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【ひきこもりと地方】「正社員じゃない姿は仮の姿だという思いがあるんです」福島県郡山市のひきこもり当事者・ともやんさんインタビュー第2回

前回のおはなし

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不登校から始まった6年間のひきこもり期間を経て、徐々に外出ができるようになった、ともやんさん。

通信制高校に通い、はじめての一人暮らし。

順調に見える一方で「自分はどこかみんなと違う」という違和感があったと語ります。

第2回は「働くこと」「家族との関係」について、お話を伺いました。

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セルフポートレイト 写真・ともやん
文:ともやん
文・編集:尾崎すずほ
文・監修:ぼそっと池井多
 

目次

 

 「人は働くものなんだ」

尾崎 アルバイトを始めたのは、通信制高校に通っていた頃ですか。

ともやん そうです。はじめてのアルバイトは交通誘導員でした。応募は捨て身の気持ちです。「人は働くものなんだ」と、自分に言い聞かせて飛び込みました。怖い印象もありましたし、だいぶ障壁が高かったです。

尾崎 うまくいかないのではないかと、想像で怖くなってしまうのですかね。

ともやん そうですね。これまでの人生の中で、あまりにも人と関わっている時間が少なかったので、未知なものが怖くて。アルバイト先の上司とか、会社で働いている人たちとか。ただただ怖かったです。

尾崎 実際に働いてみて、どうでしたか。

ともやん 3ヶ月で辞めました。肉体的にも精神的にもきつかったし、怖い場面もありました。仕事はどこも大変ですが、僕の場合慣れていかないんです。徐々に打ち解けていくとか、下らないことを言い合えるとか、それがなくて。

僕はここにいる人たちとは違う」というコンプレックスがありました。仕事とは別の心労があり、余計に疲れてしまったのだと思います。ずっと緊張しているし、張り詰めたままなんです。だからもたなくて。

尾崎 学校でも「みんなと違う自分にコンプレックスがあった」とお話しされていましたね。学校でも職場でも違和感があったとすると、確かに疲れるでしょうね。緊張感や張り詰めた感覚は、家に帰ってからも続きましたか。

ともやん 緊張感はないのですが、落ち込みがずっと続いていました。何でこんなに下手なのだろう、何でこんなにうまくいかないのだろうと。自責感からくる落ち込みが家にいてもずっと続きました。人間関係もそうだし、仕事もそうだし。自分は他の人と比べてできないという思いが、今でもあります。

尾崎 職場で実際に叱責される場面もあったのでしょうか。周りと比べてできていないと言われたり。

ともやん もちろん指導や怒られることはありましたが、回数としてはあまりないです。だから、叱責されて辞めたわけではありません。きっと、自分で自分を下手だなと罰しているのだと思います。

 

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23年前、はじめてのアルバイトの際に購入した革靴。履く機会が少ないため長持ちした。

写真・ともやん

 

世の中に自分のいる場所はないと思っていた 

尾崎 この時期は通信制高校に通い、自宅で勉強をしながらアルバイト。デイケアにも通われていますが、大変ではありませんでしたか。

ともやん 学校で刺激がある分落ち込んだりもするので、デイケアに関しては通うのが張り合いになっていました。スポーツや調理など自分が乗り気の作業の日だけ通っていました。

 

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デイケアで通っていた体育館。好きなスポーツをするのに通った思い出の場所。 所属する精神障害者のソフトバレーチームは、第1回・第2回と全国大会に行くほどの強豪だった。

写真・ともやん

尾崎 プログラムなどは決まっているのですか。

ともやん 普通は決まっているのですが、設立した当初のデイケアは自由でした。とりあえず部屋にテレビがあるぐらいで、行ってただ横になっている時もありました。作業療法の流れで絵を描いたり、若い人は体育館でスポーツをやったり。プログラムが決まった後もデイケアには通っていましたけど、居心地がよかったです。

デイケアはおじいちゃんおばあちゃんが多くて、雑談するような人はできなかったのですが、それでもサードプレイスとして機能していました。

尾崎 おじいちゃんおばあちゃんが多い中で、違和感や居づらいなという感覚はなかったのでしょうか。

ともやん 冷静に考えるとそうなのですが、当時は本当にここ以外に居場所がなくて。学校もアルバイトも辛かったし、世の中に自分のいる場所はないと思っていました。この頃、一度自死未遂をしたんです。それでも、スタッフからは「来ていいんだよ」「ただ横になっているだけでいいんだよ」と言ってもらえて、ありがたかったです。

