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「女の子に近づけなかった学校時代 勉強と私」 中年ひきこもり当事者 子守鳩さんの当事者手記 第3回

~ ご注意 ~

この記事では、に関する語句や描写が出てきます。

読みたくない方は読まないでください。

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Photo by PhotoAC

文 子守鳩

 

・・・第2回からのつづき

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好きな女の子とはしゃべることができない

幼稚園での一番の思い出は、母親に叩かれて泣きながらハーモニカの練習をしたことでした。そのことは前回の記事で書かせていただきました。

地元の公立小学校に上がってから、私は学校でいじめを受けることもなく、不登校にもなりませんでした。

家庭内の雰囲気がとげとげしく暴言と暴力に満ちていたので、それと比べると学校は、だいぶ平和でまともな環境に感じられました。

遊び友達もでき、小学校に通うのが嫌になったことはありませんでした。

高学年になると好きな女の子ができましたが、恥ずかしくてその子とはしゃべることができませんでした。

 

公立中学に入ると、地元で評判のいい小さな塾に通うようになりました。

厳しい塾だったので学校の成績は上がりました。

中学校でも好きな女の子ができましたが、やはり恥ずかしくてその女の子とはしゃべることができませんでした。

 

高校も地元の都立高校に行きました。

偏差値的には中の上という感じでした。

高校の授業は難しくて、つまらなくて、勉強する意欲がなくなりました。

まわりの生徒はそれなりに頭のいい子ばかりだったので、すぐに成績が低下していきました。

英語と数学だけは、それほど勉強しなくても中学校からの勉強貯金で良い成績がキープできましたが、他の科目は惨憺たるものでした。

高校でも好きな女性ができましたが、やはり恥ずかしくてその女性とはしゃべることができませんでした。

 

セックスへの執着

そう書くと、まるで誰にでもある普通のことのようですが、私の場合は度が外れていました。

好きな女性の近くに行くだけで、顔や耳が真っ赤になり、呼吸困難になりました。

息を吸うことはできるのですが、吐くことができなくなってしまうのです。

緊張と興奮で息が荒くなってしまい、荒くなった息の音を気付かれないようにしようと努力していたところ、息を吐くことができなくなってしまったのです。

それで息が苦しくなって、その場から逃げなければなりませんでした。

 

なぜそこまで緊張してしまうのか。

いま振り返ってみると、まずその女性に好意を持っていることがばれてしまうのが怖かったからです。

けれども、誰もそこまでは同じかもしれません。

私の場合、さらにその先があるのです。

「もし自分が、その女性とセックスしたいと思っていることがばれてしまったらどうしよう。

いや、もしかしたら、もうばれているのではないか」

という考えで頭の中がいっぱいになってしまい、もうその場に留まっていることすらできなくなってしまうのでした。

 

「……彼女と付き合いたい。……セックスしたい。

……でも、しゃべることすらできない。……だから付き合うこともできない。

……彼女とセックスするなんて夢のまた夢。

……もしセックスするとしてもどこですればいいんだろう…

……うちではダメだ… 万一親に見つかったら何て言われるか分からない… 言われるだけでは済まないだろうな… 母親は半狂乱になってわめき散らし、父親は怒鳴りながら殴ってくるだろうな…

……となると彼女の家でやるの? どんな家なんだろう… どんな親なんだろう…

……それにもし万が一妊娠でもしたらどうなるんだろう… 

……中絶? 費用がいくら掛かるのかも分からない… 

……もし相手を妊娠させてしまったら多分、親からは出てけ!!と怒鳴られるだろうな… 親に中絶費用を出してもらうことは難しいだろうな… 

……出てくとしても出ていくところもないよな… 今の俺ではまだ到底妻子を養えねぇ…

……結局セックスなんて出来やしねーじゃねーか…

……今 15才だけど一体いくつになったら好きな子と好きなだけセックスできるんだ…

……結婚したらいいのか…でも結婚なんて一体何年後になるんだ?… 

……大学卒業して働くようになる 23才? 今から8年後!? 

