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【当事者手記】不登校・ひきこもりがゲームをしなくなる最良の方法

 

不登校やひきこもりの子をもつ親にとって、テレビゲームは悩みの種です。「ゲーム脳」や「ゲーム依存」の報道を聞いて、子どもの将来を心配している人も多いでしょう。今回は、「十代のころゲーム漬けだった」という当事者が語ります。「子どもがゲームをしなくなる最良の方法」とは何か。斬新なアイデアにご注目ください。

 

 

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ゲームがなければ自殺していた

私は小学2年生から学校に行かなくなり、子ども時代はゲーム漬けの毎日でした。

当然親からは非難されましたし、「将来どうするのか」と叱られました。

 

私自身、「ゲームばかりして青春を失ってしまった」という喪失感があります。

他のことに時間を使っていれば、もっと良い生き方ができていたのかもしれません。

私の半生は、「ゲームのやりすぎ」によって傷ついてきました。

 

しかしゲームがなければ、そもそもこの人生を、生きのびることができなかったと思います。

私の問題はゲームではなく、支えになるものが「ゲームしかないこと」でした。

 

人や社会とのつながりが切れてしまったなかで、楽しみになるものはほとんどありません。

よく誤解されることですが、ゲームをしているからといって、楽しんでいたり、怠けていたりするわけではないのです。

私は24時間、365日つづく苦しさを、少しでもやわらげようとしていました。

ずっと家にいる生活のなかで、ゲームはほとんど唯一といってもいい慰めです。

精神安定剤を飲むように、「一時的に苦しみをやわらげる」効き目がありました。

 

私がもしも親からゲームを取り上げられていたなら、精神的な防衛策すらも失い、さらに追いつめられていたはずです。

破壊衝動や家庭内暴力に向かっていたかもしれませんし、拒食や自傷などによって、自分を傷つけていたかもしれません。

苦しみが重なっていれば、自殺に至ることも十分ありえました。

ゲームがあったおかげで、私は人生が完全に壊れてしまうことを防げたのだと思っています。

 

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「意味になる」ゲームと「意味にならない」ゲーム

ゲームのやりすぎを批判する人も、すべてのゲームを否定するわけではないでしょう。

学校教材としてテレビゲームを用いたものもあれば、認知症予防などの「脳トレ」に活用されているケースもあります。

 

「良いゲーム」と「悪いゲーム」の2つがあるわけではありません。

おそらく批判のポイントは、有意義な人生を生きるための、意味に「なる」か「ならない」かで分けられるのではないでしょうか。

 

学業や労働は、人生の「意味になる」ものとされています。

資格の取得やお金になることをすれば、生活の質が高まるので「意味になる」。

それに対して、勉強せずに遊んでいることや、一日中寝て過ごしてる状態は「意味にならない」と考えられる。

 

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 ざっくりした分け方をすると、以下のようになるかと思います。

  「意味になる」ゲーム

・学習教材としてのゲーム

・知育促進や認知症予防としてのゲーム

・クリエイターなどの職能としてのゲーム

 

ゲームが知的発達に有効なことや、コミュニケーションを活性化させるといった研究結果は多数あります。

また、「一日中格闘ゲームをしていた」としても、それがプロのゲームクリエイターやEスポーツの選手であれば、批判対象にはなりにくいでしょう。

プログラマーを目指して、「意欲的にゲームを研究している」という子なら、親からも怒られなさそうです。

 

問題視されるのは、「意味にならない」とされるゲームです。

  「意味にならない」(とされる)ゲーム

・娯楽的な一人プレイ用ゲーム

・課金制のスマホアプリゲーム

・長時間没頭するオンラインゲーム

 

私が延々とプレイし、そして親から非難されてきたのは、もっぱらこちらの方です。

「無意味」なゲームのせいで、学業や労働への意識がなくなっていると思われました。

 

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しかし、何が意味になり、何が意味にならないかは、本人も含めて、誰にも判断がつかないことです。

 

仮に「ゲームで資格の勉強をしていた」人でも、その資格の試験に落ちてしまい、心理的な傷になってしまったならどうでしょう。

勉強へのやる気が出なくなったり、精神的に追い詰められて、うつ病になることが起きたなら、勉強用のゲームに「意味があった」とはいえなくなります。

 

