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ひきこもり娘と父の擬似親子対論 第2回 「お父さんの "生きづらさ" も知りたいの」

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・・・第1回からのつづき

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前回までのあらすじ
2019年6月1日に、大田区蒲田にある産業プラザPioで開催した第3回「ひきこもり親子 公開対論」で擬似父娘対論が行われた。ひきこもり当事者である娘「ゆり」は、父親とコミュニケーションをとりたいと思っているが、うまく行かない。ところが父親も、娘との会話をどうしてよいかわからず困っていたのだった。……

 

文・編集 ぼそっと池井多 & ゆりな

「娘に軽蔑される父親になりたくない」

ぼそっと池井多(ゆりの父) とにかく、お父さんとしてはね、ゆりが何考えているかよく分からなくて。家の中でお前との間に会話が生まれないので、お前がひきこもっていることをすごく心配してるんだが、どうしていいんだか分からないんだよ。

お父さんは、どうしたらいいんだ?

ゆりな(ゆり) ……。

ぼそっと池井多(ゆりの父) お前はさっき、「お父さんにもっと弱みを見せてほしい」と言ったけれど、お父さんがもっと弱みを見せたら、ゆりはお父さんのことを馬鹿にするんじゃないか?

お父さんとしては、それがちょっと怖いんだよ。娘に軽蔑されるような父親にはなりたくないんだ。

ゆりな(ゆり) 私は、軽蔑はしないよ。弱みを見せてくれることによって、お父さんの中にある苦しみだったりに、私は思いを馳せたい。

ぼそっと池井多(ゆりの父) なるほど。しかしね、お父さんもこの年まで「弱みを出すまい、出すまい」として生きてきたから、いまさら急に、弱みを出す人間に変わろうとしても、そう簡単に出来ないんだな。

じゃあ、小さいことから始めてみようか。もしお父さんが、会社で面白くないことがあったとする。夕方、家に帰ってきて玄関を開けると、リビングでお前たちが過ごしている。

その時、ゆりはお父さんにどうして欲しい?

ゆりな(ゆり) 「ただいま」って一言でも言って欲しい。

ぼそっと池井多(ゆりの父) 「ただいま」って?

ゆりな(ゆり) うん。いつもは「ただいま」も言わないから。

ぼそっと池井多(ゆりの父) 「ただいま」も言えないくらい、仕事で考えることがたくさんあるんだよ! そういう時は機嫌も悪いんだ。

一言「ただいま」とか言い始めたら、それを皮切りに色んな愚痴が出てきてしまいそうで、それで「愚痴る男」なんてのは最低だと思ってるから、そうなりたくなくて、それでお父さんは何も言わないんだよ。

お父さんは愚痴ってもいいのか?

ゆりな(ゆり) (うつむく)

 

ぼそっと池井多(ゆりの父)(娘の顔をのぞき込む)

ゆりな(ゆり) (1分40秒の沈黙)

愚痴っちゃいけない、とは言わないけど

私はきっと、お父さんが愚痴をこぼしてくれたら、その愚痴の中にお父さんの考え方だったり、思ってることを見出すことができると思う。

 

子どもにとって、親は「人生のひな型」

ぼそっと池井多(ゆりの父) お父さんの考え方を知って、お前はどうするんだ?

それで、何を得られるんだ?

ゆりな(ゆり) 私にとって、お父さんの生きづらさを知るということは、いま生きる私自身の生きづらさを減らすことでもある。

子どもにとって、親は「人生の雛型」であり、子どもは、生まれてから何事も最初は、親の生き方を模倣することでしか生きていけない。

お父さんの生きづらさと、私の根源的な生きづらさは繋がっている。それは、お父さんが仕事から帰ってきたときに私の前で発する空気、言葉の端々、態度、佇まいに、お父さんが抱えている生きづらさが込められているから。それらは、同じ家の中で、間接的に私のからだに染み渡っていく。

だから、お父さんの生きづらさを知ることが私の生きづらさを減らすことに繋がっていくと感じるんだ。

ぼそっと池井多(ゆりの父) なるほど。まあ、親の生き方を真似て、子どもは生きるっていうことは、お父さんもどこかで考えていたよ。だからこそ、お前たちにはお父さんの弱いところは見せないようにして生きてきたんだけど。

「弱いところも、生き方のうち」ということかな?

ゆりな(ゆり) (はっきりと、うなずく)

ぼそっと池井多(ゆりの父) じゃあ、ゆり。お前は、今の私たち家族に何を欲している? この会話のない、行き詰ったこの家族に、もっと何を求めている?

