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ひきこもりの考古学 第1回 余はいかにしてひきこもりとなりしか。慶応入試疑惑事件

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慶応大学三田キャンパス 写真・PhotoAC

文・ぼそっと池井多
 
「慶応入試疑惑事件」という副題は、慶応大学の入試の運営に疑惑があるという意味では全くない。この記事が慶応大学を批判するものではないことを、初めに申し上げておく。

では、なぜそんなまぎわらしい副題をつけたか。それは読んでいただけばわかるつもりである。

 

「どうしてひきこもったのですか」
とよく聞かれる。
 
大学を卒業する時、就職活動の最中に、私はひきこもりとなったわけだが、今にして思えば、ひきこもりの原因などというものは、一つや二つの出来事だけで説明がつくものなどでは決してない。

 

ひきこもりになる何年も前にさかのぼる多くの出来事が地層のように折り重なって、私がひきこもりになる必然性を整えていった 前 史 プレ・ヒストリーがあったのである。
そんな、ひきこもりになる前の出来事をしだいに発掘していく試みとして、この「ひきこもりの考古学」というシリーズを始めてみた。


「自分の子はひきこもりにしたくない」
などと考えることが、正しいかどうかはさておいて、そう考える親御さんのために読んでいただきたいシリーズである。

 
 

喜ばしい合格通知が一転して

1981年、私が慶応大学を受験したときのことである。

当時、名古屋に住んでいた私は、受けた入試の発表のたびに東京まで結果を見に出てくるのは大変だったので、東京に住んでいる友人に代理で発表を見に行ってくれるよう頼んでおいた。

ところが、友人の知らせより一足早く、かかってきた電話があった。
ある教育出版社で確固たる地位に昇り詰めていた正隆叔父さんである。

母の母の妹の息子、つまり母にとって従弟にあたる正隆叔父さんは、
一族の中では出世頭だった。

東北の小都市から東京へ出てきて、学生時代は母の家に下宿していたらしい。私の祖母の面倒見が良かったのである。

 

叔父は仕事柄、大学受験に関わる情報は誰よりも早く手に入る立場にあった。

この日も、合格者名簿の中にたまたま甥っ子である私の名前を見つけ、親切心から忙しい仕事の合間を縫って、私の母に電話をくれたものらしい。

「受かってたよ、ぼそっとちゃん。慶応、受かってたみたいだ。いやあ、おめでとう。……慶応の学生は金つかうからねえ。道子ねえちゃん、これからはぼそっとちゃんにはたんまり小遣いを持たせてやんなくちゃだめだよ!」
そう言って、叔父は電話の向こうで豪快に笑ったという。

 

合格の知らせ。

ふつうの家庭ならば、おめでたいはずである。

ところが夕餉の席で、母が父と私にその吉報を伝える口調は重苦しかった。

「わかる? 正隆ちゃんが電話で言うにはね、『慶応生はたくさん飲みしろ遣うから、ぼそっとにもお金をたくさん、たくさん持たせてやらなくちゃいけない』んだって」

そう言って、母はうなだれてみせたのである。

受験合格という、本来なら誉め言葉を山ほどもらえる時にも、私の家庭では報酬がなかった。

私は何も、お祝いに豪勢なモノを買ってほしいとか、身勝手なことを願っていたわけではない。

ただ、親たちの心の底からのお祝いとねぎらいの言葉がほしかったのである。

しかし、この重々しい空気では、そのような言葉はもらえようはずもなかった。

 

私は、重々しく語る母が、叔父の言葉を一つの方向へ歪めながら私たちに伝えているのがわかった。

その口調からは、母が人に罪悪感を着せたり、人から哀れみを引き出したりするときに使う、しめっぽい演歌のような短調の節回しがにじみでていたのである。

そもそも「飲みしろ」などという、場末の酒場でのやりとりを想わせる語彙を、叔父が電話で母に言ったとは思えない。

学習塾を経営するインテリ然とした母も、ふだんはそんな言葉は使わない。

母が何がしかの演出をもくろんで、そのような使い慣れない語彙を使っているとしか考えられなかった。

お金を「たくさん、たくさん」という繰り返し表現にしても、母特有の情報操作が感じられた。

ほんのわずかな母の言動から、まるで熱が銅線を伝わるような迅速さで、私の背筋に予感が走った。

母はきっと、この機会にまた私に何か恩を着せようとしているのである。

 

予感は当たった。
まもなく母は、その場でがっくりと泣き崩れるかのように溜息をついて、こう言い始めたのである。

「これから、この子の飲みしろを稼いでやるために、お母さん、前にも増して、いっしょけんめい朝から晩まで、身を粉にして働かなくちゃいけないのねえ」

 

私は危うく、いつものように雰囲気にのまれて
「ごめんなさい」
と謝りそうになった。

しかし考えてみると、どうだろう。
大学に合格して謝る子どもなど、いるだろうか。

 

