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こころの産毛を擦り切らせないように 追悼・中井久夫

(文・喜久井伸哉)

 

2022年8月8日、中井久夫氏が亡くなられた。88歳だった。

私は一読者に過ぎず、面識もないが、この場を中井氏の記念とさせていただきたい。

 

私はライターとして、何度か著名人への取材をしている。

仕事を始めたとき、願わくば取材したいと思う人の筆頭が中井久夫氏だった。

(次が大江健三郎氏で、鬼籍に入られた方だと白川静氏がいた。)

 

私は幼少期から世の中との関係がこじれ、孤立と病苦に苦しんできた。

辛酸の中で精神医学の本を読んだが、多くは上辺の情報に過ぎず、満たされることがなかった。

しかし中井氏の言葉は、内奥を脈動させる救済であり、生命力を与えられるものだった。

以下に著作の題名を重ねつつ、心についての静かな偉業を回顧したい。

 

 

中井久夫。

2022年8月8日。

稀有な巨星が逝った。

 

いくつもの天命を生きた人だった。

独創的な思索を深めた精神科医として。(『徴候・記憶・外傷』)

後続を育成する指導者的立場として。(『こんなとき私はどうしてきたか』)

該博な知性を宿した思想家として。(『世界における牽引と徴候』)

国外の先進的治療の紹介者として。(『心的外傷と回復』)

ギリシャ語やフランス語からの詩の翻訳者として。(『カヴァフィス全詩集』)

阪神淡路大震災を詳細に報じた記録者として。(『災害がほんとうに襲った時』)

 

研究者としては、「日本で最初にウイルスの結晶を作った」という先駆的仕事にも携わっている。(「ウイルス学の徒弟時代」)

浩瀚な著書の中では埋もれてしまうが、伝記集の『天才の精神病理』は、専業の評論家が半生をかけても成し得ない畢竟の一冊である。

 

仕事量は膨大かつ高速だった。

原稿用紙に手書きしていた頃でも、多ければ一日に30枚を進められたという人である。「ワードプロセッサー」を使うようになってから、壮年期には日々1万字以上書いていたという。(「執筆過程の生理学」)

 

私の「本の世界」 中井久夫コレクション (ちくま学芸文庫)

 

この天来は二十世紀日本の成層圏に、医者として作家として人として、いくつもの知性の星座をかけた。

名著の星屑は天体に光芒を見せ、私のような小さな者の目を眩ませるほどである。

だがその星霜が生まれたのは、足元の小石ほどのものへの哀痛だった。

名もなき人々への共感が心からの憐憫を生み、生涯を精神の機微に捧げる源となった。

 

中井氏が引用した詩句にも天翔ける陽光は少なく、詩人たちはいずれも苦しげにうつむいている。

 

『季節よ、城よ、無傷なこころがどこにあろう』(ランボー『地獄の季節』)

 

『身体の傷は何カ月かで癒えるのに、心の傷はどうして癒えないのか。四十年前の傷がなお血を流す。』(ヴァレリー『カイエ』) 

 

戦前・戦中・戦後の混乱期を生き抜いた人だった。(「私の『今』」)

学問にかける気迫が、現代とは比べ物にならない。

戦後中井氏が大学に入った頃、同級生の中には「学問できるだけありがたい」と言って、野宿しながら勉学に励む者もいたという。(「新制大学一年のころ」)

決して時代的な環境や、治療者向きの技術に恵まれた人ではなかった。(「Y夫人のこと」)

 

人との関係においても過酷な経験を重ねており、少年期や研修医時代に受けた「いじめ」の外傷は、後半生に至っても消えなかった。

体験は『いじめの政治学』に結実し、これはすべての「いじめ」論の中の最高峰となっている。

(2016年に再編集され、『いじめのある世界に生きる君たちへ いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉』として出版されている。)

 

いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉

 

人々に「寄り添う」という程度の表現では足りない。

心底人と共にあれるだけの、柔弱な感受性の持ち主だった。

傷ついた人々には、『心のうぶ毛をすりきらせないように』(『統合失調症の陥穽』)という表現で痩さしさを伝えた。

精神病棟の患者には、『祈るような気持でコップ一杯の水をそっと捧げ持って歩く』(「思春期における精神病および類似状態」)ように接することを心掛けていたという。

 

私自身は、「ひきこもり」の体験を軸の一つとして著書を読んできた。

中井氏が直接「ひきこもり」を論じたものはないが、広範な洞察の中でふれている箇所はある。

1979年の論文によれば、かつては自閉症と区別した「内閉症」という概念があったといい、この特徴が「ひきこもり」にあてはまっている。(「思春期における精神病および類似状態」)

また、1988年の「医療における合意と強制」で、一室に閉じこもり、風呂にも入らず、下着も変えない人々が記述されている。

中井氏はこれを「ノンコンフォーミスト(非妥協派)の患者」の例とし、『家族や周囲の人の忍耐の限度の範囲内にいる』ことを特徴にあげている。

週刊誌が「ひきこもり症候群」を品なく喧伝したのは、翌89年のことだ。

 

 

もっとも、中井氏が綴った論考の射程は、「ひきこもり」かどうかや、また精神病であるかどうかも超えている。

生きていくうえで辛酸を味わう人への、普遍的な慰撫を読み取ることができる。

 

たとえば孤立していた人が人の輪の中に戻る過程を記述した以下の文章。

 

