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【ひきこもりと地方】「ひきこもりを理由に恋を諦めたことはない」北海道石狩市のひきこもり経験者・のり子さんインタビュー第2回

前回のおはなし

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学校での人間関係、病気の家族との関わりの中で精神的に不安定だったという、のり子さん。

今回は、ひきこもりと恋愛を中心に語っていただきました。

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のり子(左)ぼそっと池井多(右)
文・編集:のり子・尾崎すずほ・ぼそっと池井多
 

目次

 

自分なんてどうせだめだと思っていた

 のり子 私はひきこもっていたことや、自分の病気のことを、こういう場では話せるんですが、知り合いや学生時代の友達などひきこもりや病気と関係ない人には話せないんです。家族にも何となく話しづらくて。

母と弟とはすごく仲が良かったんですけど、最後までそういう話ができなかったです。恥ずかしいと思っちゃって。

ぼそっと お母さまやお父さまに対しても、恥ずかしいと思っていましたか。

のり子 思っていましたね。今でも父に対して恥ずかしいという思いを持っているかもしれません。

うちの親はそんなに教育熱心だったわけではないけど、父が「勉強は自分でやりなさい」という方針を持っていました。でも、不登校になると私は勉強をしませんでした。それで何も知らないまま年齢を重ねてしまったようで、そのことが今でもコンプレックスなのです。

それに対して父が「勉強してないからバカなんだな」と冗談で言うのが今でもつらいのです。

尾崎 たとえ冗談であったとしても、コンプレックスを指摘されてしまうと辛いですよね。どんどん自信がなくなってしまいそうです。高校では勉強はどうでしたか。

のり子 高校は通信制だったので、大学へ行った人もいることはいるんですが、勉強熱心な人は少なかったですね。同級生に社会人の方も多かったのですが、当時は私も若かったので、そこから何か学ぶことは少なく感じていたんです。

今思うと本当にもったいないことをしましたね。その頃はとにかくみんな「自分なんてどうせ何をやってもだめだろう」と無気力で、机に向かうということもよく分からなくて。

私は、小学校の頃は親のおかげか成績は良かったんですけど、自分でやらなくなると全然ダメになってしまって。そのとき何を自分がやりたいかさっぱり分からなかったです。絵を描くことは好きで、何となく美術の学校へ行こうかなという感じで過ごしていました。

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夜の札幌駅 写真:ぼそっと池井多

ぼそっと どういう絵を描いていましたか。

のり子 小さい頃描いていたのは、漫画とかアニメの絵などのイラストが多かったです。昔は、少年ジャンプとか、ああいう漫画が好きで、少年漫画家になりたかったです。でも、実は一回絵を描くのをやめているんです。中学の不登校のときに、自信をすっかりなくしてしまって。どうせ自分なんて何もできないんだという思い込みがあって。

でも、美術に関することをしたいなと思って、ぼんやりと美術の専門学校に進んでしまったら、ここがまためちゃくちゃ忙しい所でした。毎日、課題を終わらせなければいけなくて。

尾崎 専門学校は忙しいですよね(笑)。とにかく、課題をこなす感じですよね。のり子さんは、どんなことが大変だと思っていましたか。

のり子 とにかく授業が多くて1日中あるんです。クラフトデザインを専攻していたのですが、学校に残らないと課題が進まなくて。単位が取れないと困るから、他の人たちは一所懸命に課題をこなすんです。

でも、私は何となく入ったので何となくしかできなくて。「大変、忙しい、辛い」と思っていました。課題の講評会では真面目にやったつもりでしたが、そう見えなかったみたいで、先生にもボロクソに言われました。

「ちゃんとやってきてる?」とか、ほとんど人格否定に等しいことも言われて。専門学校はそういうつらい時期でしたけど、多分すごく青春してた時期でもありました。

恋愛する権利さえ奪われるのはおかしい

ぼそっと 例えば、恋愛とかですか。

のり子 そうです。はじめて男の人と付き合ったりとか。あと、海で野焼きをやるんです。砂浜に穴を掘って、陶芸の作品を置いて炎を通して焼くのを野焼きっていうんですが。それを、キャンプでやったり。みんな一睡もしていない中で朝の砂浜を走ったりとか、毎日制作をしながら工房でわいわいしているので、すごく楽しかったんです。

