「第7回」からのつづき・・・
文・子守鳩
前回に書いたような理由で、家財道具も就職先も住むところも何もないまま、スポーツバッグ一つと1万円程度の所持金だけを持って、32歳になった私は宗教団体を後にしました。
その時、私の頭を占めていたのは、「やっと自由になれた」という解放感ではありませんでした。
「はて、これからどうやって生きていくか」
という大問題だったのです。
真理幸福学会(仮称)に入る前は自殺しようと考えていましたが、脱会するころにはもうその意志はなくなっていました。
なぜなら、宗教団体で死後の世界について、
「自殺すると、死んだ後に苦しい霊界に行って苦しまなければならない」
と教えられていたからでした。
経歴なし・コネなし・スキルなし
住居、仕事、お金の三つを同時に解決できる選択肢は限られていました。それで私は、住み込みかつ食事付きの仕事に限定して就職先を探し始めました。
仕事の種類に関してほとんど知識がなく、もちろんコネのようなものはまったくなく、しかもこれといったスキルも持っていなかった私には、やれそうな仕事といえば新聞配達ぐらいしか思いつきませんでした。
新聞配達の仕事はとてもきついものでした。
朝2時に起きて新聞にチラシを入れ込み、3時頃から6時頃まで朝刊の配達。
帰ってきて朝ごはんを食べ、シャワーを浴びて、それから昼頃まで仮眠。
お昼ご飯を食べて、13時から事務所に行って、新聞購読の営業や集金。
15時頃から17時頃までは夕刊の配達。
そのあとは、また新聞購読の営業と集金、20時に終了。
そういう生活を年間365日中364日続けました。
同僚たちは皆やさしく、精神的にはそれほど辛くはなかったのですが、肉体が悲鳴を上げました。
不規則な生活で下痢や便秘や痔がひどくなり、しまいには心臓の辺りがチクチク痛むようになっていきました。
「この生活を続けていったらヤバイ」
と直感し、一年が経つころ辞めることにしました。
次にやった仕事はお葬式の営業でした。
具体的には、冠婚葬祭を安くできる会員を募る営業でした。
前職の経験で「自分は営業ならできる」と思っていたし、常に死について考えてきた自分にとって、葬式の営業は性に合っていると考えたからでした。
しかし、実際にやってみると、想像していたものとは大違いでした。
見ず知らずの家庭に飛び込みで訪問し、いきなり葬式の会員の営業をするわけです。ほとんどの家で断られました。
会社から求められていた実績を上げることができず、精神的にボロボロになりました。給料も歩合で安かったため、生活が苦しくなり、約3か月で辞めることになりました。
たどりついたらブラック企業
次に就いた仕事は、印刷会社でのルートセールスでした。
飛び込みの新規開拓営業でボロボロになった私でも、すでに顧客となっている相手に要望を聞いていくだけのルートセールスならできるかもしれない、と思ったからでした。
たしかに、この仕事は新規開拓営業よりは楽でした。その結果、自己記録最長の2年11カ月も長続きしました。
しかし、チラシやパンフレットなどが主力商品の零細な町工場であったため、紙広告からネット広告へという時代の流れのなかで、典型的な斜陽産業になっていました。
それでいて土曜出勤やサービス残業は当たり前、たまに祭日出勤があっても手当はつきませんでした。
「このままこの業界にいても豊かにはなれない」
と感じました。
手取り17万という安月給なのに定期昇給もありませんでした。
社長へ遠回しにそれを言うと、
「大きな業績を上げてくれないと昇給はできない」
とはっきり言われました。
しかし、これでは大きな業績など上げようもありません。
しまいにはボーナスもカットされて、最後には「寸志」になりました。
要はブラック企業だったんですね。
辞める頃には同僚の一人と険悪な関係にもなりました。
そんなこんなでこの会社も辞めることにしました。
働かずに稼ぐ方法はないのか
このころから私は、もう働くことがつらくてつらくて、嫌で嫌でたまらない状態になっていました。
宗教団体時代のようなやりがいは全くないのに、給料のためだけにやりたくもないことをひたすらやり続けるという生活に耐えられなくなっていたのです。
会社を辞める前から、こういうつらい生活を抜け出すためにはどうしたらいいのか、ということばかり考え、ひそかに調べ続けていました。
どうにかして働かないで生きていきたい。働かないで生きていく方法はないものだろうか、と。
そんな中、あるノウハウ本に出会いました。その本には、インターネットを使えば、働かなくてもお金を稼ぐ方法がある、と書いてありました。
私はその本の著者が作った情報商材を購入し、インターネットビジネスで稼ぐ方法を学んでみることにしました。
しかし学んでみれば、その「稼ぐ方法」とは、著者と同じように情報商材をインターネット上で販売する、ということにすぎませんでした。
それは、すでにもう著者がやっていることだから、それを追いかける者には著者ほどの収益が入ってこないことは明白でした。
しかも、それは著者にとっては簡単だったとしても、読んでみるとパソコンに関する知識がかなり必要で、とてもではないけれど、パソコンのスキルに乏しい私には難しくてできないものでした。
私はその情報商材を買って読んだだけで、お金は一円も稼げずに終わりました。
私が取り組んだアフィリエイトの方法
次に取り組んだのは、商品をインターネットで紹介して紹介手数料で稼ぐアフィリエイトという手法でした。
前の情報商材で失敗した私は、もう情報商材を買わされるだけで終わってはたまらないと、実際にその手法で稼いでいる専門家にコーチングしてもらいながらアフィリエイトを実践していきました。
