ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

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【ひきこもりと地方】長崎から当事者が発信する情報誌「今日も私は生きてます。」から見た居場所論<後篇>

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諏訪神社(長崎市)

・・・<前篇>からのつづき

 

インタビュー・構成・写真:ぼそっと池井多

※前篇と同じく、2019年11月時点における発言です。

 

行政はぼくらに学ぶべき

古豊慶彦 「ぼくらは情報誌づくりの場であって居場所ではない」

と言っているわけですが、結果としてぼくらも居場所機能みたいなものを備えることはあります。

ぼそっと池井多 たとえばどういう時ですか。

 

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左から古豊さん、冨永さん、アニさん、とらねこさん、ぼそっと池井多

 

古豊 たとえば、長崎県保険医協会という団体があって、会員である医師たち向けに新聞やチラシを発行しています。そこではもともと高齢の女性たちが、新聞を折ったり、チラシを10種類ぐらい組み合わせて入れたり、といった作業をしていました。「もう年齢的にもしんどいから」ということで親の会へ、

「こういう作業は、お宅の青年たちに任せてみらんか」

という話を持ってきてくれたんですよ。

そこで、まずはこの情報誌づくりの4人で仕事をおぼえて、雇用してもらって、今ではぼくを含めて合計10名がそこで仕事しているんです。多くの人がこれが初めての仕事です。みんな、だいたい20代ですけど。

月1回でも2回でもできるので、他のバイトよりも融通が利く。ひきこもり当事者で「社会に慣れていこう」という人にはもってこいの仕事なんです。

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地元紙 長崎新聞 2019年12月16日の第1面にはその記事が載っていた

古豊 この地域のひきこもりの情報は、ひきこもり地域支援センターにいちばん集まるだろうと思ったので、ぼくはその話を、自分がこの仕事を始める前に、ひきこもり地域支援センターに持っていったんです。

「ちょっと仕事を始めてみようか、というようなひきこもり当事者にピッタリのバイトがあります。適した人がいたら、声をかけてみてください」

とね。

ぼそっと すると、どうなりました?

古豊  そうしたら、地域支援センターからは「それはできん」と言われました。職業斡旋になるからなのか、よくわからないけど、なんかダメらしいんですよ。行政による支援は融通が利かないですよね。

ひきこもり地域支援センターは、「就労支援をやる、やる」と標榜していても、結局やっていないということです。せいぜい当事者に「ハローワークへ行け」というか、あるいはハローワークの職員と引き合わせるくらいで。

ぼくらは、情報誌としてイベントやるときに、そういう当事者たちに「一回だけのバイト、やってみない?」と声をかけてます。

助成金の人件費で、会場設営、物販、会場案内などの仕事を、当事者にお願いして仕事をしてもらっています。

ぼくたちが助成金をとってイベントやるのは、そういうことのため、という所がある。だから、もらった助成金の半分はアルバイト人件費として出ていきます。

でも、ぼくらのやるイベントが休日だから、行政の居場所の職員は見学に来ないんです。だからいつまでもやり方を学ばない。

「何名来たか」とか表面的な情報はほしがるけど、数字に出る前の段階でぼくらがどういうことをやっているか、ということを行政は学ばないんです。

そういう段階を学べば、行政ではイベントとかたくさんあるから、「それじゃあ、うちで今度こういう単発の仕事あるから、やってみらんか」ということもあると思うのに、いっさいしない。

そういう人たちが居場所で就労支援とかやったって、うまく行くわけがない。

それから彼らは、当事者が就労した後はどういう様子かということも追跡調査しないから、ひきこもりと就労をめぐる全体像を把握していない。

結局、居場所とは何か、ひきこもり支援とは何か、ということを根本から理解せずに、上から言われたままに、ただ居場所という空間を開けて待っているだけです。

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バックナンバーを詰めた箱

古豊  昔は、居場所支援というと、居場所を開けているしかなかった。でも今は、支援の方法みたいなことは他にもいっぱいあるんですよ。いま行政がひきこもりの居場所を考え始めたのは20年ぐらい遅いと思います。

もし居場所について調査するんだったら、その対象は、今は民間・行政ふくめて、これだけひきこもり支援が多様であるという事実であるべきです。そういうことでなく、いまさら居場所を充実させても、ほとんどの当事者の救いにはならないと思います。

今回、厚生労働省で居場所づくりを調査しているということですけど、今回の調査結果が、「居場所ばかりではない」とか「居場所支援はもう古い」とかいうことになればいいと思います。

ぼくらの情報誌で他の当事者たちを取材していても、「自分は居場所で救われた」っていう人はあまりいないです。

ぼく自身は不登校だったので、学校へ行けなかったときに居場所へ来て、「ああ、いいな」という感じは持ったんですけど、他の当事者の中では「居場所が当事者を救えるわけではない」という人が圧倒的に多いです。

だから、初めはぼくも居場所が全てだと思っていたけど、今はまったくそう思っていません。

 

