(文・南しらせ)
B型作業所や趣味の読書にまつわる話、ポイ活から抜け出せないこと。最近の私の生活についてのとりとめのない話です。
工賃は自分の分身
私のひきこもり生活の数少ない趣味が読書だ。とても好きな作家さんがおり、その人の本を読むのが生きる楽しみと言っていい。ただ最近は本も高いので気軽には買えず、その作家さんの本も図書館で借りて読んでいたが、やはり普通に買いたいという気持ちも強くあった。
昨年からB型作業所に週一日の頻度で通っている。昨年の秋ごろに作業日数を増やしてみたのだが、すぐに体調を崩してしまい、もとの時間に戻すことになった。さらに新型コロナの影響で工賃の額も減ってしまい、私の現在の工賃(給料)は、月約1000円だ。
両親と話して、工賃は私自身で管理し使い方を決めてよいことになっている。ただ私はこの工賃でその人の本を買えないでいる。
私にとって工賃は自分の分身のようなものだ。現在の自分の精神的・経済的・社会的な立場をかたどっている。何かを買うことによって、工賃の千円札という形のある存在が崩れて小銭に変わってしまうことを私は恐れているのだ。買った商品(本)よりもおつりの小銭の方を見て、それが今の自分の全てだと感じてしまう感覚がずっと消えない。
作業所で毎月工賃をもらう時はうれしいより、苦しい気持ちが強い。色々な意味でギリギリの生活をしている自分の危うさや脆さを可視化されたようではっとするのだ。こういう時、作業がボランティア活動だったらいいのなに思ったりする。作業にやりがいは感じているけれど、お金の話はなかなかに悩ましい。
ポイ活で得るものと失うもの
それでも私の好きな作家さんの本がほしいという欲は消えず、思いついたのがスマホなどを使ってポイントを貯める、いわゆるポイ活だった。
本は中古で買えばかなり安くなるが、中古だとその作家さんに印税が入らないというどこかで聞いた話を私は信じ、作家さんを応援するために新品で買うことにこだわった。しかしポイントで買う時点で本当のファンと言えるのかとか、そもそも今の自分は他人の応援をできる立場なのかとか、色々な疑問や自己矛盾が頭をよぎった。
わずかなポイントの対価として自身の個人情報をずっと差し出していると、自分の人生がものすごく安っぽく感じて虚しくなる。急に怖くなってポイ活をやめようと思うことも何度もあった。それでも意地でポイントを貯めてネット通販で使える買い物券と交換した。
苦労してポイ活で本を買えた時はうれしいよりも苦しい気持ちが強くて、作業所の工賃の時と似てるなと思った。
まっすぐ進めば早いけど、回り道しか歩けない
ネットで買い物をして思うのは、最近のネット通販の宅配スピードは異常だということだ。私がネットで注文をするだけで疲れてしまい、寝込んで次の日起きたらもう商品が届いていた。その間の自分の怠けた時間の過ごし方を咎められたようで後ろめたさを感じた。
その後も届いた本に痛みがあって気になる→ブックカバーをつけてごまかそうとする→通販だと紙のブックカバーがついてこない→ネット上のブックカバーのデータ(公式で無料)を自宅のプリンターで印刷し、本に取り付ける→インクが急激に減って交換が必要になる→買った本代よりインク代の方が数段高いと判明→ポイ活の意味ないじゃん!(泣)→ショックで寝込む
(※上記の話はネット通販を否定するものではありません。ポイ活をこじらせた私の愚痴です)
しかしその後も私はこりずにポイ活を続けている。正直このやり方で本を買っても楽しくないし、自分にも作家さんのためにもなっていないと思う。
それでも私がこのやり方しかできないのは工賃の額うんぬんではなく、これまで染み付いた自分の生き方のせいだと思う。ポイ活みたいに変に曲わり道をして疲れるという歩き方しか私は知らないから、他のやり方をするとアレルギーのような拒絶反応を覚えるのだ。
好きな作家さんの新作こそは、自分が納得のいく形で読みたい。そう思いながら私は作業から帰ってきて、また布団の中でポイ活をしている。スマホのポイ活画面の向こうに、結局新刊も図書館本で済ませている未来の自分の姿が透けて見える。
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執筆者 南 しらせ
自閉スペクトラム症などが原因で、子ども時代から人間関係に難しさを感じ、中学校ではいじめや不登校を経験。現在はB型作業所に通所中(ひきこもり生活は6年目)。