ひきこもり経験者による、約1000文字のショートショートをお届けします。〈生きづらさ〉から生まれた小さな世界をお楽しみください。
アダチンティス ~失われた文明~
西暦2XX0年、トシとキヨタの二人は、立入禁止の土地に足を踏み入れた。
そこは、東京22区と埼玉県の境。
通称「アダチンティス」と呼ばれる地域だった。
「アダチンティス」は見渡すかぎりの荒れ地で、地平線の果てに、さいたま本庁舎ビルがかすんで見えていることをのぞけば、ボロボロの廃墟が広がっている。
トシとキヨタは、崩れたコンクリートブロックのあいだを通り抜け、慎重に足を進めた。
「気をつけろよ、何が起こるかわからないからな」
とトシがいう。
「ああ。わかってる。それにしても、墨田区のそばにこんな荒れ果てた大地が広がっているなんて、信じられないな」
「アダチンティス」は原因不明の災厄によって、突如歴史から消えさったのだ。
周辺住民からは忌み嫌われており、埼玉県民が東京へ出るときには、わざわざ葛飾区まで迂回していた。
二人は崩壊したビルのあいだを通り、「アダチンティス」の奥へと進んでいった。
ある場所では、巨大なコンクリート片が積み重なり、雑草がはびこっていた。
きっと昔は巨大な建物だったのだろう。
「あっ、危ない!」
突然、すぐそばのコンクリート片の残骸が崩れ、キヨタのそばに岩が転がってきた。
「大丈夫か!?」
「ああ、問題ない。それより、見てみろよ、あれ」
崩れた遺跡の方を見てみると、文字の彫られた岩のようなものがある。
「何て書いてあるんだ?……アシタテ……区役所……?」
キヨタが読もうとした石碑には、「足立区役所」と掘られていた。
「アダチ、と読むんだろう。『アダチンティス』の正式名称だ」
とトシがいう。
「さすが、物知りだな。向こうにも看板が見えるけど、あれも読めるか?」
キヨタが指さした先には、「舎人(とねり)」と書かれた道路標識の残骸があった。
トシは解読しようとしたが、読むことはできなかった。
「アダチンティス」の崩壊とともに、日暮里舎人ライナーも消滅していたのだ。
二人は周囲に気をつけながら、足立区役所の跡地を探索した。
キヨタが崩れた役場を探っていると、朽ち果てた旗が出てきた。
「これは何だ?アダチ区のシンボルか何かかな?」
ホコリをはたいてみると、六色の虹が描かれているのがわかった。
「昔のアダチ区の人々は、虹が六色に見えていたのか?」
キヨタが疑っていると、トシの呼ぶ声がした。
「なあ、こっちに来てみろよ。写真がたくさんあるぞ」
トシは砂ぼこりをはらいのけ、いくつかの写真を拾い上げた。
そのうちの一枚は、ウェディングドレス姿の女性カップルだ。
大勢の人が結婚を祝い、二人は幸福に満ちた表情をしている。
他にも、愛する者同士のキスや、微笑みながら子どもを抱く男性の写真があった。
「みんな幸せそうだな。きっと、良いアダチ区民だったんだろう」
「それにしても、いったい何があったら、アダチ区だけが亡びるっていうんだ?」
写真を見たキヨタが不思議がった。
「今はもう、アダチ区の文献も残ってないからな。しかし噂によると、『愛』によって滅んだといわれている」
とトシがいった。
「『愛』って、悪いものなのか?人を嫌いになることじゃなく、人を好きになることじゃないか。それのどこが問題だっていうんだ」
「わからない。アダチ区には、今の僕たちからは想像もできない文化や価値観があったんだろう」
そのあとも、二人はアダチ区の遺跡をあちこち見て回った。
しかし崩落した建物ばかりで、他にめぼしいものは見つからない。
せいぜい、「足立生物園」が寄生植物の巣窟になっていたくらいだ。
「さて、日が暮れないうちに、そろそろ帰るとしようか」
トシがいった。
「そうだな。僕たちみたいな東京都民には、やっぱり用のない場所だったらしい。もう来ることもないだろうな」
とキヨタがこたえた。
そうしてトシとキヨタは、手をつないで東京22区へと帰っていった。
すこし足早だったのは、このあと、隅田区で人気のイタリアンを予約していたためだ。
END
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文・アートワーク 喜久井ヤシン(きくい やしん)
東京在住の詩人。不登校とひきこもりと精神疾患の経験者で、アダルトチルドレンのゲイ。
Twitter https://twitter.com/ShinyaKikui
※何らかの出来事を連想させる場合もありますが、この物語はフィクションです。実在の人物・出来事とは無関係です。
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