文・子守鳩
前回(第11回)からのつづき・・・
「無料宿泊施設」の実態
農場に着いたのは夜でした。
だから、その日はもう何も仕事はせず、泊まる場所として農場のすぐそばに建てられている小屋を紹介されました。
私がこの農場で働こうと思ったのは、求人案内に「無料の宿泊施設がある」と書いてあったからです。それがこの小屋でした。
でも、実際に小屋に入ってみたら愕然としました。
布団から床まで土埃をかぶり、中に入っても靴を脱ぐ必要がないほど汚れきっていたのです。きっと、しばらく使っていなかったのでしょう。
今まできれいな布団でしか寝たことがなかったので、それはもうショックでした。
「いくら無料でもこれはないだろう…」
と思いながらも、ここで働くのをやめて帰っていくわけにはいきませんでした。
もう帰る家がなかったからです。
結局、移動で疲れていたのか、土埃をかぶった寝台でも、その夜は眠ることができました。
農場もすぐに辞めてしまう
翌日から農場で作業に従事しました。
私にとって農業をするのは、これが二回目でした。半年ほど前に佐渡ヶ島で稲刈りのボランティアをやったことがあったのです。
この農場は大根、ニンジン、ゴボウ、トマト、チンゲン菜などいろいろな野菜を育てていました。
それらをその日出荷する分だけ収穫し、洗って袋詰めをするのが私の仕事でした。
しかし、始めてみてすぐに、
「これは大変なところに来てしまった」
と気付きました。
大根もニンジンもゴボウも、土深くまで埋まっていて、簡単に抜けるものではありません。一本抜くのにもフルパワーが必要でした。
同じ作業を女性もやっていましたが、女性たちはそこまで力を入れずに楽々と抜いています。多分コツがあったのでしょう。初めての私はコツも分からず、全力を出しつづけ、あっという間に疲れ切ってフラフラになってしまいました。
一日中フラフラしながら、ヘトヘトに消耗して作業を続けました。
作業が一通り終わった後に社員寮を紹介されたのですが、そこは前夜に泊まった小屋に勝るとも劣らないほど古くて汚いところで、
「とてもじゃないけど住めない」
と思いました。
社員寮といっても、他の住人はバイトの先輩が一人で住んでいただけでした。
その人はインドを一人旅して駅で野宿していたようなツワモノでした。やはり、そういう人でないとここに住むのは無理だなと感じました。
劣悪な住環境、重労働の作業に圧倒され、こんな生活はもう一日たりとも続けられないと思いました。
しかし、帰る家がありません。
この時ばかりは「家がない」という現実に本当に困り果てました。
家がなければ文字通り「ホームレス」になるしかないと思ったものの、幸い知り合いにシェアハウスを運営している人がいたのを思い出しました。そこで、次の仕事が決まるまで1週間ほど、そのシェアハウスに無料で寝泊まりさせてもらえないかとメールで頼んでみることにしました。
断られることを覚悟していましたが、あっさり了承されたので、私はすぐに農場主に退職の意思を伝えて、農場を後にしました。
長続きしない小屋暮らし
翌日シェアハウスに着くと、温かく迎えてもらえてホッとしました。
これでとりあえず1週間は泊まるところが確保できました。
「寝る所を、1週間は心配しなくてよい」
ということが、とてもありがたく感じられました。せいぜいその間に住み込みのバイトを見つけようと思いました。
しかしなかなかバイトは決まらず、そのままズルズルと延泊させて頂くことになりました。
シェアハウスの他の住人たちから、
「住み込みバイトをするよりも、個人で掃除などを請け負う形の働き方をした方がいい」
と勧められ、いくつか単発で仕事を請け負って働くようになりました。
それでもやはり家賃を払わないで居候するというのは肩身が狭いものです。そのことを相談すると、
「それなら、ここの敷地の空いているところに小屋を建てて住んではどうか」
と提案されました。
そこで数万円の資金援助を受けて敷地内に小屋を建て、そこに住むことになりました。
しかし、ひと口に「小屋を建てる」といっても素人には大変なことで、そう簡単にはいきません。ベニヤ板を買って床と壁を作るまではできたのですが、屋根を作るスキルも資金もありませんでした。結局、屋根は作れず、上にビニールシートを被せただけの代物になりました。
そんな小屋では、1月ということもあり寒くて寒くて仕方がありませんでした。いろいろな人からいろいろな防寒具をもらったのですが、それでも寒さで夜中に目が覚めてしまいました。
屋根のビニールシートは下から竹の棒で支えられていました。ところが、長雨が降るとシートの中央部に水が溜まって垂れ下がってきて、定期的に水を排出しないと潰れてしまうことに気づきました。
これでは春の長雨にも梅雨の強雨にも耐えられない…
今は寒さに耐えているけど、夏の暑さの方がもっと大変だろう…
そんな未来が予想されました。
春になる前に屋根を補強しなければならないし、夏の暑さ対策として窓や通気口を作らないといけないだろう。そうしないととてもじゃないけど住めない、と思いました。
しかし、素人なのでどれもこれもやり方が分からないし、そもそも改築の資金がありません。
そんな状態で困っていたところに輪をかけて、シェアハウスのオーナーや先輩住民の方々との関係がぎくしゃくしてきて、だんだんと居づらくなっていきました。
もともと大して親しくもないのに、いきなり押しかけてきて居候させてもらっている身です。
だから先輩住民と上手くいかないことがあっても、対等に話し合ったりするのは気が引けて、我慢するしかありませんでした。居候とは肩身の狭いものだとつくづく痛感しました。
そんなこんなで結局シェアハウスの敷地内での小屋生活は3カ月続けたところで限界となりました。
相変わらず帰る家はなかったので、その地域の役所の窓口へ相談に行きました。
すると、地域のホームレスを収容する公的施設を紹介され、早速そこに行くことになったのです。
・・・第13回へつづく
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