(文・南しらせ)
来客対応1
夕方5時を知らせる町内放送のメロディがスピーカーから鳴り響く2分前に、自宅のチャイムが鳴った。
鏡も見ずに急いで手に取ったマスクを顔に貼り付けて玄関を開けると、そこにはマスク越しに薄い笑顔を浮かべているだろうスーツ姿の男性が立っていた。
「お休みのところすみません。私、〇〇新聞の××と申しますが、ご両親はいらっしゃいますか?」
「いや、今は親は両方とも、仕事でいない、ですね」
私がそう答えると、男性は両親がいることを前提に準備してきただろう言葉を喉の奥にしまおうとした。しかしこのまま何も言わずに帰るわけにもいかないという、諦めと執念を感じさせる声音で話を続けた。
「現在ご購読いただいているうちの新聞なんですが、来年以降も引き続きご契約をお願いできないかなと思いまして、伺ったしだいでして」
遅れて聞こえてきた夕方5時を知らせるメロディが響き始めた玄関で、私はマスクの鼻の位置を手で軽く調整しながら、舌先にあらかじめ用意していた言葉を滑らかに口の外にすべらせる。
「申し訳ないんですけど、うちは新聞は母親にもろもろの決定権があるので、私の一存で今この場で更新するとかしないとか、言えない感じなんですよね。すみません」
そうですよね、また来ます。
そう言って男性が玄関を去った時にはもう、夕方5時を知らせるメロディは鳴りやんでいた。
来客対応2
夕方5時を知らせる町内放送のメロディがスピーカーから鳴り響く2分前に、自宅のチャイムが鳴った。
鏡も見ずに急いで手に取ったマスクを顔に貼り付けて玄関を開けると、そこにはマスク越しに薄い笑顔を浮かべているだろうスーツ姿の男性が立っていた。
「お休みのところすみません。私、△△テレビの□□と申しますが、ご両親はいらっしゃいますか?」
「いや、今は親は両方とも、仕事でいない、ですね」
私がそう答えると、男性は両親がいることを前提に準備してきただろう言葉を喉の奥にしまおうとした。しかしこのまま何も言わずに帰るわけにもいかないという、諦めと執念を感じさせる声音で話を続けた。
「私いまケーブルテレビご加入のご案内をさせていただいておりまして。ご契約の方どうでしょう、というお話で伺ったしだいでして」
遅れて聞こえてきた夕方5時を知らせるメロディが響き始めた玄関で、私はマスクの鼻の位置を手で軽く調整しながら、舌先にあらかじめ用意していた言葉を滑らかに口の外にすべらせる。
「申し訳ないんですけど、うちはテレビは父親にもろもろの決定権があるので、私の一存で今この場で契約するとかしないとか、言えない感じなんですよね。すみません」
そうですよね、また来ます。
そう言って男性が玄関を去った時にはもう、夕方5時を知らせるメロディは鳴りやんでいた。
コピペ人間
問題を判断する自分の責任を放棄して親に委ね、ただその場を凌ぐためにいつしか自分の舌の上に出来上がった定型句。あとはそれを毎回口の外にコピーアンドペーストするだけだった幼少期を経て、気づくと私は大人になっていた。
これじゃコンビニ人間ならぬ、コピペ人間だな。でも私も好きでコピペがしたかったわけではなくて、コピペしかやり方が分からなかったからこうなったのだけれど。
「いや、今は親は両方とも、仕事でいない、ですね」
――両親の定年があと数年に近づいている。親が仕事でいないという前提が崩れる。
「うちは○○は親にもろもろの決定権があるので、私の一存で今この場で契約するとかしないとか、言えない感じなんですよね」
――親にもし何かあったら、家のことの決定権は親にあるという前提が崩れる。
これまで使い続けてきたコピペの前提が崩れていくのはもう時間の問題で、いずれ何事においても親ではなく自分自身で判断しなければならない時が来るのは分かっている。
大切なのは主体性。それはひきこもっているかどうかに関係なく、家の外でも中でも日々の小さな挑戦と経験の蓄積を経て得られる力。問題はそれを得ようとする姿勢や意欲があるかということ。
また夕方5時を知らせるメロディが鳴り響く。その音が耳に入った時、夕方5時を知らせるメロディは毎日同じ時刻に同じ音を流しているだけのコピペだよな、とふと思った。
主体性。気づいても分かっていても、どうしても楽な方に、楽な方に流れてしまう毎日。それが自分の首を絞めているのだと知っていても、どうしても繰り返してしまうコピペ。
夕方5時を知らせるメロディみたいな人生を、私は今日も送っている。
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執筆者 南 しらせ
自閉スペクトラム症などが原因で、子ども時代から人間関係に難しさを感じ、中学校ではいじめや不登校を経験。現在はB型作業所に通所中(ひきこもり生活は6年目)。