ひきこもり経験者による、約1000文字のショートショートをお届けします。〈生きづらさ〉から生まれた小さな世界をお楽しみください。
イヴとイヴ
むかしむかし。一番むかしの物語。
世界は楽園で、たくさんの動物たちと、2人の人間だけが暮らしていました。
2人は、どちらもイブという名前です。
楽園には光り輝く樹木が 生い茂っていましたが、たった一つ、〈禁断の実〉だけは特別でした。
神さまから「食べてはいけない」と言われており、口にしたら最後、どうなってしまうかわかりません。
とはいえ、イブとイブには欲望も争いもなかったので、そんなものには興味がわきませんでした。
楽園は黄金の幸福で創られており、2人は2人だけの世界に満ち足りていました。
しかしそんな楽園にも、いつのころからか、奇妙な侵入者が現れるようになりました。
泥にまみれた、毛むくじゃらの生き物でした。
侵入者は2人や動物たちを遠目から見て、何かを探っているようです。
「ちかごろ、おかしな生き物がやってきたみたいだね」
とイブが言います。
「そうだね。形は私たちに似ているけど、ずいぶんと汚らしいね」
と、もう一人のイブが言います。
2人は不思議に思いましたが、危険や恐怖の感情も知らなかったので、侵入者を疑いませんでした。
見かねたヘビが、2人のイブのそばに寄って、話しかけます。
「あの毛むくじゃらは、危ない奴かもしれないぞ。イブとイブが考えられないような、悪さをしでかすかもしれない」
ヘビは危険をうったえましたが、2人は聞く耳をもちません。
「悪さっていったい、どういうもの?」
「神さまの創った世界に、嫌な生き物がいるはずないでしょう」
世界は始まったばかりで、2人は「悪」がどういうものだか、想像もできなかったのです。
そこでヘビは楽園を守るため、2人の人間の代わりに、〈禁断の実〉の見張りにつきました。
あの毛むくじゃらが、間違って果実を口にしないためです。
案の定、侵入者はすぐにやってきました。
「おい、それは特別な果実なんだろう。オレに食わせろ!」
と、ヘビに向かって怒鳴ります。
「絶対にダメだ。これは神さまが禁じた実なんだぞ」
ヘビは止めましたが、侵入者は禁じられていると思えば思うほど、我慢できなくなってしまったようです。
「どけ、それはオレが食ってやるんだ!」
侵入者はヘビを突き飛ばし、無理やり〈禁断の実〉を食べてしまいました。
「ああ、なんてことを!」
〈禁断の実〉を口にすると、侵入者の顔色がみるみる変わっていきました。
「おお、なんだこの感情は!この恥ずかしさは!たまらない、耐えられないぞ!」
侵入者はうめき声をあげて、自分自身の愚かさに苦しみはじめました。
「なんてバカな奴なんだ。食べてすぐに後悔しているなんて」
ヘビは侵入者の姿にあきれましたが、本当に悪いことが起こるのはこれからでした。
侵入者は、股間にぶらさがっていた小さな塊を手で隠して、こう言いました。
「そうだ、ここには2人の人間がいたな。あいつらにも食わせて、オレと同じ目にあわせてやろう」
ヘビは驚きました。
「そんなことをしたら、この楽園は終わってしまう!それに、神さまがお前に罰を与えるぞ!」
「なあに、適当なことを言って、ごまかしてやるさ。ヘビのお前が無理やり食わせたとか何とか言ってな。そうだ、オレは2人にそそのかされて、この実を食ったことにしよう。罪を犯したのはあいつらの方だ!」
そう言って、侵入者は残る〈禁断の実〉をもぎとりました。
そしてヘビが止める声を聞かずに、2人のもとへ走り出します。
ヘビは、原始以来生き物が感じたことがないほどの、おそろしく嫌な予感がしました。
まだ世界は始まったばかりで、これから未来永劫の平和がつづくはずだったのに。あいつはとんでもないことをしでかそうとしている。もしかしたらこの先の歴史のすべてを、変えてしまうかもしれないくらいの。
ヘビは去っていく侵入者の背中を、ゾッとしながら見送るほかありませんでした。
END
———————————————
プロフィール
絵 山本 朝子 (やまもと あさこ)
1986年生まれ。小学校に2ヶ月ほど通った末に不登校になり、家を中心に育つ。絵の学校やアルバイトなど経て、TDU・てきせん大学に入学。絵画、演劇、音楽などの表現活動を大事にしつつ、歴史を学ぶことや、不登校体験からくる生き難さの発見や捉え直しをしたり、人間が豊かでいるための価値観を模索している。
文 喜久井ヤシン(きくい やしん)
1987年生まれ。詩人。不登校とひきこもりと統合失調症の経験者で、毒親育ちのゲイ。Twitter https://twitter.com/ShinyaKikui
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・出来事とは無関係です。
オススメ記事
www.hikipos.infowww.hikipos.info