よりも上の立場でもない、ということでもあります。

メディア なるほど。でも、もしかりにそうだとしても、今はこのようなご時節となり、ひきこもり生活の実践ということにおいては、ひきこもりの皆さんの方が「ふつうの人」よりはるかに先輩ではありませんか。
人間的に上だ下だということではなく、経験者としてのアドバイスとか、ひきこもりの極意みたいなものを教えていただけませんかねえ。

 

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Photo by Willfried Wende

努力しないで手に入るもの

ぼそっと ダメですね。

あなたがお聞きになっているのは、食費を節約するためにカップラーメンの汁をおかずにしてご飯を食べるとか、トイレに行く回数を減らすためにひきこもり部屋にペットボトルを持ち込むとか、表面的なライフハックのことではありませんね。「極意」というからには、もっと深い精神論みたいなものを求めていらっしゃる。

でもね、そもそも「極意」って何でしょう。

たとえば、武道の達人を考えてみましょう。そういう人に、武道の極意を尋ねれば、重い口を開いてなにやら格言じみたことをつぶやき、極意を教えてくれるかもしれない。それは達人が、その境地に達するために、陰で膨大な努力や工夫を積み重ねてきたからです。

ところが、私はひきこもりになるために努力や工夫を重ねてきたわけではない。むしろ反対に「外へ出る」という努力や工夫をやめた部分がひきこもりとして実っているのです。

だから、ひきこもりの極意など語れません。努力や工夫の成果はアドバイスとして語れても、努力や工夫の欠落や不在は語れないでしょう。

やさしくいえば、「ひきこもりは、努力しないで手に入るもの」なのです。

メディア なんか、わかったような、わかんないような、ですね。ぼそっとさんはひきこもり生活を続けていくのに、努力をしていないというのでしょうか。

このコロナ禍の日々、ひきこもり生活が苦痛ではないですか。苦痛があれば、それを我慢する努力をしているはずです。

ぼそっと たしかに、いちいち手を洗わなくてはいけなかったり、こまめに予定変更したり、とコロナでいろいろ面倒なこともたくさんあります。でも、それらはひきこもり生活ゆえの苦痛というのとは、少しちがうと思います。

ひきこもり生活そのものは快適です。反対に、「外へ出ていく」「人に会う」という苦痛を、今は味わわずに済んでいます。

メディア まあ、何ということを。「コロナ自粛が快適だ」とは不謹慎ですね。世間に叩かれますよ。いったいどうしてそんなことが言えるのでしょうか。

 

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Photo by まぽ

ひきこもりが問題とならない社会の出現

ぼそっと なぜならば、何といっても心理的な安心がありますね。コロナ禍が始まる前は、ひきこもりは経済的な生産をしないということで世間から叩かれてきました。去年の今ごろには、「ひきこもりは犯罪者予備軍」とも呼ばれていたのです。

それが今は、ひきこもりであることが社会から深く受容されるだけでなく、奨励され、あげくの果てには要請すらされるようになりました。もう、これは二階級特進! いや、三階級か。大出世ですね。

ひきこもりという同じことでも、批判されながらやっているよりも、要請されながらやっている方が快適なのは当たり前でしょう。

メディア 社会全体がひきこもりとなることによって、かねてより目指していた「ひきこもりが問題とならない社会」が図らずも実現したということでしょうか。

ぼそっと 一時的にはそう考えてよいと思います。

しかし、そこで注意しなければならないのは、「ひきこもりが問題とならない社会」になっても、「個々のひきこもり当事者が問題を持たない社会」になったわけではない、ということです。

たとえば、私は「8050問題」を持っています(*1)が、コロナ禍になってもこの問題は解決したわけではありません。

 

*1. 以下の記事を参照。

www.hikipos.info

他のひきこもり当事者の皆さんも、それぞれの人生や生活にまつわる問題は、コロナ禍になっても何ら解決していないのではないでしょうか。けれども、それは「ひきこもり」というキーワードから切り離しても、存続していく問題だと思います。たとえば「失業問題」、「家族問題」といったように。