青春時代ってそれまで真っ暗で、人のことを信用できなかったんですけど、そのときはじめて人と関わるのって楽しいかも、みんな仲間だなって思えました。当時は成績はボロボロで廊下でよく泣いていましたし、何とか卒業しましたが、自分にとってすごく貴重な時間でした。

今でも付き合っている友達もいるし、みんなどうしているかなと思います。

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北海道大学のキャンパス 写真:ぼそっと池井多

尾崎 いいですね、青春ですね。今まで人間関係に苦労されていた分、人とつながれた喜びが大きかったのではないでしょうか。専門学校を卒業した後は、どうされていましたか。

のり子 専門学校を卒業した後は、通信制の美大に行って半年で中退したんです。その後に空白期間があって、地元の美術の短大に進学しました。恥ずかしくて人に話していないんですけど、中退したというのが傷になっていて。

中退した理由は、失恋だったんです。それが理由で精神的に不安定になり、親を悲しませることをしてしまいました。それでドクターストップがかかりました。

ぼそっと 自殺未遂をしたということですか。

のり子 自分としては、そういうつもりではありませんでしたが、周りの目からするとそういうことになるのでしょうか。するっていうつもりはなくて、「苦しい、苦しい」と思っていて、当時はそうすれば相手が自分に振り向いてくれると思ったんです。本当にバカだなと思うんですけど。

ぼそっと 私自身も20代の頃は、ずっと「死にたい、死にたい」と思っていて、ひと言でいえば、死ぬためにアフリカに行ったんです。アフリカでは内戦はやってるし、疫病は流行ってるし、飢餓はあるし、危ないところなので、そこへ行けば自然に死ぬんじゃないかと思って。それでアフリカ大陸の中で外こもりしてました。

「死にたかった」なんてことは、後から振り返れば恥ずかしいですよね。でも、それなりにその当時「自分は必死だった」という証でもあるわけで、そう考えると死のうとしていたことは、そんなに恥ずかしくもないと思います。

のり子 たぶん、そう思っているのは親に泣かれたからだと思います。父が「何でこんなことするんだ」って言って。それが、心に刺さるものがありました。親が泣いているのを全然見たことがなかったので、びっくりしてしまって。「もうしちゃダメなことだ」「もうやらない」と思って、それ以降やっていないです。

ぼそっと それじゃあ、お父さまとは関係がいいんですかね。

のり子 いや、よくはないです(笑)。今は2人で住んでいるんですけど、ほとんど会話がなくて。でも、私は父のことをすごく好きで。いろんなことを教えてくれたので、昔は父と話すことが楽しかったんです。自分が疑問に思うことについて、答えを返してくれました。だから、父の言うことは絶対なんだと小さい頃は思っていました。

今は、そうは思っていないんですが、父も歳を重ねて高齢になってきたので、なるべく助けてあげようという気持ちが芽生えてきました。母が倒れて、私が家事をやらなければならなくなったときに、そう思うようになりましたね。その思いが強すぎて、かえってひきこもってしまったんですけど。

自分が家族のためにならなくちゃだめなんだと思っていましたから。だから、自分の人生を生きていなかったです。一生このままなんだと思っていましたね。

尾崎 難しいですよね。日本では、家族というコミュニティの結びつきがとても強く、個人が家族のケアに身を捧げることが美徳とされています。その中で、自分の人生を生きるということに罪悪感を感じる人もいるのではないでしょうか。かつてののり子さんのように、自分の人生よりも家族を優先にしている方は多いのかもしれないですね。

のり子   私は、家族の面倒は身内で看るべきだとは決して思いませんが、実際に事が起きるとそうは言っていられないという側面もあると思います。以前の私のように自分を犠牲にし過ぎるといけませんが、上手く人の手を借りるとか、社会資源を利用するのはとても大事なことですね。