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役所の中にある居場所は行きにくい

ぼそっと 居場所について、他の方はいかがですか。

アニ 行政がやる居場所の場合、担当になる人は、まったくひきこもりに知識がない状態でそのポストに任命されて、ゼロから勉強する人が多い。習熟するまでの間の無駄というのも無視できない。

民間の人たちを後方支援すれば、その無駄が省けると思います。

それから、行政がやっている居場所だと、平日の昼間のみ、というところが多いんです。夜やってないんですよ。

昼間、外に出られないひきこもりでも、暗くなったら出られる人は多い。昼夜逆転してますからね。すると、闇にまぎれて居場所へ行く、ということができる。

とらねこ でも、行政のやっている居場所は、昼間しかやってないから、ある程度動けるようになってきて、昼間起きて活動するようにならないと行けない。

ぼそっと なるほど。逆にいえば、ほんとうに居場所が必要かもしれない重度の当事者は居場所へ行けないようになっている、ということですね。

とらねこ たとえば、長崎の行政がやっているひきこもり支援の居場所は、児童相談所と女性参画推進に関わる相談所と障害者福祉のための、合同庁舎みたいな建物の2階の奥にあるんですよ。

だから、お部屋自体はひきこもり支援の居場所として運営されているけど、そこへ行くまでが当事者にとってものすごくハードル高いんです。だって、役所の人が事務の仕事しているところを通り抜けて行かなくちゃいけないから。これは、働いてない当事者にとってはなかなかつらいものがあって。

一度見学に行ったんですけど、私がガッツリひきこもっていたとして、そこを紹介されたとしても、「ここは通いきらんな」と思いました。そのころは仕事してなかったので。

アニ ぼくは「居場所に世話人は要らないだろう」と思うんですよ。ぼくらの情報誌づくりの場を居場所と考えたこともなかったけど、情報誌づくりの場合は、誰が世話人というわけでもない。みんなで作るのです。

居場所の世話人は、ときどきプチ・ドクター化することがあるじゃないですか。

ぼそっと 「プチ・ドクター化」というのは、少し治療者のようになってしまう、ということですね。

アニ そうです。本人にそのつもりがなくても、自分の望む方向へ参加者・利用者たちを誘導していこうとするんです。ぼくはそういう流れに乗っかりたくないと思うので、

「どんなにつらくても、そういう所はぜったい行かねえ」

って思ってました。

だから、ここ(「リボーン」)や親の会へは、よく話を聞きに行ったりするんですが、ぼくにとっては居場所ではない。居場所としては行かないです。

 

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見えない終着点を用意されている

ぼそっと 行政による居場所はいかがですか。

アニ 最近は参加人数が増えているんですけども、ぼくに言わせると行政の考える居場所は「居場所」というより「居場所というプログラム」で、ぼくの中の「居場所観」だと、あれは居場所とは言い難いです。

とらねこ 行政による居場所は、何か見えない終着点が用意されているように思うんだよね。

アニ そう。「参加者は忖度しろよ。お前ら、みんなこの方向へ行けよ」みたいな空気があるので、ぼくは好きじゃないんです。つらい時こそ、行きたくない。

ぼそっと ありていに言っちゃうと、「就労」という終着点ですか。

アニ そうです。または、もう少し利用者の年齢が若ければ「就学」ですね。

それで、利用者がいざ「就労しよう」という気になったら、そのときにはまた別の問題が生じるわけです。

長崎の行政による居場所のスタッフさんたちは、メンタル的な指導に関してはプロだと思いますが、就労斡旋的な支援はできないです。社会資源に熟知して、それにつなげられるスタッフはいないと思います。職員が非常勤雇用だったりして頻繁に変わってしまうのも、そういった練度が上がらないことに貢献してしまってます。

そういうことがあるので、行政の居場所は、そこへ単なる「人慣れ」に行くのが目的なら、あれでいいかもしれないけど、「その先」がないところだな、と思っています。

古豊 さっきの運営者のプチ・ドクター化の話ですけど、参加者個人の進むべき道筋は立ててないけど、居場所全体として進むべき道というか、運営の方向性を立てている人だったら、いいんじゃないかな。