反対に、「オンラインゲームをやりすぎていた」という人でも、それが息抜きになって他の活動がはかどっていたり、人とのコミュニケーションが活発になっているケースがあります。

ゲームをきっかけに仲の良い人が増え、さらにそれが仕事に結びついたなら、「意味がない」と言い切れるのでしょうか。

 

 

私が子どものころ、一日中ゲームをすることは、勉強などに比べて「意味がない」ことだと思っていました。

しかし今ふり返ってみれば、人生が救われていたと思えるほど、重大な「意味になる」ものでした。

 

ゲームが将来の意味に「なる」か「ならない」かは、誰にもわからないのです。 

本人にも予測できない「意味」を持つものに対して、大人の側がゲームの「意味」を勝手に決めて、ゲームを取り上げるのは暴力的です。

 

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ゲームの最大の意味は「無意味」なこと

私は意味の「ない」ことが悪く、「ある」ことが良い、と言いたいわけではありません。

私が子どものころに何千時間もプレイしてきたのは、ゲームに「意味があった」からではなく、どこまでも「意味がなかった」からです。

 

普段の生活では、誰もがたくさんの「意味」にとりまかれています。

「学校に行って勉強する」「働いて給料を稼ぐ」など、生活全体に影響するものから、「人に迷惑をかけたくない」、「モテるようになりたい」など、社会的な言動のすべてが、なんらかの「意味」に結びついています。

 

「意味」という言い方でピンとこなければ、「価値」と言い換えてもいいでしょう。

社会で生活していると、否応なしに、自分にどのような「価値」があるかを計られ、「価値を高めるべきだ」というプレッシャーがかけられます。

 

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通勤・通学の車内では、スマホでゲームしている人をよく見かけます。

社会人として「意味」のある生活をしていくなかで、車内の広告では、キャリアアップやダイエットといった、「自分の価値を高めよう」というメッセージにあふれています。

そんなときにゲームをするのは、「ストレス解消を目的にしている」とか、「アプリゲームを極めたい」といった積極的な「意味」によるものではないと思います。

ゲームをするのは、それが「無意味」だからではないでしょうか。

息抜きのゲームにまで社会的な「意味」があったら、気楽な楽しみになりません。

アプリゲームの「無意味」さによって、「価値を高めよう」という「意味」のプレッシャーから抜けだし、精神的なバランスをとっているように思えます。

 

また、私は今でも日常的にゲームをしますが、友達と外に出かけたときには、ゲームをしなくなります。

公園などで友達とダラダラ話すときには、どこからも「勉強しろ」「働け」といったメッセージを受けません。

遊びのなかに「無意味」があるので、わざわざゲームという「無意味」に没頭する必要がなくなるのです。

 

大人からすれば、「ゲームで遊んでいる時間なんて無意味だ」と思うでしょう。

しかし子どもは、「無意味」だからこそゲームで遊んでいるのです。

 

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子どもがゲームをしなくなる方法

もし大人たちが、子どものゲーム時間を減らしたければ、ふだんの生活のなかにある「無意味」を増やせばいいのではないでしょうか。

「勉強しなさい」「将来を考えなさい」といった「意味」のプレッシャーを減らして、遊びや趣味のような、たくさんの「無意味」を活性化させるのです。

たんに遊園地や映画に出かけるのもいいかもしれませんし、一日中ゴロゴロしているだけの猫を飼うとか、何をして暮らしているのかよくわからないニート(古い言い方で「与太郎」)を家に呼ぶとか、家庭のなかに、社会的な面での「無意味」をとり入れるのです。

日常生活に「無意味」が多くなれば、子どもはゲームという「無意味」に没頭する必要性が減っていくでしょう。

 

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反対に、親が「少しでも役に立つ勉強をしろ」「外に出て1円でも稼いでこい」といった社会的な「意味」を求めつづけるなら、子どものゲーム時間は短くなりません。

その場合は、せめて社会的な「意味」を弱めることで、子どもの「無意味」を確保してほしいところです。

子どもの現状を否定せず、暴力的な方法をとらないでほしいと思います。

 