ここに来ていいのだなと、身に染みて感じました。ただ行って救われるみたいな。友達感覚の人がいなくても、居場所だと思えていたのです。

 

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写真・ともやん

尾崎 何があってもそのままの自分を受け止めてくれる場所、自分が居てもいい場所があると感じたのですね。

ともやん そうです。自死未遂した後の呆然とした時期に行って、ただごろんと横になっている時にそう感じられたのです。

尾崎 学校や職場では、社会的な役割を果たさなければならないですからね。役割があるのは一見いいことのように思えますが、心が追い詰められたときに必要なのは、義務や役割を脱ぎ捨てた何者でもない自分を「ただ居るだけでいい」と受け入れてくれる人や場所なのでしょうね。

 

相談したいと思えるほど心を開ける人がいない

尾崎 その後、通信制高校を中退して実家に戻り、単位制高校に入ったのですね。

ともやん はい。単位制高校に入ったのは通信制高校を辞めて2年後ぐらいです。通信制高校には3年通っていたので、残りの単位があれば卒業できると周囲に勧められました。半年かけて単位を取得し、28歳にようやく高校卒業となりました。

決して楽しくはありませんでしたが、半年と決まっていたので、ひたすた我慢をしながら通ったのは覚えています。単位制高校の先生方は情熱があり、通学の度に僕を気にかけてくれたのも支えになっていました。

尾崎 期間が決まっていれば、大変なことがあっても何とかやってみるかと思えますよね。

ともやん 免許を取得したときもそうでした。緊張するし楽しくはないけれど、2ヶ月通えば取れるというのを心の頼りにしていました。

尾崎 正社員で働かなきゃ」という気持ちがずっとあったようですが、アルバイトで働いている際もその気持ちは強かったですか。

ともやん 正社員じゃないと中途半端だとか、正社員じゃない姿は仮の姿だという思いは、過去も現在もあるんです。でも、だからといって求人に応募はしていないんですよ。最初からやれそうにない、とても無理だなと思って。

尾崎 アルバイトでもうまくできていないから、無理だと思うのですかね。

ともやん もちろんそれはあります。アルバイトであっても、業務・コミュニケーション、どちらもうまくできないので。

尾崎 「20代でいくつかアルバイトをしたけれど、半年持たない」というお話がありましたが、ご自身の辞めるパターンってありますか?いつもこれがうまくいかないとか、これが理由で辞めてしまうとか。

ともやん 共通しているのは、親しくなる人がいないんですよ。周りは人間関係を作っていって、それなりに仲良くやっている。それができない自分はダメなんだな、人と違うのだなと思うんです。仕事も人よりできるわけじゃない。自分はダメだという思いが溜まりに溜まって、嫌になって辞めるパターンです。

 

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住宅地と街をつなぐ跨線橋。一日の振り返りをする場所。 写真・ともやん

尾崎 職場の人に困りごとや悩みを相談するのも、難しかったりするのでしょうか。嫌になって辞める前に、誰かに話すのも難しいですかね。

ともやん そうですね、それができないんですよ。結局、相談したいと思えるほど心を開ける人がいないんでしょうね。尾崎さんのように、過去の経験を話せる人にはすごく喋れるんですよ。今でも人間関係が続いている人たちは話せるのですが。

アルバイトをする際は、不登校やひきこもりの経験なんて当然隠しているので、その上で気張っていると、だいたい半年が限界なんですよね。

尾崎 ともやんさんのお話は、とても共感できますね。私も不登校やひきこもりの経験は言わずに働いているのですが、周囲の人と根本的な価値観が違うと感じることがよくあります。

去年、ひきこもり関連の事件の報道が盛んにされて、私の職場でも話題にのぼっていたんです。他の人との考え方や感じ方の違いが浮き彫りになりましたし、私のようなひきこもり経験者を周囲は悪だと位置づけているのだなと感じると、分かり合えない壁があるような気がしました。その経験は記事にもしましたが。

今までの自分の経緯を理解してもらった上で働けたらどれだけいいだろうか、と思います。でも、様々な仕事に携わってきても、そこが一番難しいです。

ともやん 本当にそうですよね。やっぱり言える職場と言えない職場は違います。それは僕のこれからのテーマでもあるんです。だから僕は、次働く場所ではこれまでの経験をオープンにしたいと思っています。

 