ゆりな(ゆり) お互いがお互いに、本当はどう思っているのか、話す機会が欲しい。 

ぼそっと池井多(ゆりの父) (静かに、繰り返しうなずく)

それじゃあ、お母さんも交えて、一度そういうことを話してみるかな。

 

お父さん、アップデートして 

ぼそっと池井多(ゆりの父) ただね、お父さんとしては、すごく勇気がいるなあ。

それはなぜなら、今まで「語らない」ということで「自分」というものが固まって生きてきたから。この齢になって、自分の形を崩すっていうのはすごく勇気がいる。

でも、せっかく親子として同じ家の中に暮らしているのに、いつまでも対話がないんじゃあな。

うむ。とにかくお父さんの一存では決められないから、やっぱりお母さんにも相談してみよう。

ゆりな(ゆり) ……。

ぼそっと池井多(ゆりの父) ゆりからお母さんに何か言いたいことはあるか? そうすれば、お父さんから言っておいてやろう。

ゆりな(ゆり) (40秒間の沈黙)

お母さんにも、お父さんにも聞きたいことなのだけど、なんで自分の考え方を「アップデート」しようとしないのかなって、すごく不思議で。

なんで、いつまでも古い価値観で、“古い地図”を握りしめたまま生きているのか、私はすごく疑問に思う。

ぼそっと池井多(ゆりの父) その「アップデート」っていうのは何だ。

お前たちの世代は、よくコンピューターだとか、スマホだとかの言葉ばっかり使うからよく分からないんだけど。

ゆりな(ゆり) 私が考える「アップデート」っていうのは、つまり、これまでお父さんが生きてきた思考の流路は保ちつつも、そこに新しい考え方を取り入れるということだよ。私はお父さんに「価値観を新しく」してほしいの。

ぼそっと池井多(ゆりの父) ふむ。……

しかし、「価値観を新しくする」ということは、お父さんやお母さんが今まで五十年も六十年も生きてくる間に、いろいろ試行錯誤して、ようやく「これでいいんだ」と安心している価値観を一回崩すことになるみたいで、怖いんだよ。

なぜ、いまさら物を知らない若い人たちに教えを乞わなくちゃならないのか。それを思うと、面白くもないのさ。

ゆりな(ゆり) ……。

ぼそっと池井多(ゆりの父) それとな、お前もお父さんの齢になれば分かると思うが、年を取ってくると頭がだんだん固くなってくるんだ。新しいことがだんだん頭に入ってこなくなる。

それは悪いことばかりじゃなくて、頭が固くなってくるということは、それだけもういろいろなことを学んで生き方が固まってきたということなのさ。

ゆりな(ゆり) ……。

ぼそっと池井多(ゆりの父) でもな、アップデートするにしても、何にしても、やっぱりお前がいろんなことを話してくれないと、お父さんも考え方をアップデートしようがないよ。

今までお前がお父さんに話してくれそうな時、お父さんがお前の話を聞かなかったことがあったか? 

お前が話してくれそうな時は、いつも聞いてきたと思うんだが。

 

 

子育てはお母さんに任せてた

ゆりな(ゆり) (1分間の沈黙)

今、お父さんに初めて話すけど……私は中学2年生の時にいじめられていた過去があって、そのとき私なりに、家族にSOSを出しているつもりだったけど、お父さんの態度は全く私に関心が向いてなくて、「学校生活はどうだ?」とか、そういう言葉もなかった。

ぼそっと池井多(ゆりの父) そうか。....そりゃあ悪かったが、ただ、お前の学校生活のことはお母さんに任せてたんだよな。  お父さんが聞く時間がなくても、そのへんはお母さんが全部よろしくやってくれていると思ってた。 

ゆりな(ゆり)……......子育てとか育児に無関心だったのは、仕事が忙しかったから?

ぼそっと池井多(ゆりの父) 無関心だったつもりはないが、...まあ、お前から見れば無関心だったことになるのかな。

でもな、お父さんは外で働いて、お前たちを食わせる稼ぎを家の中に入れるのが、家族の中での役割だと思っていたから、それでいいと思っていた。子育てなり、育児なりは、お母さんがやってくれているんだろうと思ってたさ。

ゆりな(ゆり) .......お父さん自身は、本当に子どもを持つことを、望んでいたの?

ぼそっと池井多(ゆりの父) もちろん。望んだから、お前たちが生まれてきたんだろ?

ゆりな(ゆり) 子どもを持つことを望んでいたら、子育てに無関心になるかな?

ぼそっと池井多(ゆりの父) いやあ、生まれてくるのと、子育てするのとは、また別だなあ。

さっきも言ったように、子どもが生まれてきたら、お父さんは自分の役割を果たすべく、ちゃんとお前たちを食わせるために働いて給料を持ってきたじゃないか。それが、お父さんにとっての、子どもを持つということだ。

実際に学校の細かいことや、弁当を作ったり、ぞうきん縫ったり、いじめられてないか話を聞いたり、そういうことは全部お母さんがやってくれていると思ってたよ。

 

ゆりな(ゆり) 手伝おうとは思わない?

