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「精神疾患ではないが働く気になれない」~ 中年ひきこもりの焦りと絶望

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Photo by PhotoAC

 

文・昼行灯

編集・ぼそっと池井多

 

教育者の親を持って

私の親は教師です。

父親は人権教育に力を入れてきた人で、地域の住民から理想の教師のように尊敬されています。また私の家族も、傍目には理想の家族と映っていることでしょう。

 

しかし、そんな父は、ひきこもりである自分の息子の人権には理解がありません。

「今すぐ働け。働けないのであれば、精神障害者手帳を交付してもらえ」

という二者択一を迫ってきます。

私のことを何も知らない、無責任な社会保険事務所の職員から、

「そういう息子であれば、精神障害者手帳を交付してもらうのがよい」

と吹聴されたからでしょう。

 

「働けない者はすなわち精神障害者である」

という人間観は人権を考慮しているものとは思えません。

親は、市役所のひきこもり支援担当者にも助けを求めたようです。そのため私もこれまで年に数回、その担当者と話をしてきました。しかし、行政の支援者はまったく杓子定規であり、私に対して「人としてかかわる誠意」といったものが感じられませんでした。

 

年度替わりの4月、公務員の異動があったようで、担当者が替わりました。親はその変更を知らされていましたが、私には知らされていませんでした。

こんなことでは、人と人のつながりは築けません。行政の担当者にとっては、あくまでも親が主要なクライエントであり、子どもの当事者はその付属のような存在にすぎなくて、クライエントではなく、人として大事に考えていないということが、これでよくわかりました。

 

「見た目がすべて」という若者文化

私は、今年不惑になります。

大学を卒業して、17年もの歳月が過ぎてしまいました。いよいよ中年のひきこもりになり、焦りを感じています。

 

小さい頃は、非常に感受性の強い子どもでした。他愛もないことを怖がり、気に入らない来客には平気で「帰ってください」という態度を取っていました。

しかし、集中力は強く、難しいパズルなどを夢中になって短時間で完成する能力がありました。

成績は良く、私立中高一貫校に進学しました。そこで行われていたのは、一流大学への進学を目的とした、徹底的な管理教育でした。体罰は当たり前で、今ならば間違いなく問題になっていると思います。同級生たちは、そういった学校の方針に疑問を感じることもなく、指示通りに勉強していました。

 

国語の教師は笑いを取るのが得意で、 飴と鞭を使いこなすのが上手だったため、一部の生徒に人気がありました。

しかし、この頃の私は「嘘くさい物に対する過剰なまでの嫌悪感」を持つようになり、この教師に対して反感を抱き、それが元でまったく勉強しなくなりました。

 

高校の3年間は空手道場に通い、ランニングもしていました。体を鍛えること、マッチョイムズに憧れていた当時の自分を振り返ると恥ずかしいです 。やはり、「三つ子の魂百まで」というように極端な性格は、治らないのでしょう。

そんな高校生活を送ったため、同級生より格段レベルの低い大学に進学しました。そこの学生たちは、高校の同級生たちとはほとんど別の人種で、私はカルチャーショックを受けました。一言でいえばチャライ。キャンパスは、カップルで溢れていました。

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ただでさえ、「見た目がすべて」というような風潮が若者文化を支配していました。現在の「○○映え」「ルッキズム」といった流行語は、そういう風潮を語っているように思います。

容姿にコンプレックスのあった私にとっては、「イケメン」「キモメン」「フツメン」というように男性の顔をランク付けするスクールカーストは、いじめより悪質で、心を傷つけるものでした。

そんな私がキャンパスで浮き、孤立してしまうのは、いわば当然でした。

それでも、私は社会生活から撤退せず、数々のアルバイトを試みました。しかし、どのアルバイトもうまくいかず、ますます疎外感を募らせていったのです。

その頃から、

「自分は顔が悪いから、一生異性とつきあうことはできない」

という観念に囚われて絶望し、厭世的になり、就職する意欲も湧かず、自棄的になりました。

 

耳を傾けてくれない精神科医

大学卒業後は、就職をしなかったため実家に帰りました。

不眠がひどく精神科を受診しましたが、どの精神科医も私の話にまともに耳を傾けてくれませんでした。そして、医師たちは皆、青年期における心の問題を統合失調症という病気にすり替えてしまうのでした。

「顔が悪い」と思い込むのは、醜形恐怖という病気だと指摘されます。しかし、そんな単純なことで片付けられません。若者文化を支配している「見た目がすべて」という風潮は、異常と思えてならないのです。

ひきこもりに関する本も数多く読みましたが、斉藤環氏の言説をなぞる類似本ばかりでうんざりしました。最近は、メディアがいたずらに8050問題を煽り、当事者とその家族を不安に陥れています。

 

最近、地元のテレビ番組で、ひきこもりに長年携わってきた大学教授の活動が紹介されました。カリスマ的な専門家として、ひきこもり支援者の間では有名な方です。

情熱は評価できますが、何か私には釈然としないものが残りました。それは、その人の最終的な目的が、ひきこもり当事者の就労に重点が置かれていることでした。

その番組では、ひきこもり当事者も出演していましたが、その当事者は私とは「違う」という感じがしました。 出演者たちは皆が素直で純粋なのです。それだけ私がひねくれているだけなのでしょうか。

この大学教授は、

「ひきこもり者の中には、未治療の統合失調症患者がいる」

と断言していました。

その断言の口調からは、精神疾患ではないのに就労できないひきこもり当事者という存在を、どこか切り捨てていく危うさのようなものが伝わってきました。

 

何かというとすぐ統合失調症と診断したがるのは、精神科医の性なのでしょうか。

妄想や幻覚がなくても、統合失調症の 破瓜型であることぐらい、素人知識でも分かります。

やはり、この教授は根っからの精神科医で、私は絶対肌が合わないと 思いました。

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語られるのではなく語る存在として

そうこうしている間に、NHKでぼそっと池井多さんらの活動を知りました。そして、その活動が、これからのひきこもり問題に新たな知見を与えてくれると確信しました。

「ひきこもりは語られるものではなく、語るものである」

という気がしてならないのです。

私もこれから高齢のひきこもりになり、社会からの風当たりがますます強くなるでしょうが、まだ人生を放棄するわけにはいきません。ひきこもりのように社会的に無用な存在にも、何かできることが絶対にあると思うのです。

(了)

 

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