ひきこもり経験者による、約1000文字のショートショートをお届けします。〈生きづらさ〉から生まれた小さな世界をお楽しみください。
〈悲しみ〉が故障したアンドロイド
俺がアンドロイドの修理工を始めてから、早三十年になる。
専門は体のパーツ修理だが、メンタル面のアップデートをすることも珍しくない。
仕事柄狂った奴にはたくさん会ってきたが、このあいだの来客もなかなかだった。
そいつは、自分の足でふらっと俺の修理屋にやってきて、「ヘロー」と陽気な挨拶をした。
「予約してないんだけど、イイカナ?ボクのご主人から、修理屋へ行ってこいって命じられちゃってサ。ボク自身は必要ないと思うんだケドね!」
アンドロイド特有のデジタル音声だ。
そいつは上等なヒューマノイドで、ざっと見たかぎり、体は何ともなかった。
「どこ系統のトラブルなんだ?」
「ご主人は、ボクの言動がおかしくなったって言うんダ。設定はいじってないんだカラ、変わったはずナイのに!」
「どうかな。見てやるから、こっちに来な」
俺は修理用の寝台にアンドロイドを寝かせ、コンピューターに接続した。
「いったん〈意識〉を切るぞ。しばらく眠ってろよ」
「ああ。モシ壊れたところがあるナラ、サッサと直してくれよ!」
アンドロイドを停止させると、そいつはゆっくりと目を閉じて、一時的に睡眠状態になった。
俺は専用のソフトを使い、トラブルシューティングをおこなった。
結果はすぐにわかる。
発見されたのは、大脳辺縁系の問題だった。
「感情の一部が、動かなくなっちまってるみたいだな」
俺は感情の修復をコンピューターに指示し、外側の備品のメンテナンスを始めた。
時間はたいしてかからない。
ソフトのおかげで、アンドロイドの感情は、すぐに元通りだ。
修復が終わると、俺はアンドロイドの意識を戻し、
「気分はどうだ?記憶はそのままだから、何が変わったかわかるだろう?」と声をかけた。
「オハヨウ!いやあ、そう言われても、ジブンではなんとも……」
そいつはしばらくヘラヘラしていたが、ふと表情を失い、うつむいた。
視床下部のシステムが問題なく動いている証拠だ。
「……ああ、ようやくわかったよ。ボクは〈悲しみ〉の感情を失くしていたのカ。人間社会でやっていくには、〈悲しみ〉が欠かせないものネ。同情もできるし、共感もできる。楽しいことしかワカラナイんじゃ、ご主人との会話がうまくいかナイのも当然か。ハハハ……」
アンドロイドとはいえ、誰かが落ち込むところなんて見たくないもんだ。
「おい、大丈夫か?」
アンドロイドはゆっくりと立ち上がり、「ウン。大丈夫だよ」と答えた。
喜怒哀楽の感情のなかで、〈悲しみ〉だけがボロボロになるなんて、どんな境遇で生きているんだろうって思うけどな。
修理完了の手続きをすませ、俺はそいつを送り出した。
修理屋を出ていくアンドロイドの背中に、俺は言ってやった。
「感情が壊れたら、またうちに来な。サービスしてやるよ」
アンドロイドは、半分だけふり向いて答えた。
「アリガトウ!あなたは良い人だ!」
その横顔は笑っていたが、涙の機能がよくはたらいていたよ。
END
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絵 青木克雄(あおき かつお)
文 喜久井ヤシン(きくい やしん)
Twitter https://twitter.com/ShinyaKikui
※物語はフィクションです。実在の人物・出来事とは無関係です。
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