いつも喜久井ヤシンさんによる連載で大好評の1000文字小説、今回はぼそっと池井多からお送りします。〈生きづらさ〉から生まれた小さな世界をお楽しみください。
文・ぼそっと池井多
202X年、新型コロナウィルスを克服してしばらくして、また新しい感染症が人類を襲った。
どこの国でも、じっと見つめ合っていた恋人やカップルが真っ先に感染例として報告されたため、初めは性感染症が疑われた。
しかし、明らかに性交渉のない家族や友人の間でもクラスターが発生していることから、専門家たちはどこかに潜伏していた新型コロナウィルスの復活と考え、飛沫感染を疑った。
新型コロナウィルスがもたらした「新しい生活様式」は、まだ人々の行動に生々しく染みこんでいた。人々はいち早くマスクで口や鼻をおおい、外出を自粛し、ビジネスや教育はオンラインに切り替えられた。
ところが今回は、他人との接触を完全に避け、一歩も家から出ない人々の間にも感染は広まっていったため、専門家たちはあわて始めたのである。
空気感染、ペットによる媒介などあらゆる可能性が疑われたが、依然として感染経路は謎であった。
外へ出ないのに感染した人たちの生活を詳しく調査すると、オンライン会議を多用していたり、インターネット動画をたくさん見ていることがわかった。一方、テレビをよく見るお年寄りの間にも感染者が多いという結果も明らかになった。
やがてWHO(世界保健機構)によって、驚くべき研究結果が発表された。
今回の感染症は、なんと視線によって
しかも、たとえ陽性者とリアルに接触しなくても、オンライン会議で顔を合わせたり、動画で目を見たりするだけで、たちまち感染してしまうとのことであった。
専門家会議は、視線を
「光線なのにウィルスなのか」
という疑問も呈されたが、
「光は粒子であると同時に波である。光線であると同時にウィルスであってもおかしくない」
という説明によって納得することになった。
さらに新しい生活様式へ
政府は、根底から対策を変えなければならなかった。
外出は自粛しなくてもよい。
どんどん外に出て、お金を使い、経済を回してほしい。
ただし、ぜったい他の人と目を合わせてはいけない。
相手の目を見て話すのはダメ。
テレビやモニター画面で誰かの顔を見るのもダメ。
オンライン会議では必ずカメラをオフに。
ライヴやコンサートへ出かけてもよいが、舞台に立っているアーティストと目が合わないように、ずっと床か天井を見ていること。
「こらっ! 話すときは、しっかり人の目を見ないで話しなさい」
と子どもたちは厳しく教えられることになった。
こうして数年前の「新しい生活様式」から、「さらに新しい生活様式」への転換がすすめられたのである。
マスクで口を覆うかわりに、サングラスで目を覆うことも考えられたが、見られた者が「見られた」と意識すれば感染するため、これは役に立たなかった。サングラスほどこわい視線はないのである。
人々はふたたびパニックになった。
古来から何千年も続けてきた生活習慣から、ついつい相手と顔や目を合わせてしまうと、たちどころに感染し、まわりまわって医療現場を逼迫させるのであった。
新型コロナウィルスの時の「ソーシャル・ディスタンス」は、新型ビームウィルスにおいては「ソーシャル・アングル」に改められた。
お互い目をそらして話す、新しい会話の姿勢が動画配信で広められた。しかし動画に登場する人物たちは、けっして視聴者へ顔を向けなかった。
各局のアナウンサーも視聴者に感染させないように、顔をデスクに伏せたままニュース原稿を読むようになった。
ほとんどの人が調子が狂っておかしくなるなかで、順応するのにとくに問題を感じない人々がいた。
ひきこもりである。
ひきこもりは、もともと家から出ることが少ないために新型コロナウィルスの時は感染率が低く、その生き方が賞讃された。
今回もひきこもりからは、新型ビームウィルスの感染者はほとんど出なかった。
ひきこもりは他者の眼差しがこわいため、もともと相手の顔や目を見ないでコミュニケーションをとることに慣れているのであった。
こうして世界は、ますますひきこもりという生き方への評価を高めた。
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・出来事とは無関係です。
<プロフィール>
ぼそっと池井多 東京在住の中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。2020年10月、『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(寿郎社)刊。
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