10年続いたアルバイト

尾崎 30代になってからは、資格を取って障がい児童の支援員をされていたそうですが、この仕事はどういった経緯で始められたのでしょうか。

ともやん 単位制高校を卒業した後もデイケアには通っていたのですが「社会参加しなければ」「お金を稼がなければ」という思いから、いくつかアルバイトをしたんです。しかし短期間で辞めてばかりで、自信をなくしてしまい、僕にとっては失敗体験になりました。

その過程で居場所がほしくて、地元のNPO法人が運営している作業所に相談に行ったんです。はじめはそこでボランティアをしていたのですが、しばらくして「発達障がい児童の放課後デイサービスができるので、手伝ってもらえませんか」と、声をかけていただきました。

そこでパートとして一年半働いた後、一旦辞めてヘルパーの資格を取得し、週1~5日不定曜日で10年間働いていました。

尾崎 10年ですか!今までのお話では、続いても半年でしたよね。なぜそれほど長く続けられたのでしょうか。

ともやん 確かに10年続いたアルバイトは他にはないですが、最低週1日ですから、あまり意識したことはないです。ヘルパーの仕事は、利用者さんと一対一なんですよ。車での移動支援や、外出・自宅での付き添いをしていました。働いていた会社も僕のひきこもりの経緯を知っていたので、心が楽だったんですよね。だから続いたのかな。

 

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ヘルパーのアルバイトで使用していた名刺入れ。10年持ち歩いた。 写真・ともやん

尾崎 なるほど。周囲と比較して「自分ができていないのではないか」と不安になったり、打ち解けられないことにコンプレックスを感じていたとお話しされていましたよね。一対一であればその不安もさほどないでしょうし、会社がひきこもりの経緯を分かってくれていれば、何かあったときに相談をするハードルも下がりますね。

私も一人であったり、一対一の仕事の方が気が楽だし長く続くので、わかる気がします。他の仕事をしながらも、ヘルパーの仕事は続けていたのですね。

ともやん はい。ダブルワークというと大変そうなイメージですが、時間にしたらそれほど多くはないので。週1日ヘルパーの仕事をして、他の仕事は多くても週4日です。

尾崎 私も仕事を掛け持ちしているのですが、1つの場所でずっと働くより他に仕事がある方が気持ちが切り替えられるんです。複数働く場所を持つことで「ここを辞めたら、次がないかも」という不安がなくなったのですが、ともやんさんはどうですか。

ともやん まさに僕も同じです。1つの場所で働く方が不安になりますね。複数の場所で働く方が、むしろ楽かもしれないです。

尾崎 ともやんさんは現在単発のアルバイトをされているそうですが、今のご自身をどのように捉えているのでしょうか。

ともやん アルバイトをしてないときは家にいるので、自分は今もひきこもりだと考えています。人目を気にしたり、後ろめたさがあります。買い物などで外には出られるけれど、どこにも属せない。人が怖くて会社や社会に入っていけない今の状況は、社会的ひきこもりという言葉が当てはまると思っています。

 

地方のひきこもり支援

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郡山駅前 写真・ぼそっと池井多

尾崎 郡山地域の情報をネットで調べたのですが、ひきこもり相談をできる場所が少ないですよね。若年層対象のものが多く、中高年を対象にしたひきこもり相談はないのかなという印象を受けました。これは、地方に限った話ではないのかもしれませんが。

ともやん そうですね。就労支援NPOでも34歳で区切っているところが多いです。ただ最近は実情を踏まえてか、35歳を超えていてもよいという場所も増えてきました。実際に行っても拒絶はされません。けれど、いわゆる中高年対象で「就労支援します」と謳っている場所は、僕が知る限りだと郡山では1ヶ所しかないと思います。

尾崎 なるほど。若年層と中高年だと状況も違うでしょうから、対象が「10代から」という場所に中高年も行っていいのかなと、戸惑ってしまうのではないかと思いましたが、いかがでしょうか。

ともやん 難しいですよね。10代20代の人の中に混じるのはバツが悪いかもしれないです。僕は歳をとってから開き直って、周りが若い人でもここに通うしかない、遠慮している場合ではないと腹がくくれるようになったので、視点が変わりましたが。

尾崎 ともやんさんご自身は、就労支援は利用されましたか。

ともやん 利用していました。頼らざるをえないので。サポステには就労体験で数日、中高年に対応している就労支援のNPOには1年半通いました。

尾崎 どうでしたか。行ってよかったですか?

