長年実家で暮らすスミレは、田舎町で静かな生活を送っていた。しかし、町はいつのころからか見えない「津波」に見舞われるようになり、人々の姿が急速に消えていく。そんなとき、ひさしぶりに帰郷した「妹」から衝撃的な言葉が発せられ——。
今回は、ひきこもり当事者による短編小説をお届けします。
おごそかな津波
「うん。大丈夫」
と私は嘘をついた。
しかし、去ってほしくない人が消えた、という昨日の事実にうろたえていた。
なんていさぎよい最後だったろう。
祖母は95歳で、「もう私にも津波が来るから」と言い、身辺を整えたうえで、静かに去っていった。
昨夜の見送りの席では、普段から騒々しい母がさらに騒ぎ、
「スミレちゃん悲しいでしょう?おばあちゃんのこと好きだったからねえ!」と私に叫んだ。
母は三十を過ぎた私に、いまでも「ちゃん」をつけて呼ぶ。
演技だったとは言わないけれど、長年別宅で暮らしていた義母との別れが、母にとってそこまで悲痛だったかどうかは疑問だ。
町はだんだんと人が減り、静かになっていく途上だった。
何かが壊れたわけでもなく、目に見える事件があったわけでもない。
しかしこの町はたしかに、ゆっくりとおびやかされていた。
――津波。
いつからだったのか。「津波」と呼ばれるそれが、私たちの危機になったのは。
母が「こんな田舎にまで来るわけないじゃない」と言い捨てていたのは、せいぜい今年の春のことではなかったか。
高齢者の多い町だったが、大きな被害は出ていない。
祖母が去っていったのも、本当に津波と関係あったのかどうかはわからないのだ。
ただ、人々は以前より息をひそめて、各々の自宅にこもるようになっていた。
「津波ですからねえ」とおだやかに言い、引っ越していった人もいる。
商店街はシャッターを閉める店が増え、戻らないところも多いだろう。
町は大手チェーンのスーパーだけが、場違いに派手な電光を灯して建っている。
人は通り魔事件でも起きたかのように外出を避け、通りは震災後のように静かだった。
家々は暴風雨の接近のように、戸締りをしている。
傷ついている人は見えないのに、被災地のようになっていた。
今は日本中のあちこちで、こんな衰退の光景が広がっているのだろう。
元から自宅でばかり過ごしていた私は、日々流れてくるニュースを、無力に傍観していた。
昼
祖母のことがあったので、昨日から妹が帰郷していた。
母が買い物に出かけたせいで、居間に二人きりになってしまったのは、私にとって気まずい時間だ。
妹はお湯を沸かしながら、私にわざと明るく話しかける。
「夫の知り合いにも、会社が潰れちゃった人がいるんだって。今度の津波は本当にまずいみたい。お姉ちゃんも、そろそろ家以外の避難先を見つけといた方がいいんじゃないの?」
妹は私と違い社交的で、母との仲も良い。
妹の見た目は子どもっぽいが、ほのかちゃんという、もう5歳になる娘がいる。
「お姉ちゃんは、やりたいことないの?お父さんの遺産があるとはいえ、いつまでもこの家ってわけにもいかないでしょう」
私はまた口論が起こることを予期して、少し身構えた。
「だけど、この頃は津波のせいでどこも大変だし。お母さんもあれで、足が前より弱ってきたみたいだからね。今、その話をしなくてもいいんじゃないの」
私は話題をそらそうとしたが、妹は逃がさない。
「前にも言ったかもしれないけどさ、お母さんがいることを、言い訳にしてない?やりたいことがあれば、津波は関係ないよ。あの資格の勉強って、まだしてるんだっけ?」
妹が聞いているのは、私が十年も前に心理士の勉強をしていたことだ。それはすぐに挫折して以来、ふれてもいなかった。
私は言い返す。
「ねえ、あなただって、昔はダンサーになるとか歌手になるとか言ってたじゃない。それが、ほのかちゃんができてから完全に専業主婦?あなたの方だって、津波で旦那さんの仕事がやられたら、あっというまに立ち行かなくなるんじゃないの。今は、そんなに幸せなの?」
突っかかる私を、
妹は「幸せだよお、すごく。子育ては大変だけどね」と受け流した。
私は妹の鷹揚さに傷つき、同時に、攻撃的になる自分自身にも傷ついていた。
大学を中退して以来、私は就職せず母と同居していた。妹は私に、家を出て自立しろと言いたいのだ。
妹の言葉遣いは穏便なものではなく、茎についたアブラムシをとりはらうような、粗雑な口ぶりが含まれていた。
「もうそろそろ立ち止まるのをやめて、歩き出すいい機会なんじゃないの。どうせ、お付き合いしている人もいないんでしょう」
私は自分のこの十年が、間違いだと言われているようで意固地になる。
「お姉ちゃん、前に言ってたでしょ。何もかもお母さんに決められてきたんだ、って。進学先も就職先も、お母さんの顔色ばかりうかがっていたって。だけど、ずっとお母さんのために生きなくてもいいじゃない」
私は十分に知っていた。不幸がゆっくりとした満ち潮であったように、いつのまにかとり返しのつかないほど深く、自分の貴重な歳月を沈めてしまっていることに。
私は「あなたが判断しないでよ」と反論する。「あなたはあなたの生活をしていて、私は私の生活を送っているっていうだけでしょう。あなたの立っているところから見て、勝手に遠回りとか、立ち止まるとか、私のいる場所を決めつけないでよ」
妹は沸騰した湯を急須にうつし、お茶の葉がひらくのを待った。
湯呑を二つ用意し、時間をおいて、妹は急須からお茶を注ぐ。