(もう一つ、子どもにゲームをさせないための、逆説的な方法があります。

それは「プロのゲーマーを目指しなさい」といって、親が無理やりゲームをさせることです。

親から「今日のレベル上げの成果を発表しなさい」とか、「オンラインでの対戦成績を上げなさい」とか指示されたら、子どもにとってどれほど嫌なことでしょう。

子どもにとっては、「無意味」なはずのゲームに社会的な「意味」を持ち込まれるので、プレイするのが苦痛になります。

もっとも、これはゲームを物理的に取り上げるのではなく、精神的に取り上げることになります。結局は暴力的な方法といえるでしょう。)

 

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問題は「奪うこと」ではなく「与えること」で解決すべき

くり返しますが、問題はゲームではなく、「ゲームしかないこと」です。

 

大人たちがやるべきなのは、子どもからゲームを奪うことではありません。

ゲームを含めた、多くの可能性を与えて、子どもの人生を豊かにすることのはずです。

問題に対しては、子どもから何かを奪うことでなく、 与えることで解決の手段を探ってほしいと思います。

 

社会的に孤立して、家に一人でいる状態だと、ゲームが唯一のものになっていきます。

信頼できる人と出会う機会が少ないと、大人になってからも、人付き合いが減り、外出の頻度が少なくなります。

新たな出会いがなければ、ゲーム以外で、自分のやりたいことを知っていく機会も限られてきます。

 

若者の問題において、解消させるべきターゲットは「ゲーム」ではなく「孤立」ではないでしょうか。

学校以外の場をふくめて、子どもが自由に、安心して育つことができる社会になれば、ゲームは問題化しなくなっていくはずです。

 

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「犯人探し」に終わりはない

いつの時代も、若者の問題の原因として、さまざまなものが「犯人」にされてきました。

十年ほど前は「ゲーム脳が危ない」と言われていたはずですが、最近では「スマホ脳が危ない」という主張に変わっているようです。

時代をさかのぼっていくと、子どもの問題に対する「犯人」として、ネットのやりすぎ、アニメの見すぎ、漫画の読みすぎ、テレビの見すぎ、ラジオの聞きすぎ……と、いくらでも出てきます。

 

現代からすると信じがたいですが、明治時代の若者に有害とされたものの筆頭は「小説」でした。

「妄想が過剰になって神経がやられる」とか、「物語を読むと病気で死ぬ」といったことが、当時の専門家によって真面目に語られています。

 

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要するに、その時々の「子どもがハマっているもの」が「犯人」として批判されてきたのです。

子どもに問題があると思えたときに、すぐそばにあるものが「悪い」とみなされてきたのでしょう。

しかし、それらは問題の因果関係が反対です。

「悪い」ものがそばにあるから「問題が起きている」のではなく、

「問題が起きている」から、そばにあるものを「悪い」とみなしているのです。

 

中高年の方々も、若いころに若者文化へを批判を聞いてきたはずです。

過去にはお笑い番組の「下品」さや、ビートルズの音楽を好む「不良」ぶりへの批判もありましたが、それらはどのように有害だったのでしょうか。

むしろ多くの場合、人生を豊かにしていたということはないでしょうか。

 

「問題」の子どもがゲームをしているからといって、ゲームが「問題」なのではありません。

大人の側は一方的に「意味」を押し付つけず、子どもに対して寛大であってほしいと思います。

柔軟な考え方を身につけるため、手始めに、「脳トレ」のゲームでもしてみるのはいかがでしょうか。

 

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執筆者 喜久井ヤシン KIKUI Yashin

1987年生まれ。東京都出身。詩人・フリーライター。
小学2年生から不登校があり、20代半ばまでひきこもりを経験した。
現在「不登校新聞」記者。記事は「スマートニュース」「東洋経済オンライン」「ハフポスト」「ブロゴス」などに掲載されている。
NHK「ハートネットTV」「ノーナレ」他メディア出演多数。
2020年に第一詩集『ぼくはまなざしで自分を研いだ』を出版している。

 

 

※本稿は、当サイトで2020年2月に公開された「問題はゲームではなく『ゲームしかない』こと」を大幅に加筆修正した記事です。

 

(KIKUI Yashin 2021/Photo By Pixabay)