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ベトナムの「準ひきこもり」ベトアン、本誌を題材に映像作品「ひとり。」を撮る

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ベト・アン・マイの映像作品「ひとり。」より

文・ベト・アン・マイ 

訳・ぼそっと池井多

写真・ベト・アン・マイ, Pixabay

 


ぼくはベトナムの首都ハノイで生まれ育った。

ずっと、1ヵ月以上ハノイの街を出たことはなかった。

 

でも、ぼくは18歳でフランスへ留学し、ベルサイユ建築国立学校の学部生として学ぶことになった。そして2019年、ぼくは選ばれて、フランスから今度は日本に留学することができた。こうしてぼくは、京都に一年暮らし、京都工芸繊維大学へ通うことになった。

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ベトナムの首都ハノイ    写真 Pixabay

ぼくが「準ひきこもり」となったのは、そのときだった。

ベトナムで暮らしていたころは、ぼくはこんな風にはけっしてならなかったんだ。

 

ぼくは、よくある内向的な青年じゃない。

でも、ときどき自分だけの空間と時間が欲しくなる。

何か心にひっかかっているときは、誰だって他人に邪魔されたくないと思うんじゃないかな。

 

でも、ベトナムで過ごしていたころはそんな感じになれなかった。なぜなら、ベトナムはもっと人々が混沌としているからだ。

日本に来て、ぼくがかなり衝撃を受けたのは、日本の社会水準と人々のふるまいだった。

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裏通りの比較。ハノイ(左)と京都(右) 写真 Pixabay

京都では、何もかもが整然としていた。……いや、日本全体では、というべきだろうか。

それは、ぼくの故国の混沌としている空気の真反対だった。

思い返すと、ぼくが「準ひきこもり」になったのは、こうした環境から来る要因が大きい。

 

「混沌」とは、社会的な制限が小さいことだから、そこでぼくたちはより多くのことができる。

日本では生活水準がとても高い。

ぼくは、事あるごとに日本の社会的なルールを尊重しなければならなかった。そのことがひいては、ぼくが日本で孤立していった原因でもある。(*1)

 

*1. 訳者註:当事者手記の宿命として、これは著者ベトアン個人の体験であり、他の東南アジアのひきこもりを代表できないし、これを以ってひきこもり現象の何かを法則化できるものではない。本誌2018年11月から12月にかけてご紹介したフィリピンのひきこもりCJ(関連記事参照)のように、混沌とした東南アジアの風土の中でひきこもった当事者もいる。

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ハノイ  写真 Pixabay

でも、ぼくは日本の社会を悪く言ってばかりはいられない。

実際、ぼくは日本が大好きだ。

ぼくは、日本人の仕事に対するまじめさを心から尊敬する。それから、日本人が他の人のことを考えたり、周囲の空気を読んだりすることを深く尊敬する。

こんなにも安定してきちんとした社会をつくるには、きっと千年の時を要したのにちがいない。

異なる文化の異なる国で育った者だから、ぼくは日本のこういう側面に圧倒されるのだ。

 

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ベト・アン・マイの映像作品「ひとり。」より

日本とベトナム、両方の社会において、……いや、もっと一般的に東アジア全般の社会において、男は成功するために人生で大きな事を成し遂げなければならない。

男にかかってくる、こうしたプレッシャーは相当なものだ。

だから、ひきこもりは若い男に多いのだとぼくは思う。(*2)

 

*2. 訳者註:おそらく著者は専門家たちが書いた古い資料をもとに述べているのであろう。近年の調査では、日本では女性のひきこもりも相当な数にのぼり、また中高年のひきこもりも多いことがわかってきている。

 

日本へやってきたとき、ぼくはこの手のプレッシャーを至る所で目撃することになった。

そのプレッシャーがあるために、人々は気の遠くなるような努力をして、キャリアを積むことばかり考えていた。

 

たとえば、ぼくの専攻である建築の分野では、人々は一日中働いている。朝早くから夜遅くまで会社に残っている。

彼らはいったいどのように、仕事ではない社会的生活を営めているのだろうか、とぼくは首を傾げていた。あれではひきこもるのも当然だ、と想像したものだ。

 

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ベト・アン・マイの映像作品「ひとり。」より

京都に暮らしている間になった状態を、ぼくが「準ひきこもり」と表現することにこだわる理由は、日本の政府が出しているひきこもりの定義によれば、6ヵ月以上そういう状態が続くこととされているからだ。

ぼくの場合、続いたのは1ヵ月だった。

 

けれど、その1ヵ月のあいだ、ぼくは食料を買いに出るなど最低限の外出以外は、ずっと自分の部屋にこもっていた。

ぼくは、いかなる他人にも会う気がなかった。

でも、ぼくはそれを肯定的にとらえている。ぼくはあの期間、みじめにひきこもっていたのではなく、他人と不必要に会ってしまうのを避けるスキルを磨いていたのだ、と。

 

その後、ぼくはなんとかその状態から這い出して、ふつうの社会生活に戻った。

でも、ぼくは自分が体験したあの感覚や記憶のすべてを忘れないだろう。

 

「準ひきこもり」であったということは、けっして誇るべきことではない。

でも、ぼそっと池井多が言うように、もしぼくがひきこもりであったなら、それはあの時のぼくにとってひきこもりであることが最適だったからにすぎないのだ。

 

日本留学のあと、ぼくはフランスのベルサイユ建築国立学校へ戻ってきて、修士課程に進んでいる。

そして、修士論文として、ひきこもりに関する短い映像作品を作ったのさ。

 

 


ひとり。

 

ぼくの準ひきこもり生活は短かったので、それだけではとてもひきこもりを語るなどという大それたことはできない。

そこで、ぼくはこの映像作品を作るのに、いくつかの HIKIPOS の記事を参考させてもらった。

もし、あなたが古くから HIKIPOS の読者であるならば、ぼくの作品のどの部分がどの記事に基づいているか、たちどころにわかってしまうだろう。

 

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ベト・アン・マイの映像作品「ひとり。」より

ぼくは、誰もが「ひきこもり」の話題についてもっと考えるべきだ、といつも思っている。

ぼくはいま「話題」と言った。それは、ここで「問題」という語を使わないためだ。

 

(了)

 

.....この記事のフランス語版(原版)

.....この記事の英語版

 

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