二度、三度と傾ける手つきは、どこか昔からの母の仕草と似ている。
しばらくの間ができたあとで、「お姉ちゃん、茹でガエルの話みたい」と妹が言った。
私は不愛想に答える。
「何それ」
「カエルを熱湯に入れると、熱さにビックリして飛び上がるでしょう。だけどはじめに水の中に入れて、その水を熱していくの。そうすると、カエルは水が熱くなっていることに気づかないで、いつのまにか沸騰したお湯にゆだっちゃう。ゆっくり変化してるからわからないかもしれないけど、この家だって、すごく古くなったよ」
「私が、マヌケなカエルだっていうわけね」と答えた。
「お姉ちゃん。どうせ津波は引いていかないよ。この家から出ないって決めてるの?」
「『出ない』って何。ただこの家に『居る』ってだけじゃないの」
いくら話しても、根っこのところで、言葉が通じないことはわかっていた。
妹との間だけではない。学校とか結婚とか就職とか、大きな決まり事のようなものと自分とが違っているせいで、私の言葉は意味をもたなくなってしまう。
しばらく不毛なやり取りを続けたあと、妹は、「まだ処女のままなんでしょ」と言い捨てて、お茶を飲みほした。
私が、あなたはそんなに偉いの、と言い返そうとすると、騒々しく玄関の戸が開く音がして、母がどうでもいいことを言いながら戻ってきた。
妹との会話は打ち切りになった。
母がいっぱいの買い物をさげて、居間に戻ってくる。
「ねえ、洗濯物ないの?あるなら出していきなさいよ」と妹に言う。
「やらなくていいよ、午後には帰るって言ったじゃない」
「ええー」と 母は大げさに嫌がる。
「ほんとにすぐ帰っちゃうの?もう一泊くらいしていってもいいじゃない」
「娘を預けてるからねえ。私も忙しいもんだからさ」
妹は母のあしらいがうまいもので、「ねえ、ほのかの新しい動画見る?」と言って、娘の映像を見せようとスマホを取り出す。
二人はすぐに騒がしく話しはじめた。
妹にも母にも、もう私なんて存在していないみたいだった。
日没
夕暮れに、妹は自分で築いた家庭に戻っていき、この家にはまた私と母が残された。
部屋は西日からの強い光彩を受けて、熱いオレンジ色に染まっている。
窓辺に立つと、自分の体が静かな火事にとりまかれているようでもあった。
あと何十年も、この家での暮らしがつづくのだろうか。
町内に、スピーカーから流れるアナウンスが響き出した。
今年に入ってから、毎日二回放送されているのだ。
「…… の おそれ が あります 被害 拡大 を 防ぐ ため 外出 は ひかえて くだ さい」
拡声器による、エコーのかかった声が響く。
放送が聞こえたところで、特にすることもない。
毎日のことなので、放送の意図とは反対に、のどかな雰囲気さえ感じられてしまう。
「わあー、すごい夕焼けだねえ」
と、母が窓辺に来て、大げさに言った。
「うん。これくらいのはなかなかないね」
「ほらあ、よく見て」
窓から夕陽を眺め、母は再度感心の声をあげる。
津波がせまって以来、母は時間をもてあましているようだった。
昔から活動的で、津波が迫ってくる前は、観光案内所の仕事と、城跡ガイドのボランティアをしていた。
城跡といっても高台くらいしかなく、私はガイドするほどのものがあるのかどうか知らないのだが。
今はどちらも休止になっており、案内所は長期閉館の状態だった。
元から利用者は減っていたので、もしかしたらこのまま閉鎖されるかもしれない。
しかし、たとえ職場がなくなっても、母ならまたこの町で新しい仕事を見つけ出すだろう。私と違って。
「スミレちゃん、大丈夫?お婆ちゃんは、ほんとに残念だったけどねえ」
私は明るくつとめようとしたが、母には浮かない顔に見えたらしい。
「違うの。津波のことを考えてただけ」
私は適当に答えた。
「嫌になるよねえ。でも、きっとすぐに引いて元通りになるはずだから、ね。元気出さないと!」
母はいつも根拠のない話で、私を安易に励まそうとする。
しかし、本当に変わらない毎日があるならどうだろう。これまでと同じように日々が過ぎていくなら。案外本当に、平穏に過ごせる未来もあるのかもしれない。母も元気なまま、私も病気をせず、町に昔のような活気が戻ってくる未来。私はつかのま楽観的な希望をもって、赤く熱せられている町を見た。
「スミレちゃん、大丈夫でしょう、ね?」
「うん。大丈夫」
私は西日に目を細める。
ふと、夕陽の果てのどこかから、巨大な生き物のうめき声のようなものが聞こえた。
それはたぶん、空を吹きわたる風の音が、山稜を伝わり響いてきただけのことだろう。町をゆっくりと襲い来る、おごそかな津波の音などではなく。
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文・写真 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年生まれ。8歳から学校へ行かなくなり、20代半ばまで断続的な「ひきこもり」を経験している。2015年シューレ大学修了。『ひきポス』では当事者手記の他に、カルチャー関連の記事も執筆している。ツイッター喜久井ヤシン 詩集『ぼくはまなざしで自分を研いだ』2/24発表 (@ShinyaKikui) | Twitter
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