ともやん スタッフの方も信頼できるし、行ってよかったです。働けないコンプレックスがあったので、作業した分の報酬が少しお金で出る就労体験もさせてもらって、とてもいい経験になりました。

ただ、通っている中で僕の内面にある「自分は何者なのか」「どうやって生きていくのか」「仕事ってなんだろう」「何でこんなに苦しいんだろう」という葛藤とは違う方向へ向かっているようで、疑問が消えず不安にもなりました。

ぼそっと それは東京近辺でもよくある話です。私は中高年ひきこもりのための語らいの場を主宰していますが、当事者はみんな心ゆくまでそういう抽象的な問題を話し合いたいんですよ。なのに、プロの支援者は、どうしたらひきこもりが「労働力」になれるかと実践的な技法ばかり教えようとする。そこに齟齬が生じがちですよね。

尾崎 ともやんさんの場合は、それでどんなことがあったのでしょうか。

ともやん 就労支援のNPOは「頑張って通いながら、生活のスタイルを作っていきましょう」というような、コース制だったんですよ。

尾崎 まずは朝方の生活にするとか、就労をイメージして決められた時間に毎日通うとかですか?

ともやん そうですね。目標は生活のリズムを整えて仕事に通えるようになることです。自分の内面を掘り下げたり、興味・関心を伸ばすことは、あまりしていないように僕は感じました。「夢を持つのは結構だけれど、まずは働いてから夢や好きなことに向かっていくんだ」と言われて。そう言われると正しいとは思うのですが、がっかりした気持ちになりました。

尾崎 「夢や好きなことでは、食べていけないでしょ」と。現実を見て、社会に適応できる人間になることを求められていると感じたのですね。

ともやん はい。でも、辛いけれど頑張って通えばいいことがあると信じていました。スタッフの方を信頼していましたから。信頼していなかったら辞めていたかもしれませんが「あのスタッフの人が言うなら頑張ってみよう」と思い、通っていました。

尾崎 お話を伺っていると、ともやんさんの学生時代の話と同じだなと思うんですよね。学校に行けていない、働けていない、という現状否定がベースになって物事が進んでいくから辛いのではないかと。

ともやん そうですね。ちょっとずつ無理をして頑張ろうとするうちに、無理が溜まっていってしまう。バーンアウトする感じは同じかもしれないです。

尾崎 今の日本は労働環境にも大きな問題を抱えていますよね。私は個人だけが変わればいいのだろうかと、つねづね疑問に思っています。適応できる人間になるとか、耐えられる人間になるとか、まずはそれができていない今の自分を否定しなければならない。

そうなると例え就労ができたとしても、自分はダメだという否定的な部分にばかりフォーカスが当たって、働き続けるのは困難になるのではないかと思います。

ともやん そうなんですよ。自分の悪いところに焦点を当てているのは気付いてはいるんですが、よくそのパターンに陥ってしまいます。欲張りすぎなのかもしれないですが、支援者には「働けていない自分」でも自信を持てるように関わってほしかったな、という思いはありますね。

尾崎 ひきこもりは働いていないから、いろんな人にいろんなことを言われてしまいます。でも、例え就労できたとしても生きづらさがずっと続くのであれば、就労がその人の人生にプラスになるのかどうかはわからないな、と私は思うんですよね。ひきこもり状態から脱して働いても、無理をして精神的に追い詰められ、自死してしまった方の話も聞くので。

ともやん そうですね、それは起こり得ることだと思います。

尾崎 ともやんさんは、今現在は就労支援にどのような思いがありますか。

ともやん 今からもう一度、同じ場所に行こうとは思わないです。でも就労支援という制度に不満を感じながらも、そこに行って何かを模索する方が、何もしないで一人で部屋にいるよりかはよいのではないか、と思っています。頭で考えているだけでは、なかなかしっくりくることには出会えないですし、何かしら行動をしながら掴めていけるのではないかと。もちろん正解はありませんが。

 

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郡山市街 写真・ともやん

 

親という、大きすぎるテーマ

尾崎 ご両親との関係はどうでしょうか。

ともやん 良くはないです。若い頃は荒れて当たっていましたし。今も面と向かって話し合うことはなく、お互いに会話を避けているような状態です。

不登校になった当初は、親も困惑していたようで、むりやり車に乗せて学校まで連れて行かれました。しかしある程度すると、本人に任せる姿勢に変わっていったように思います。ただそれは親が本当にそう思えたわけではなく、何も手立てがなかったらからではないかと。

不登校と反抗期の時期が重なって、両親との摩擦・確執が始まり、今現在も解決はしていません。不登校時代に孤食が始まってからは、両親と食卓を共にすることがありませんから、まともに話もしていないです。やはり、人生の中で親との問題は大きなウェイトを占めます。

