ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

「コロナ禍で引きこもりやすくなる」は嘘 今こそ読んでほしいひきこもり当事者へのインタビュー

(編集 喜久井ヤシン

 

今回は、長期間のひきこもり経験を持つコスモスさんへのインタビューです。新型コロナウイルス対策のため、外出自粛を余儀なくされる昨今。一部の当事者のあいだには、「引きこもりやすくなった」という反応もあります。しかしコスモスさんは、「コロナ禍で良いことは一つもない」と言います。当事者の貴重な声をお聞きください。

 

 

※本稿は、オンライン上でのコスモスさんとのやりとりを、インタビューとして再構成した記事です。コスモスさんは発言の公開に積極的ではありませんでしたが、編集者からお願いし、承諾を得て掲載させていただきました。

f:id:kikui_y:20210210211512j:plain

 

 ——現在の「ひきこもり」の生活に至るまでには、どのような経緯があったのでしょうか。

 

自分の場合、2018年頃 から徐々にひきこもり気味の生活になっていました。

心的ストレス等による睡眠障害や、昼間の光とか、近所の物音が極端に気になるといった精神的症状が出てきたんです。

ひきこもっていても、現代ではよほど意図的に遮断しない限り、様々なメディアから外の情報が間接的に入りこんできます。

自分がひきこもり気味になり始めていた2019年は、川崎市登戸事件、練馬事件、そして京アニ事件と、ネガティブな事件が立て続けに起きた年でした。

ひきこもり生活特有の「閉じた」精神状態の中で、これらの情報は消化される事なくネガティブな想念を形作りました。

世間や社会に対する拒絶感が、自分の中で育ち続けたんです。

それが解消しないまま煮詰まってきていたところに、コロナ渦の直撃を受けた格好です。

結果的にほぼ完全にこもりっきりとなり、更に大きく心身の状態を崩してしまいました。

 

「ひきこもりはコロナ渦の影響をあまり受けない」というのは嘘ですね。

先の緊急事態宣言の頃やそれ以降は、長期間全く外出しない・出来ない時期もありました。

閉じた状態→外部からのネガティブな情報の流入→精神的にさらに追い詰められる、という悪循環はコロナ禍によっても変わらないどころか、むしろ強化されたと思います。

自分には関係ないと思っていたら、「外的な不安や諸々がストレスになって、内的な問題と向き合えない」という違う面から、マイナスの影響を強く受けていました。

最近になって、それにようやく気付いたところです。

 

 

 ——「コロナ禍で引きこもりやすくなった」というような、プラスの影響はなかったのでしょうか。

 

自分にとってコロナ禍がプラスになった面、というのは正直全く思い浮かびません……。

そもそも、コロナ禍のネガティブな影響でさえ比較的最近まで自覚していなかったぐらいですからね。

  

少し前ぐらいまではメディア等で「自粛疲れ」「コロナ鬱」と言った文字を見るたびに苛立ちを覚えていました。

その根底には、やや乱暴な言い方になりますが「たった数ヶ月自由に外出出来ないぐらいで何言ってんだよ、こっちは何十年もそれやってんだよ」みたいな感情があったのだと思います。

最初の緊急事態宣言の時によく言われていた「巣ごもり」や「おうち◯◯」と言ったものは少なくとも自分にとっての「ひきこもり」とは全く別の概念だと思いますし、その意味では自分とは関係ないことと認識していました。

プラス面があるとすれば、それは今後わかっていくのではないでしょうか。

ネガティブな影響から得た経験が消化されていく過程で、何らかの気づきや考えのヒントに繋がれば、それはプラス面といえます。

 

 

 ——十代の頃から「ひきこもり」の経験があったそうですが、コロナ禍の前と後で、「ひきこもりの苦しさ」に違いはあるのでしょうか。

 

コロナ禍以前の苦しさは、端的に言うと「内的な問題に向き合わなければならない苦しさ」でした。

しかし現在の苦しさは、「内的な問題に向き合えない苦しさ」になると思います。

これまでの人生において何度か非常に苦しい時期がありましたが、それらは基本的に、元をただせば自分の「内的な問題」から来ていたと思います。

自分にとっては、家族との関わりも「内的な問題」に含みます。

なので、苦しさが煮詰まっていよいよ厳しくなってくると、外的な部分よりも内的な部分にフォーカスしていく事で、その時はしんどくても徐々に底を脱してゆくというケースが多かったです。

しかしコロナ禍においては「外的な問題」が、自分の内面と向き合う状況のさまたげになります。

例えば、「もし〇〇だったらこうするのに」といった想像・仮定をすることによって自分の内面の問題がクリアになるケースは結構あります。

ところが、外に出ていけないとなると、自分が活動するための可能性が、うまく想定できなくなってしまう。

いつのまにか自由な想像力が奪われて、「内的な問題」と向き合いづらくなっていたんです。

情報に苛立ったり、不安になったりの繰り返しで「外的な問題」に翻弄される苦しさは、これまでの内的な葛藤と比べると、事態の大変さに気づきにくかったです。

「自分が深刻な状態なのでは」と自覚するまで、結構な時間がかかりました。

 

昨春の緊急事態宣言の前後はネット、TV、新聞から知人のSNSまで何を見ても、社会・世間が一層ギスギスした、敵意に充ちた場所になった感覚を覚えて、余計に「そんな世界には出て行けない」という気持ちが強くなりました。

ひきこもりきりの生活では体調も崩しやすくなりますが、現在の医療の状況を踏まえるとこれも結構なプレッシャーです。

加齢のせいか、今回は健康面の不安が顕著でした。

 

 

 ——シビアな質問をお許しください。これから先は、どのように過ごしていくと思いますか?

 

変な言い方になりますが、自分自身でもそこは興味のあるところです。

ここ数年殆ど途絶えていた、家族以外との関わりをどうしていくか……。

現在でも、ある程度以上の遠出や長時間の外出はまだ厳しい状態です。

加えて世の中も暫くは落ち着かないでしょうし、情勢と自分のコンディションを見ながら、当分は慎重な生活を続けることになるでしょう。

これは予測だけでなく願望も入りますが、外的な活動が難しい分、自分の内的な部分と向き合っていかざるをえないと思います。

どうやって内的な方向にシフトしていくかが、今後の鍵になりそうな気がしています。

 

 

 ——ありがとうございました。