震災廃棄物の上に積もる雪
撮影・ぼそっと池井多(2013年)
文・ぼそっと池井多
「十年一昔」
という言葉がある。
しかし、まるで「一昔」になっていないのが東日本大震災である。
大地を浸蝕した禍々しい傷痕は、今も引き続き私たちの肌に突き刺さってくる。
東日本大震災を機に、ひきこもっていた部屋を出て、一転して活動的になり、故郷の復興に活躍している元ひきこもりの方々がいる。
そうかと思うと、あの日あの時刻に部屋から出ず、波に呑まれてしまったひきこもりの方々がいる。
「その違いは何だろう」
と長らく考えてきた。
ひきこもり当事者の側に何か違いがあったのではないか、と考えたかったのだ。
その違いがわかれば、日頃からどういうひきこもりであれば、災害の時に助かったり生き延びたりできるか、ということがわかるのではないか……。
そんな姑息な期待から出ていた問いであった。
しかし、いつまで考えても答えが出てこない。
より多くの被災者の方に話を聞けば聞くほど、立てた仮説が次々と崩れていった。
やがて、ひきこもりの在りように違いなど何もないのではないか、と思うようになった。
部屋を出ていったのが、波の到達より早かったか遅かったかだけの違いだけが厳然として在る。
そしてあの日、私たちは誰も、いつどういう波が到達するかを知らなかった。
その現実は、能うかぎり残酷だ。
私たちは、自然という無辺大の壁を前に、その残酷さに打ちのめされる。
*
本誌では、津波でひきこもりの息子と妻を亡くされた、陸前高田市の佐々木善仁さんの長編インタビューを過去4回にわたって連載してきた。
それは悲しい災禍の記録であると同時に、図らずもひきこもりを問題として抱えた一つのご家庭が、どのようにその問題と向き合ってきたかという、葛藤をさかのぼる語りとなった。
インタビューのとき、私は佐々木さんのお宅で、生き残ったご長男にもお会いしていた。
しかし、忙しい朝だったこともあり、ろくにご挨拶もしないうちに、彼は出かけていかれた。
私は、父親である佐々木善仁さんの語る家族の歴史が、ご長男からはどのように見えていたのか、ということが気にかかった。
善仁さんご自身にも、それはわからないようだった。
いずれ陸前高田を再び訪れることがあったら、訊いてみたい気がしていた。
ところが、奇しくも先日、ご長男である佐々木陽一さんのインタビューが毎日新聞に載った。
私が果たし得なかった領域の言葉を引き出し、集めてくれた記者さんに感謝する。
こうして十年という歳月をかけて、佐々木仁也さんという一人のひきこもり当事者の生に、二つの角度から光が当てられたわけだが、このような歴史が、津波で被害にあった何千、何万ものご家族一つ一つにあるということを、いまさらながら苦渋と悲嘆とともに想わざるをえない。
以下に、本誌で連載した父親である佐々木善仁さんのインタビューのシリーズを掲げておく。
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