ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-

『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

ひきこもり断想「老いと鬱の日記」

今回は、ひきこもり経験者による断片的な日記をお届けします。短い言葉で刺激的なイメージを起こす手法は、「箴言(しんげん)」や「アフォリズム」と言われています。 文芸的な表現をご覧ください。

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この一年もひどい年だった。自ら生活していくのではなく、耐えて生存するばかりの、受忍の三十年を生き延びている。

 

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この世はなんてつまらないのかとたびたび思う。

 

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小さな生。狭い一生。

 

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今日で寿命ではないかと思う疲れ果てた起床。

 

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髪の毛の先まで老いている。

 

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睡眠時よりも日中が仮死に似ている。

 

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老い。肉体からのこの死刑執行は遅すぎる。

 

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自室という緊急治療室に入って十年が過ぎた。

 

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生きがいというほどのものはなくていい。だが時間を過ごすための推進力がいる。

 

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虚脱。呆然。苦渋の心臓。これが毎日。

 

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「人生は苦しい」は同語反復である。

 

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世間から離れるのは孤独の技術だが、自分自身から離れるのは孤独の陥穽(かんせい)である。

 

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私の自己との関係における長い冷戦はまだ終わっていない。

 

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老人は健康について病的に話す。

 

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将来をどうするのか、老後をどうするのかという声がする。だが熟慮する必要がどこにあるのか。私の今日この瞬間より苦しい現在などありえないというのに。

 

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私は多重人格ではなく多重人生に分裂した。どの人格も十全に生きられない精神病者のように、私は自分の一生を生きられない。

 

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青年期……中年期の乾いた足で、少年期の涙を踏む期間。

 

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私の一日は今日と同時に遠い昨日を負う。毎日に生の二重労働が課されている。

 

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歳月は平等に老いを与え、若さの苦渋を解消する。慰撫ではなく破砕によって。

 

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若さは一時の不老不死である。

 

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苦手な人がいたときに、私は相手が極度に年老いた姿を想像する。小言を言われたとしても、それは高齢者の譫妄(せんもう)にすぎない。

 

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金だけでは資本にならない。「金と可能性」が資本になる。よって私には資本がない。

 

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喫茶店で何もせずに過ごす半刻……。自分を他人にできる時間があるとき、人ははじめて落ち着いて自分になれる。

 

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路上を歩いている途中でふと立ち止まらざるをえないほどの疲弊が心身にある。

 

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あなたは路傍に立ち止まったことがあるか。凄まじい失意のみを理由にして。

 

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通りすがりの子供の、黒髪の美しさに衝撃を受けた。ただの黒ではなく生きている漆黒である。かつて私にもあったであろう、おごりなきおごそかな黒。

 

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私は苦しんでいることそのものを糧にして生き延びているかのように苦しんでいる。

 

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豊かな過去を増やせることが現在の豊かさである。

 

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どれほどの老年であれ、悲しみにはいつも思春期のように傷つける。

 

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現代の若者に意欲が足りないという批判は古典的である。だが日本社会を「失われた二十年」と呼ぶ批判者は、「失われた」という意欲のない言葉を、二十代の全生涯に聞かせている責任をとらない。

 

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64も、PSPも、DSも。使いすぎで壊れたゲーム機が何台もある。私が自身の時間を壊した結果としての。

 

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揺り籠の内側を蹴る赤ん坊の脚。すでに私から失われた生命の膂力(りょりょく)。

 

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体は苦の住み家。

 

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日没とともに砂浜の水位が上がるように、ある夕暮れ、死ぬ理由が生の陸地を浸食していく静かな満潮がある。

 

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洗い髪の香りを、誰も嗅ぐことがない。

 

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無名に生まれて無名に死ぬ無明。

 

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首を吊ることをよく思う。

 

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夜に預金通帳を見る。

 

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身に身が入らない。

 

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頻繁に心悸亢進が起こる。だが私に必要なのは心臓バイパス手術ではなく定職だ。

 

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不快な服のように生身がある。

 

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私の心の声は自分にも届いていない。

 

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私の自己の斥力(せきりょく)はやわらかず、いまだ自分自身も寄せ付けないほどだ。

 

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この身体は私と相性が悪い。

 

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適応における障害が問題だとしても、障害に適応せねばならない一生が本当に必要か?

 

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私が自分であるという耐え難い汚名。

 

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だが人生が悪夢だとしても、私にはこの悪夢しかない。

 

 

 

 

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文 キクイ ヤシン
詩人。ブログ http://kikui-y.hatenablog.com/

 

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