アニ もしここ、リボーンの運営者が個人の道筋まで立て始めたら、ぼくはここにはもう居ないですよ。

冨永美雪 ここはけっこうライトだもんね。

古豊 逆に、就労について何も言わない代わりに、そこへの支援も何もしない。

とらねこ 戻ってくる人は戻ってきやすいよね。「また仕事やめたー」って。

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坂の街、長崎。

人数が多かったら割れる

ぼそっと 情報誌づくりの場に話を戻すと、ここは運営者と参加者が分かれていないわけですよね。

アニ それは分かれていませんが、役割分担ははっきりしていると思います。

たとえば、ぼくは販売を請け負っていて、代表の古豊君が持っていない人脈のネットワークの方に売りに行ってます。

それからぼくは助成金申請とかをやっています。

最初は、「各自できることからやっていこう」ということで、それぞれの参加者がいろいろやっていましたが、次第に役割が分化してきました。

冨永 私はここへ情報誌を作るために来ているので、居場所だとは思っていません。私にとって居場所は何もしなくても、ただここに居ていい、行きたいときに行く場所なので。

情報誌は違います。

ぼそっと 仕事の場でしょうか。

冨永 ここは私にとって仕事の場でもないんです。

ぼそっと 居場所ではないけれど、ここにいると、何かスポッと自分が場に当てはまった感じがする、ということはありますか。

冨永 それは、その時によりますね。今はこの3人で活動しているけど、この仲間の居心地が良いときも悪いときもありますから。

今はお互い良い距離を保っていて、いやなことはお互い言わないし、それで最近は居心地悪くはないかな。

とらねこ 私は幽霊だから、ここに居るようでここに居ない。

ぼそっと なるほど。5年間も3人でやっていたら、ぶつかることも多かったのでは。

冨永 以前はもっと人数がいたし、そのぶん口論も多かったです。今でも議論は、めっちゃするけど。

古豊 実質メンバーが3人になってから、口論が少なくなった。これ以上、割れられなくなったからだと思う。

前みたいに5人も6人もいたら、2対3、3対3で簡単に割れるでしょう。今は割れたら2対1だから、割れられない。

彼らはめっちゃ頑固なんですよ。だから、言っても無駄だということがわかった。ぼくが言わないから口論も起こらない。

アニ冨永 いやいやいやいや・・・

とらねこ 最初の2号まではけっこう議論があった。人数も多かったし。

冨永 号を重ねるごとに、どんどん方向性が濃縮しとる。いろいろなことがはっきりしてきたし。

ぼそっと 路線や方向性について議論が起こるのは、ある程度健全だと思いますね。当事者発信をしようという人たちだから、みんな言いたいことがあるので、そこで衝突が起こるのは当然でしょう。しかし、パーソナリティの違いが原因で、険悪になってしまうのは悲しいですよね。マイノリティが連帯しようとしているのに、自分たちをさらにマイノリティへ追いこんでいくようで。

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望ましい支援

ぼそっと この当事者活動に対して、行政が後方支援してくれるといったら、何がほしいですか。

古豊 口を出さずにお金。

冨永 プリンターとかお金。

古豊 でも、お金もらったら、やらないといけないじゃない。それがちょっとね。

アニ 情報誌づくりのためのコアなニーズとしては、プリンターとインクを使い切ったカートリッジ。カートリッジは、行政関係の団体はいっぱい持っているんですよ

もうゴミに出すようなカートリッジがあれば、それをくれれば、こちらはなんとか続けられる。

古豊 ぼくは行政の人に、こっちがイベントしたときに参加してほしいなって思う。

アニ それがバロメーターだね。理解する気がある人か、ない人かっていう。

古豊 休日をつかって、プライベートで来るんじゃなくて、何か行政による支援に役立つことがあるだろうという考えで、公務として来てほしい。

ぼくたちは、それなりに価値あることをイベントをやっているつもりだから、ほんとうに熱心な行政の人ならば、仕事で来れば、学びになる部分がきっとあると思う。

お金よりも、そういう支援ほしい。

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使っているプリンター

居場所になると何かまずいか

ぼそっと 「ここは情報誌づくりの場であって居場所ではない」ということを繰り返しおっしゃっていますが、その背景には、居場所を標榜したときのデメリットが想定されるからだろうと思うんですよ。そういうことって、ありますか。

古豊 この情報誌づくりの場に、居場所という目的が加わると、情報誌づくりからズレたところで、参加者たちの気持ちが爆発してしまうことが考えられる。

居場所を求めてやってくる人は、情報誌の読者のことを考えず、何でもいいから自分の意見が通る場所がほしいとか、自分に注目してほしいとか、そういう目的でくるかもしれない。本人がそれを意識しているかどうかはさておいてね。

そうすると、情報誌づくりができなくなってしまうんじゃないかな。

「ここは居心地がいい、わるい」

ということがメインになってしまって、

「この情報誌を読む人はどう思うか」

とか、

「どういう読者層に向けて今号は作っているか」

とか、そういうことはどうでもよくなってしまう恐れがある。

居場所的な機能を加えると、運営は大変だろうな、と思う。誰か傷つかないか、いやな思いしていないか、と参加者全員に目を配ってなければいけないし。そういうことを極限まで減らして、ここは運営しているので。

結局、ここは「もっとひどい環境でひきこもっている人たちを救おう」だとか、そういう考えではなく、

「自分は死んでいない。今日も私は生きてます」

ということを発信する場でありつづけたいのです。

ぼそっと すごく一貫していますね。当事者発信の原点を考えさせられます。

今日はどうもありがとうございました。(了)

 

 

今日も私は生きてます。編集部

連絡先 moguri2105★yahoo.co.jp  ★→@

 

 

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