私が考える電話の真相とは、こうである。
正隆おじさんにとって母は、長々と堅苦しいお祝いを述べなくてはならない相手ではなかった。
だから叔父は
「慶応生はリッチだ」
という世俗的なイメージを使い、
「これからは、ぼそっとちゃんにはたんまり小遣いを持たせてやんなくちゃだめだよ!」
などと意味のない軽口を叩いて、それをきっかけに電話を切り上げようとしただけなのだと思う。

 

母も、そんなことは重々わかっているはずであろうに、わざとそこだけデフォルメして伝えることによって、私に罪悪感を持たせようとしているのだった。

もっと社会にれた、能天気な十九歳の青年ならば、こんな時にはのっぴきならない家族の空気を切り替えるため、さらりとこう言ってのけたかもしれない。

「そんなことどうでもいいじゃん。とにかく受かったんだから、祝ってくれよ。それに、ぼくは大学に入っても、そんなに遊ばないから大丈夫だよ」

ところが、私の性格からして、そうは言えなかった。そうは言えない性格に育て上げられていた。

私も父も黙っていると、母はさらに調子づいて、こんなことを言い始めた。

「わたしはね、なんで正隆ちゃんが、わざわざあんなことを言うのか、『何かワケがあるな』と思ったのよ。ピーンと来たの。

だからね、わたし、正隆ちゃんに訊いてみたの。
『ねえ、正隆ちゃん。誰かお世話になった大学の先生とかいるんじゃないの? 御礼を差し上げておく先生は誰だか教えて?』
って。

そしたら正隆ちゃん、それには答えないの。
それでもう一度、
『慶応の学生は金つかうからね』
とだけ言って、そのまま電話を切っちゃったのよ」

そこまで語り、母は意味ありげに黙ってみせるのであった。

 

つまり、母は私の慶応合格を、教授に金をわたして成し得た裏口入学であるということにしてしまいたいのであった。

「お前の合格は、お前の力による、ほんとうの合格なんかじゃないのよ。
正隆おじちゃんが然るべき人にお金を積んでくれたおかげなの。

わたしの家は正隆ちゃんには、下宿してた頃からいろいろしてあげたから、今回のことも正隆ちゃんはいちいち誰にいくら積んだなんてことはわたしには言わないけどね。
……そうよ、そういうもんですよ、大人っていうのは。
つまりね、お前はお母さんのおかげで大学へ入れるんですよ」

そう、言いたいのである。

 

今も、ある有名タレントの裏口入学の真偽をめぐって裁判が進行しているようだが、世の中にどれほど裏口入学というものが実際にあるのか、私は知らない。

その点、私は世間知らずである。

しかし、もしほんとうにそういう裏口入学があったとしても、裏口入学した者たちは、裏口入学を隠し、正面から入学したように装うのではないだろうか。

ところが、池井多家においては、逆なのであった。

たとえ正面から入学を果たしても、母はそれを裏口入学にしてしまいたいのである。

なぜならば、それによって母は、

「お前の入学はお母さんのおかげなのよ。

お母さんがいなければ、お前は大学にも入れなかったのよ」

と私に恩が売れるからだ。

 

じつのところ、正隆おじさんは母と電話している最中には、どう思っていたのだろうか。

「なんだ、合格を知らせてやっただけなのに、道子ねえちゃんはまた電話の向こうで大学の教授がどうしたこうしたなんて、わけのわからんことを言い始めたぞ」

と舌打ちでもしていたのだと思う。

さらに、

「おれがぼそっとちゃんのために慶応の教授に裏金でも積んだってか。バカバカしい。こういう仕事している以上、そんな疑いをかけられたら、こっちだって迷惑だ」

と困惑したとも考えられる。


デスクの上には書類が山積み。
合格発表の当日でジャンジャン電話は入ってくる。
関わっている暇はない。
しかし、年上の従姉に対して、そのままガチャンと電話を切ると、のちのちまた面倒になる。……

そこで、とってつけた言葉になるかもしれないが、とにかくもう一回、
「慶応の学生は金つかうからね」
はなむけ代わりに同じ冗談をダメ押しして、ワンクッション入れながら電話を切った、というだけのことだったのだろう。

そういう想像に、私は確信が持てた。

 

しかし想像だけでは証拠にならない。

だが、事が事だけに、まさか正隆おじさんに事実を確かめるわけにもいかなかった。

 

母は、帽子から鳩を取り出す手品師に似ていた。

無から有を作り出す。

何も借りがないところに、借りを作らせる。

そうやって本来なかった所に自分の存在価値を割り込ませるのである。

 

 

褒められ、祝福されて然るべきだった合格発表の夜、私は悔しさと屈辱を心に密閉して床に就くことになった。

せめてもの救いは、その十二日後に控えている国立大学の発表だった。
なぜならば、もし国立に受かっていれば、もう私学には行かないだろうから、慶応の教授に叔父が裏から手を回したなどという、愚にもつかない母の仮構も、効力を持たなくなるのである。

十二日間は、いつもより日が経つのが遅く感じられた。

しかし、やがてやってきた国立大学の合格発表の日、事態はさらに予想だにしない展開を見せたのであった。

 
 
 
 ・・・「ひきこもりの考古学 第2回 一橋入試疑惑事件」につづく
 
 

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