当時アフィリエイトの手法は大きく分けて2つありました。SEOアフィリエイトとPPCアフィリエイトです。
SEOとはSearch Engine Optimization (検索エンジン最適化)の略で、インターネット関係ではよく使われる語のようですが、SEOアフィリエイトというのは、検索で上位に来るようなページを作って集客する手法のことです。
それに対してPPCはPay Per Clickの略で、PPCアフィリエイトというのは広告で集客する手法であり、私はこちらを選択しました。(下の図1参照)
ヤフーやグーグル等に広告を出して自分の販売ページに誘導し、そこからさらに企業のページに誘導して商品を買ってもらうというものです。
この手法のいいところは広告を無料で出せるところです。広告がクリックされなければ1円も払う必要がないのです。しかも支払うのは1クリックにつき10円程度の安い金額なので、広告資金に余裕のない個人でも可能でした。
ちなみにこの手法は当時は有効でしたが、現在は使えなくなっています。
ここでいう広告とは、ヤフーやグーグルなどの検索窓に単語を入力して検索した後に上位に出てくる文章のことを言います。最初に太字で「広告」と書かれ、通常の検索結果と区別されています。「広告」と書かれていないものが本来の検索結果です。(図1参照)
作業としては、まずアフィリエイト広告会社が出している中から良さそうな帯状の広告、つまりバナー広告を選びます。そして、たった1ページしかなくて画面の真ん中にバナー広告が一つしかないサイトを作ります。これを業界ではペラサイトといいます。これで自分の販売ページは完成です。(図2参照)
そのあと、ヤフーの広告作成ページへ行って検索されるであろう単語を選び、その単語を使って2〜3行ほどのキャッチコピーを作ります。こうしてキャッチコピーだけの広告ができあがります。
こうして人々がグーグルやヤフーなどで単語を入力して検索したときに、自分が作ったキャッチコピーだけの広告が出てくるようになるのです。それをクリックしてくれる人が、バナー広告しかない自分の販売ページに来てくれるというわけです。
この広告は入札額に応じて上の方に表示されるのですが、お金がなかった私は1クリック1円~10円といった単価の安い単語を探し出して広告を出していました。
具体例を示してみましょう。
例えばプロテインを売るとします。
まずはアフィリエイト広告会社の中から、プロテインのバナー広告を探します。そのあと、プロテインのバナー広告しかない、中身のないペラサイトを作ります。さらに、ヤフーの広告作成ページへ行き、「プロテイン オススメ」とか「プロテイン 日本製 安い」といった単語の単価を見ていきます。
ここでたとえば「プロテイン 日本製 安い」という単語の最低入札額が10円で、安くてよいと思えば、そこに希望額を入札し、それを使って2行ほどのキャッチコピーを考えます。例えば、
日本製のコスパ最強のプロテインなら
こちらをクリック
といったキャッチコピーです。
他の入札者より私の入札額が高ければ、私が書いた「日本製のコスパ最強のプロテインはこちら」というキャッチコピーがそのまま広告となり、ヤフーやグーグルの検索結果の上位に表示されます。
運よく誰かがそこをクリックしたとします。
その人は私の作った、バナー広告だけのペラサイトに来ます。
そのとき私はヤフーに1クリックにつき10円支払います。
ペラサイトに来た人のうち誰かがバナー広告をクリックしてプロテイン会社のホームページへ行き、プロテインを購入してくれると、初めて私に紹介手数料が入ってくる、という仕組みです。
次に、広告費と紹介手数料の一覧表を作っていきます。
例えば次のような商品を考えてみます。
1クリック10円の広告で1か月で200クリックされるとします。そうすると広告料は10円×200クリックで月2000円になります
。200クリックのうち商品を購入してくれる人が6人で紹介手数料が1件につき500円だとします。そうすると1か月の収入は500円×6=3000円、支出は2000円となります。これは利益の出る案件となります。
一方で、広告費が4000円、収入が1000円などという赤字の商品があればその広告は停止し、サイトも閉鎖します。
こうしてたくさんのペラサイトを量産し、赤字のサイトは閉鎖し、黒字のサイトは残すという作業をひたすら繰り返していくのです。
私の体感だと、数か月黒字になる商品は100個中3個、数年間黒字になり続ける商品は100個中1個程度でした。要は97%~99%の作業が無駄になるのです。
しかも、黒字のサイトの利益で、残り97%の赤字のサイトの損失を補填しなければなりません。このため、大した利益は手元に残りませんでした。
面白くもない膨大な作業に疲れ果て、稼いだお金を作業時間で割ってみたところ、なんと時給50円でした…。
この作業の苦痛と収益の少なさにやる気が持続せず、私はまもなく止めてしまいました。
こうしてアフィリエイトでも挫折し、収入もなくなって、途方に暮れている中で、次に出会ったのが「せどり」という転売の手法でした。
「せどり」は、元は漢字で「競取り」「背取り」と書いたなどいくつかの説があるようですが、ようするに「同業者の中間に立って品物を取り次ぎ、その手数料を取ること」を指します。
私が出会ったサイトには、インターネットを使ったビジネスの中で最もハードルが低くて簡単なのがせどりであり、もしこの方法で挫折したら潔くネットビジネスから身を引いた方がいい、と書いてありました。
私はその言葉を見て、最後の望みをかけてせどりに取り組んでいくことにしたのです。
・・・「第9回」へつづく
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