ぼそっと池井多(ゆりの父) ううむ。手伝いたいと思っても、まあ、お父さんは会社の仕事が忙しかったからなあ。

そりゃあ、外で働いていれば色んなことがあって大変なんだよ。

それでうちに帰っても家の中のごたごたを考えるなんて、疲れちゃってできないさ。

でも、お前が中学でいじめられていたというのは初耳だったけど、それはお父さんとしてもちゃんと話を聞いてやるべきだったのかもしれないな。

お前としては、お父さんに話そうとしてくれていたんだな。

ゆりな(ゆり) (少し顔を上げて、うなずく)

ぼそっと池井多(ゆりの父) そうか。そりゃあ、悪かった。全然、気が付かなかったよ。

じゃあ、これからでも遅くないから、お前の言うその「生きづらさ」というものを、お父さんにせいぜい語ってくれ。

お父さんもどこまで出来るか分からないが、お父さんの生きづらさも、お前に語るようにするよ。

ゆりな(ゆり) (優しい気持ちでそっと、まばたきをする)

 

お父さんが人生に望んだもの

ぼそっと池井多(ゆりの父) あと今日、なぜだかわかんないけど、これだけたくさんの人が私たちの会話をここで見てるから(会場笑)、この席でお父さんに言っておきたいことはあるか?

ゆりな(ゆり) ……今日、自宅を出る時、寝室に置いてある写真立てが目に入って

その写真立てには、幼い私がお父さんに肩車されている写真が飾られていて、私は今日、その写真を見てから家を出てきたんだけど

写真の中でかすかに微笑んでいるお父さんの顔を見て、

私の心の中には、

「お父さんは、人生に何を望んだのだろう?」

という思いが浮かんできたのだけど…....どう?

ぼそっと池井多(ゆりの父) 私が人生に何を望んだか、か。うーむ。

まあ、人並みに大学を出て、人並みに就職して、人並みに結婚して、人並みに家庭を築いて、一種の達成感があったな。

おまえを肩車して微笑んでいた、あの微笑みはおそらくそういうことだよ。「よくやった俺」という思いもあったな。

そりゃあ人生、欲を言えば限りがないかもしれない。もっとお金が欲しいとかな、もっとあっちこっち行きたいだとか、そりゃあお父さんだっていろいろ考えるときもある。人間だからな。

でも実際、現実的な制約があるから、そんな中で考えるなら、お前という娘がいて、こういう家庭があって、それだけでお父さんは人生で一つ、達成したと思ってるよ。

しかし、ゆりが人生に求めているものというのは、そういうことではないのかな?

ゆりな(ゆり) うん。

ぼそっと池井多(ゆりの父) どういうことなのかな?

ゆりな(ゆり)……お父さんはこんにちまで公務員として勤め上げることができた人だから、何かのルールを飲み込むのが早かったり、そのルールに従うのが上手いかもしれない。

けれど、私はそういった、元の分からない、すでに用意されたルールを鵜呑みにして、“自分”という意識をかなぐり捨てて、従うことができない。

だから私の生き方としては、理不尽なルールに縛られずに、自分のやりたいこと、それは例えば、自分だけの言葉を紡いで記事を書くことや、

私自身だけでなく、人の自尊心を大切にできる、そういう仕事ができたらいいなと思ってる。

ぼそっと池井多(ゆりの父) そうか。まあ、そういう風に決めたのであれば、お前はお前の人生を歩めばいいと思うよ。

お父さんはな、たぶんお前のように自分で何かを作り出すとかいうことに、あまり興味がないんだな。

それはもう、職場である役所に行けば、びっしりといろいろなルールがあって、そのルールの通りに物事を処理していけば、月末には給料が振り込まれるわけだ。それが人生だと思ってきた。

でも、お前はそうではないというのであれば、やってみればいいさ。

まあとにかく、人生に求めるものがお互いに違ったとしても、もうちょっと父と娘の間で、これからは会話をしていこうじゃないか。

それはお前も望んでいることだろ?

ゆりな(ゆり) (父の目を見据え、うなずく)

 

ぼそっと池井多 じゃあ、そういうことで今日は締めくくりましょう。

どうもありがとうございました。(拍手)

それでは、第3部の全体対論に移りたいと思います。……

 

第3部の全体対論では、会場に来ていたお父さんたちに、私ぼそっと池井多の父親へのなりすましぶりは100点満点で何点いただけるか訊いてみました。

すると、ありがたいことに99点という高得点をいただきました。

こうして、この日は子ども、当事者の立場の悩みもさることながら、お父さんの立場の生きづらさ、生き苦しさにも強く思いを馳せる一日となりました。

また機会があれば、さまざまな組み合わせで擬似親子対論を行ない、それぞれの立場の物の見方、考え方を交流させたいと考えております。

 

(了)

 

<プロフィール>

ゆりな 2018年2月にひきポスと出会い、物書きデビュー。
以降、自身の体験や心に触れる違和感・痛みを書き綴る。
自己否定の限界が訪れた先で、社会とぶつかった接点に残る傷は、今も薄い皮膜を帯びながら、「生きること」への恐怖を訴えてくる。
苦しさの根源に向き合い、自己と社会の-あわい-の中で、言葉を紡いでいきたい。

ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的に35年ひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。2020年10月、『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(寿郎社)刊。

  

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