……8年間もこんな苦しみを味わわないといけないのか!? 

……なんなんだこの社会は… なんなんだこの仕組みは… 

8年間も我慢!? 我慢して我慢して我慢して勉強だけ!? 」

 

などと独りもだえ苦しみ、それを誰にも相談できませんでした。

なぜならば、当時、そういうドロドロした本音を打ち明けられる友達がいなかったのです。

 

親はそんなことを許すわけがないと分かっていたので親とは相談はできなかったし、家庭内で性の話をしたこともありませんでした。

凍り付いた緊張感が漂う家庭では、性の話なんて話せる雰囲気すらなかったのです。

先生に相談したとしても、

「みんな我慢してるんだ、お前も我慢しろ」

と言われるに違いないと思っていました。

しかし、当時は「相談する」という発想すらなかったというのが正直なところです。

というのも、親や先生などの「大人」は自分たち子供を虐げ、締め付ける存在だと思っていたので、相談相手という認識は持っていませんでした。

周りにいた友達に相談しなかったのは、友達も同じ問題で悩んでいるに違いないという思いがあったし、解決策を持っているようには思えなかったからです。

 


 

 

好きな女性とセックスしたい。けれど妊娠したら破滅。やりたいことをすると破滅するという自己矛盾。しかしそれ以前に、そもそも、事務的な会話すらもできない。それ以前に呼吸すらすることができない。

その引き裂かれるような苦悶にいつも胸が搔きむしられるようで、私は毎日、発狂寸前でした。

 

両親との関係の影

これほどまでに女性との関係が困難になったのは、母親との関係が影響しているのではないか、と今の私は推測しています。

つまり、好きな女性を母親と同じように見立ててしまっていたのではないか、と思うのです。

私は、母親からの愛情を切実に求めながらも、母親と会話できませんでした。

怒鳴られるのではないか、といつも母親の表情を気にしてびくびくしていました。

母親のご機嫌を取るためには良い成績を取らなければならないのに、学校の勉強が手につきませんでした。

「成績の悪い自分が好きな女性に受け入れてもらえるのだろうか。どうせ無理だろうな…」

と思っていたのです。

結局、性の悩みがあまりにも大きすぎて、全く勉強が手につかなかったのでした。

それで勉強もせず、部活やクラブにも入らず、自宅でひたすらパソコンゲームをしていました。

「信長の野望」や「三国志」、「大戦略」、「ストリートファイター」などをひたすらやっていました。

学校の勉強はひたすら難しいだけで、将来どんな役に立つのか全く予想がつきませんでした。

父親はいつも会社で喧嘩して辞めて、というのを繰り返していました。

いつも不機嫌な顔をして会社から帰ってくる父を見て、

「どうやら会社というのは、とても不機嫌な思いをさせられるところらしい…、俺はそんなところには行きたくない…」

という思いを強めていきました。

父親の姿を見て、

「将来サラリーマンにだけはなりたくない」

という考えを固めていったのです。

 

希望なき青春時代

全く勉強しなかったため、受験した大学は全部落ちました。

予想通りでした。

性の悩みも深く、苦しく、将来に全く希望が見いだせない中で、自殺について考えるようになりました。

受験後、母親が、

「浪人して来年もう一度受験したらどうか」

と提案してきました。

高校卒業後すぐに働くのは御免だと思っていたこともあり、その話に乗りました。

しかし浪人しても、やはり全く勉強をする気は起こりませんでした。

高校時代と同じように、というよりも高校時代以上に、ゲームに没頭する日々となりました。

その結果、浪人後に受験した大学もほとんど全部落ちましたが、運良く一つだけ合格できました。

次回は、私の大学時代について書かせていただこうと思います。

 

・・・第4回へつづく

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