ぼそっと 短大に行くようになってからは、何か変わりましたか。

のり子 心を入れ替えて、すごく勉強するようになりました。真面目に行っていたんですけど、そこで体調を崩してしまって。短大に入ったときに、自分は絵を描くしかないと思ったんです。アニメーターになりたくて、学校ではデザインを、個人的にはイラストの勉強をしていました。でも、結局ダメだったので、自分はなんて才能がないんだろうと思いました。

この頃は他の大学や専門学校の学生さんとも交流があったのですが、自分さえ評価されればいいという考えの人も多い気がしていました。そこで違和感を感じたり、すごく挫折をしてしまって、頭痛が止まらなくなりました。

デザイン専攻なので、パソコンの授業が多いんです。でも、授業中ずっと痛くてパソコンの前に座っていられなくなってしまって。何とか課題は終わらせるんですけど、このまま就職できないよなと思って。頭痛はここ10年ぐらい、一日も止むことなく続いているんです。

尾崎 私も頭痛持ちなのでデスクワークは辛いと感じることがありますが、毎日となると大変ですね。

のり子 母が脳梗塞で倒れたのも、短大のときなんですよ。私も自分の体調不良と、母の体調、恋愛、いろんなことが重なって、短大を卒業してすぐひきこもることになりました。

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北海道大学のクラーク像 写真:ぼそっと池井多

ぼそっと 恋愛はその人に全精力を注ぐので、消耗しますよね。

のり子 そう思います。ひきこもっていた理由として、恋愛ってあまり言えないですね。たぶん、私以外でもそういう人結構いるんじゃないかなと、自分で分析しているんですけど。

尾崎 私の周りでも、そういう方はいますね。表立って言わなくても、ひきこもった理由の一つとして恋愛を挙げる人は、たしかに少なくないかもしれないです。

ぼそっと ひきこもり女子だと、自分がひきこもりだからと恋愛に臆病になってしまうこともあると思うのですが、のり子さんの場合はどうでしたか。

のり子 私自身としては、そういうことはなかったと思いたいです。自分が好きだなと思った人に対して、自分が障害を持っているとか、ひきこもりだったとか、一般の就労をしていないことを言えなかったことはあるんですが、ひきこもりを理由にして諦めたことはないと思います。そう断言したいという方が正しいかと思います。それが理由で振られたとは思いたくないです。

尾崎 のり子さんは恋愛において辛い思いをしたり、精神的に不安定になってしまったりすることもあったと思うのですが、なぜ諦めないと強く思えるのでしょうか。

のり子   恋愛って、人生の大切な部分を占めていると思うんです。誰かと出会って、恋をして、それが発展して結婚する人もいる。結婚する、しないはもちろんその人の自由ですが、その選択肢さえ与えられない、また、恋愛する権利さえひきこもりの経験や病気、障害で奪われてしまうのはおかしいんじゃないかと。

とてもセンシティブな問題だとは思いますが、このことについてもっと話し合われたり、議論されてもいいのではと感じています。恋愛について一家言ある人のように思われるとすごく恥ずかしいのですが…(笑)。

尾崎 なぜか、ひきこもりが恋愛をすることはタブーとされがちですよね。「議論されてもいい」というのは、その通りだと思います。私は過去に「恋愛の前に仕事でしょ」と言われたことがありますが、なぜ仕事をしていないと恋愛もしてはいけないのか、ずっと疑問でした。

ロボットのように感情をなくして生きているわけではないですからね。人を好きになること、結婚をして家庭を持つこと。それは、どんな病気や障害がある人でも望めば与えられる当然の権利だと私は思います。権利を奪った先にあったのが、かつての旧優生保護法だったということも忘れてはいけないですね。

ひきこもり女性は肩書きが隠れ蓑になる

ぼそっと 短大を卒業してひきこもったとき、どんな感じでしたか。

のり子 あのときはオンラインゲームにはまってしまいました。今はあまりやらないんですが、昔からゲームをやることが好きで。何か嫌なことがあると、フィクションの世界にのめりこんじゃうんです。あとは恋愛だったりとか、何かはまりやすいんですよね。

そういう日々の中で弟が倒れて、決死の思いで病院に行ったんです。弟は助かったんですが、私のひきこもりは治らず、母もどんどん体調を崩していきました。周りはみんな楽しそうに見えるんですよね。20代後半で、結婚したり子どもを産んだりした人もいたし、仕事が充実している人もいて。それで、 SNSを何年も見られなかったんです。人にSOSを出せなかったんですよね。