『何十メートルの海底から急に海上に上がると「潜函病」という病気になる。少しずつ上にあがっていかなければならないのだ。心理的にも「潜函病」のようなものが起こる。』(「慢性アルコール中毒症への一接近法」)

 

気圧の変化で呼吸困難などが起こる「潜函病(せんかんびょう)」にたとえて、急速な変化に注意している。

これは「ひきこもり」から抜け出ようとしていた私が、急激に社会に入って感じた重圧を思い起こさせた。

 

また、以下の言葉。

 

『たいていの患者は働きたくてしかたない。怠け者にみえないかとびくびくしている。せっかく病気になったんだから楽をしましょうという患者に出会ったことがない。「精神病は道徳病ではない」「こころの病であって、こころがけの病ではない」。これはぜひ頭にたたきこんでおいていただきたい。』(「家族の方々にお伝えしたいこと」)

 

「ひきこもり」を浅薄に理解している人は、よく「怠け」であると叱責するが、実際は就労への圧力に苦しんでいる。「せっかくひきこもりになったんだから楽をしよう」という人は、すでに「ひきこもり」の問題化から脱している。

 

前述の言葉とつながる主張でもう一つ。

 

病人は「治療という大仕事している」者であり、このことをそっと告げることが必要であると思う。(現実に「ぶらぶらしている」とおとしめられることが多いのは、かつては結核患者であった。二十一世紀に入ってからはうつ病患者であろう。標的は時々変わる。)』(「世に棲む患者」)

 

「世に棲む患者」は短いエッセイだが、私にとって最上の良薬となる読書だった。

中井久夫における屈指の一編というより、日本の医師が到達した最も簡明かつ英明な一編に推す。

世に棲む患者 中井久夫コレクション (ちくま学芸文庫)

 

「世に棲む患者」では、患者が社会復帰を果たす意味と、暮らしていくために根を生やすことの重要性が綴られている。

中井氏は、社会復帰=就労とする多数派の見方をいましめている。

 

『統合失調症圏の病いを経過した人の社会復帰は、一般に、社会の多数者の生き方の軌道に、彼らを“戻そう”とする試みである、と思い込まされているのではないだろうか。

 しかし、復帰という用語がすでに問題である。彼らはすでにそのような軌道に乗っていて、そこから脱落したのではない。より広い社会はもとより、家庭の中ですら、安全を保障された座を占めていたのでは、しばしば、ない。』

 

人は病んだときに「元に戻りたい」と思うが、ただ戻るだけでは再び「病む状態」になってしまう。

それはいつ再発するかわからない、不安定な状態になることにすぎない。

氏は、『「治る」とは、「病気の前よりも余裕の大きい状態に出ること」でなければならない』と言う。

 

そして就労について正面から語った一編、「働く患者」につながる。

ちくま学芸文庫の「中井久夫コレクション」の内の一冊では、「世に棲む患者」に続けて収録されている。

 

『極端な場合、「働くこと」が、患者とっても家族にとっても、いや医者にとっても「治ったこと」とほぼ同じくみられてきた。』

 

『「働けば治ったことになる」は、周囲の圧力があってのことだ。』

 

しかし働くことは過程の一つに過ぎず、「治る」ことを意味しているのではない。

これは「ひきこもり」をめぐる支援の様相と重なっている。

 

私は頭でっかちに悩み、「社会復帰」のために精一杯努力するつもりでいたが、それらは中井氏からすれば逆効果だった。

「働く患者」の中には、このような言葉が散見される。

 

『治そうと思うと治らない。』

 

『ぜひ治そうという気持ちは視野狭窄を起こす。』

 

『私は、患者さんは働くのが苦手なんじゃなくて、休むのが下手だから結果として働けないんだとまで考えたことがあります。』

 

そして私は以下の言葉を、脳の表層的な情報処理ではなく、生理的な内奥の理解によって読んだ。

 

『私は、患者の自尊心は「治療という大仕事」を行っていることに置いてもらうのがいちばんよいと思う。それは治療優先の原則にもかなったことである。「君がぶらぶらしているなどとはとんでもない」「君が意識してもしなくても君の身体は治療という大仕事をしつづけている」ということを本人と家族の前で告げる治療者がほんとうにそう思っているならば、また病者の中にあるものへの畏敬を失っていないならば、そしておのれがこの「患者の治療という大仕事」に関与し一種の共同作業をしていると考えているならば、このことは多くの患者に通じ、少なからず家族をも動かす、と私は言うことができる。』

 

世の中から孤立した私のような愚者を、わざわざ直に批判する人は多くない。

むしろ医者にせよ親にせよ周囲の大人たちにせよ、安易に許し、認め、放任的に接する人こそがありふれている。

だが中井氏の受容の態度は、深刻にして真剣なものである。

中井氏の態度から生まれるのは、自死しないでいるだけのたくましさを分け与えられる言葉であり、このような人が居る、という事実が私という孤立者への、おごそかな励行になるものだった。

 

「星になる」という凡庸な表現があるが、中井氏の生涯の星は空を輝かせるよりもむしろ、最も弱い足元を持つ者の、最も小さな躓きの難路を照らす。

わずかな光が助力となって苦しみの小石をよけさせ、暗夜にもかすかな希望をつなぐ。

心の極小の機微を追究した一生の大いなる灯は、少なくとも私という非力な一読者から、たどたどしい歩みを失わせないものだった。

 

 

 

 

 

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喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人。ひきこもり経験者兼当事者。座右の銘は『汝自らを笑え』。
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