尾崎 私自身も不登校やひきこもり、今でも続く生きづらさの根底部分には親との関係があります。親子関係で悩まれているひきこもり当事者の方は多いですよね。

ともやん 親というのは大きいテーマですね。ただ、大きすぎるテーマでどこから手をつけたらいいか、わからないんです。親との関係が変われば、もしかしたら何か変わるのだろうか、とずっと思っています。だけど、実際向き合ったとしても気持ちがざわついたり荒れてしまうのがオチで。建設的な話ができたことが一度もないんです。

尾崎 建設的な話ができないというのは、とてもよくわかります。親世代と子ども世代では、生きている世界がまったく違うので、すり合わせも難しいですし。どうしてこれほど話が通じないのだろうと苦しく思ったりもしますね。

ぼそっと だからこそ、ひきこもり家庭の親子が対話する機会を社会に増やせたら、と私は願っています。親子だけで対話できなかったら、そこに第三者が立つことで対話できることもあるかもしれない。

ともやん 僕はひきこもっていた頃「自分は何者なんだろう」「なぜこんなに生きるのが苦しいのだろう」と悩んでいました。ある時、読んだ本に「子どもの頃に親などから受けた心の傷が大きく、大人になっても癒えないままで苦しんでいる人がいる。そして、その傷が現在の思考や行動に影響している」といったことが書かれていたんです。

それで、過去と家族に僕の苦しみの原因があって、今の自分が苦しいのはそれが理由だったのだと気付けました。

 

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写真・ともやん

尾崎 大人になってからも自分を必要以上に責めたり、厳しくしてしまう考え方の癖があって、その原因が親との関わりの中で構築されてきたパターンだったということは、確かにありますね。今現在はどうでしょうか。

ともやん 昔は親を変えたい、価値観を変えて自分を認めてほしい、と思いましたが、40歳を超えて自分の衰えを感じてくると、あまりそういうことは思わなくなりました。それよりも僕自身が快適に、どう気分よく生きていけるか、ということを考える方にシフトしています。

尾崎 自分を責めるような考えも薄まってきて、生きるのが楽になった感覚もあるのでしょうか。

ともやん 難しいですね。昔よりは薄まっていると思いたいんですが、厄介なことに歳を取ったら取ったなりに、別の問題がでてきているんですよね。これからの人生のこと、親の介護のこと、自分の健康のこと。若い頃抱えていた多くの悩みは、歳を重ねて楽になった感じはあるのですが、最近は別のことで悩んでいます。

 

きょうだいとの関係

尾崎 ともやんさんは、ごきょうだいはいらっしゃるんですか。

ともやん 3人きょうだいで、僕が長男です。

尾崎 ごきょうだいは、ともやんさんの不登校時代、ひきこもり状態については何か言っていましたか。ひきこもり当事者の間では「不登校やひきこもりを始めると、きょうだい仲も悪くなる」という話をよく聞くのですが。

ともやん 子どもの頃は一緒に遊びましたが、僕の心身の不調や不登校が始まってからは、ろくに会話もしていないかもしれないです。最近になってきょうだいから「不登校の身内がいて苦労した」「奇異の目で見られた」と言われました。

当時の僕は、きょうだいや親が周囲からどう評価されているのか、どう見られているのか、多少考えたりはしましたが、正直その程度で。起きている時間は自責感に苛まれていたので、それ以上省みることはなかったです。

尾崎 きょうだいはきょうだいで、周囲からの視線や人に打ち明けられない悩みを持つ苦しみがあるといいます。ひきこもり経験者がひきこもっていたことを言えないように、家族の中に秘密ができると、それを隠しながら人と接しないといけないですし。ともやんさんのごきょうだいも、今になっても消化できないほど辛かったのかもしれませんね。

だからといって、不登校やひきこもりになったことが悪いわけでは、もちろんないですが。東京には、ひきこもりの兄弟姉妹の会がありますが、抱え込まずに打ち明け合ったり相談できる場所が広がってほしいなと、私は思います。

 

「ともやんさん 第3回」へつづく

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<プロフィール>

ともやん 福島県郡山市出身のひきこもり当事者。郡山市にて「大人のひきこもりの話を聞く日 中高年・長期ひきこもりについて考える」イベントを企画。

尾崎すずほ 東京出身の元ひきこもり。冊子版7号~9号/ WEB版【ひきこもりと地方】対談記事を執筆。ひきこもりUX女子会アベニュー運営スタッフ。

ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。

 

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