メディア 先ほど「一時的には」と留保をおつけになりましたが、これはどういうことですか。

ぼそっと パリ・コミューン(*2)みたいなもので、「ひきこもりが問題とならない社会」は期間限定の幻のように出現した、ということです。コロナが終息すれば、また「ひきこもりが問題である社会」に戻ってしまうでしょう。

 

*2. パリ・コミューン

第二帝政フランスの崩壊期1871年に出現した史上初のプロレタリアート独裁政権。ロシア革命より50年近く早かった。約2か月だけ続いた。

 

コロナ終息とひきこもり

メディア 終息といえば、先ほども申し上げたように、コロナの出口戦略が盛んに語られるようになってきましたね。これについては、どのようにお考えですか。

ぼそっと 憂鬱です。どうやら一般社会の皆さんは、そろそろ外出自粛の期間が終わるということで歓喜と期待に湧いているようですが、私は前途が暗く閉ざされたような心地がしております。できれば、緊急事態宣言はあと4ヵ月ぐらい再延長してもらいたいものです。

メディア それはまた不謹慎ですね。このコロナ自粛の苦しい期間が延びてもかまわないのですか。

ぼそっと いちいち手を洗うとか、マスクやアルコールが調達できないとか、多くの人が亡くなるとか、そういうのはいやなので、

「感染の危険はなくなって、外出の自粛だけが続く」

というのが一番良いのですが、世の中なかなか思い通りにはいきません。

メディア とんでもない人ですね。自粛警察に逮捕されますよ。いったいどういうことでしょうか。

ぼそっと 多くのひきこもりは社会に対して、「みんな先に行っちゃう(*3)という焦りを持っています。自分が動けないのに、周囲だけ動けることが妬ましいし、取り残されていくことが寂しいのです。

 

*3. 「みんな先に行っちゃう」

2020年2月17日に放送されたNHK番組「ノーナレ」の副題。本誌ライターのひきこもりである佐藤学の日常を追ったドキュメンタリー。

www.nhk-ondemand.jp

しかし、コロナによる自粛期間は社会のあらゆる活動がストップし、この焦りの感覚を抱く必要がなくなりました。

それが、自粛が解けて社会が再び動き出すようになると、また人々は「先へ行き」始めることでしょう。社会は生産を再開し、経済は赤字を取り戻そうと躍起になり、オリンピックも一年後に向けて再起動する。すると、再びひきこもりは後ろに取り残されるのです。

メディア 社会活動の再開を喜ばない不謹慎なあなたは、いったい何を求めているんでしょうか。

ぼそっと コロナ自粛の期間を与えられて、私は世の中の生産に巻き込まれることなく、非生産的に「自分に向き合う」という時間を、ほんとうに必要としているのだな、ということがわかりました。自分に起こったことを整理し、納得していく時間を。そういう時間が好きだ嫌いだというよりも先に、私はそれを「必要としている」のだ、と。それほど傷が深いのでしょう。必要としているものを、人は求めます。これが私の求めているものです。

そのことがわかったのは、コロナが私にもたらした収穫でした。

メディア いよいよわけがわからなくなってきました。私が書こうと思っている記事のためには、ちっとも役に立たないインタビューでした。

ぼそっと お褒めに預かり光栄です。それでは、このインタビューは私が整理して発表するというのはいかがですか。あなたの名前に傷がつかないように配慮しますから。

メディア もう勝手にしてください。退出します。どうもありがとうございました。

 

(了)

 

 ぼそっと池井多いけいだ 東京在住の中高年ひきこもり当事者。横浜に生まれ、2歳まで過ごし、以後、各地を転々とする。大学卒業時23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的に今日までひきこもり続けている。VOSOT(チームぼそっと)主宰。GHO(世界ひきこもり機構)代表世話人。facebookvosot.ikeida twitter:  @vosot_just

 

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