尾崎 「SNSを見ていると周りがキラキラしていて辛い」という話はよく聞きます。特に女性にとって、結婚や出産は人生の中の大きな転機ですし、周囲と比較して落ち込むこともありますよね。

ぼそっと 私が33歳から37歳の間ガチこもりだったころ、インターネット環境もまだなかったので、今のようにSNSを見て他の人たちの動きを知るという習慣はありませんでしたが、その代わり窓のカーテンが見られなくなったんです。

なぜかというと、窓のカーテンに光が揺らめく。揺らめくということは、外で人が活動をしているということで、それが目に入ると「みんな先に行っちゃう。自分だけ置いていかれる」という感覚がもたらされるのですね。のり子さんがSNSを見られなかったというのは、私はそれを連想します。

のり子 それはすごく分かります。人が何かキラキラしてるって思うと、どんどん自分がみじめになっていく気がして。でもそのときは外出はできたんです。好きな芸能人のコンサートに行ったりとか、そういうことはしていました。でも、コンビニに行くのはやっとの思いでした。

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旧・北海道庁(左) ラーメン横丁(右)

ぼそっと そうなんですよね、ひきこもりはまったく部屋から出られないわけではなくてね。だけど、ひきこもりじゃない人からすると、「コンサートに行けるんだったら働け」と言いたくなるのでしょう。

現在に至るまでずっと同じような感じですか。それともガチこもりの期間がありましたか。

のり子 短大を卒業してからの2年ぐらいはガチこもりでした。そのときに、あさイチというNHKの番組で女性のひきこもりの特集が放送されていたんです。家族がそれを見ていて。

私はひきもっている状況だったので、「自分はこの状況じゃないか、ヤバい」と今更ながらに気付いて。それまでは、自分のひきこもりの状態は不登校という側面が強かったんです。だけど、「この状況は早めに脱さないとまずい」とはじめて思いました。

尾崎 女性のひきこもり当事者は、自分でもひきこもりだという認識がなかったりしますよね。私も当時は、ひきこもりは男性がなるものだと思っていたので、女性のひきこもり経験のある人に出会ってようやく「自分はひきこもりだったんだ」と、気付きました。

のり子 そのお話は分かる気がします。ひきこもりの女性の場合、「家事手伝い」や「専業主婦」という肩書きが隠れ蓑のようになっていましたからね。

尾崎 専業主婦でも一人で楽しめるのであれば良いと思うのですが、周囲との人間関係に悩んでいたり、家族のケアをする中で繋がりが途絶えてしまっている方もいますからね。そういった方々が「ひきこもり」という言葉に出会い、自分のことを言い表していると感じたというケースは聞いたことがあります。

のり子さんの場合はテレビの特集を見たことが、ひきこもりから脱しなければと思ったきっかけだったのですね。

のり子 そうですね。それともう一つきっかけがありました。好きな芸能人のコンサートに行って、たまたま隣の席の人に話しかけられたんですが、自分の声をほとんど忘れているような感じだったので、答えられなかったんです。

この2つの出来事で、自分の人生を生きなきゃダメなんだと思うようになって。女性のひきこもりがメディアで報道されるようになった時期から、自分も変わらなきゃダメなのかなと思うようになり、「社会復帰する」と宣言したんです。そうしたら、家族から「頑張れ」と言われて。

札幌に薬物、アルコール、ギャンブル依存症、発達障害や精神疾患を抱えている女性のための就労支援施設があるんです。5年程前にそこをインターネットで検索して、通所することになりました。それから、ひきこもることはなくなったんです。

 

「のり子さん 第3回」へつづく

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<プロフィール>

のり子 北海道石狩市出身のひきこもり経験者。札幌ひきこもり女子会副代表。

note : https://note.com/n_hikijo_n

Twitter : https://twitter.com/n_hikijo

尾崎すずほ 東京出身の元ひきこもり。冊子版7号~9号/ WEB版【ひきこもりと地方】インタビュー記事を執筆。

ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。2020年10月、『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(寿郎社)刊。

 

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