喜久井伸哉 「不登校」最終解答試論③
はじめに行為ありき
(ゲーテ『ファウスト』)
私は幼少期に、「学校に行きたいけど行けない」身体に見舞われた。
自分の意思は「行きたい」と思っているのに、行為は「行けない」状態になる。
「行きたいけど行けない」というあの身体さえなかったなら、私はガッコウに行っていた。
「不登校」は、意識や選択の問題ではなかったと断言できる。
私はあの身体について、うまく表現されたものを知らない。
「不登校」の解説書を読んでも、当事者にとって「よくわからない」、「言葉にできない」こととされてきた。
一般的にも、障害でないのに意思と行為が一致しないことは、理解しがたいだろう。
だが意思と行為が一致しないという点だけなら、「不登校」以外にもあてはまるものがある。
今回はその一例として、吃音(きつおん)を取り上げたい。
吃音(きつおん)とは何か
吃音は「どもり」とも言われるもので、適切に発声できないことだ。
吃音は、大きく分けて三種類ある。
「ぼくは」と言おうとしても、「ぼ、ぼ、ぼ、ぼく」のようにくりかえす「連発」。
「ぼーーくは」と音が伸びる「伸発(しんぱつ)」。
「…………(ぼ)くは」と出だしの音が出ない「難発(なんぱつ)」がある。
吃音が起こるのは、子どものおよそ20人に1人。
(約5%であり、これは現在の「不登校」の割合と重なる。)
8割は成長とともに消えるが、それ以外は残るため、人口の約1%が吃音だ。
私は吃音の経験はほとんどない※が、「話したいけど話せない」ことが、「行きたいけど行けない」身体を思わせる。
研究者の伊藤亜紗は、吃音を「体のストライキ」と表現した。
自分がどれだけ強く「したい」と思っても、体がそのように動かない、という葛藤の体験だ。
たとえるなら、私の「不登校」は身体の難発だった。
強い意思を持って、全身に力を入れて、努力し、緊迫し、全霊の集中力を持って取り組んでも、身体が意思のとおりに動かない。
そこに意図的な選択はなかった。
「話したいけど話せない」ことのように、「行きたいけど行けない」ことが起きていた。
吃音も「不登校」もあいまいさが苦しい
「不登校」と吃音の主な共通点として、以下が挙げられると思う。
・意思と行為の不一致。
・本人の人格や努力の有無とは無関係。
・「病気」や「障害」と断定できない。
・「原因」が解明されていない。
・母親の育て方が批判された歴史がある。
・「解決」を喧伝する悪徳な事業者がいる。
「不・登校」の身体も吃音の身体も、そのあいまいさに特徴がある。
病気なら原因を探って治療をすればよく、一時的な障害ならリハビリで改善していけばよい。
しかし吃音は基本的な「原因」がはっきりせず、話す練習を重ねても、改善するとは限らない。
また、一律に話せなくなるわけではなく、スラスラ発声できることもあれば、話しかける相手によっては、吃音が生じないことも多い。
「不・登校」も、「絶対に行けなくなる状態」ではない。
「もしかしたら行けるかもしれない」、「日によっては行けるときもある」というあいまいさがある。
近藤雄生の『吃音』では、『曖昧な状態ゆえに、当事者自身、向き合い方が定まらない、そして周囲も、当事者にどう接するべきか、問題はどこにあるのかを理解しづらいという困難があるのだ。』と述べられている。
これは、私と周囲の大人たちが困惑させられてきた点だ。
意思と行為の不一致があるとき、本人や親の努力はほとんど影響しない。
いくらトレーニングしても吃音がなくなるとは限らず、強く意識しすぎると、場合によっては逆効果になりえる。
吃音には当事者や家族の弱みにつけこんだ矯正所があるが、場所によってはほとんど改善せず、高額な請求をする悪徳な業者もあったという。
これも、「不登校は治せる」と語り、効果のない指導を強制的におこなったきた歴史と重なる。
当人によって変えられないことが、当人の問題とされてきたのだ。
当事者が著した『吃音の世界』では、このように記述されている。
『国語や英語、社会の本読みのとき、言い換えられない苦手な言葉に遭遇すると、難発性の症状が出ました。喉や首全体に力が入り、最初の一言を発生するまで息を止めることになります。その結果、酸欠状態になり、顔が紅潮し、汗をかく。手足がしびれることもありました。普通の人の十倍はしゃべるのに労力がかかっていただろうと思います。』
吃音も「不・登校」も、怠けや、無気力や、やる気のなさではない。
むしろ反対に、過剰なまでに労力を費やし、緊迫し、疲弊させられるものだ。
一般的に、「不登校」の「原因」の一つに「無気力」という表現が使われている。
しかし私の経験してきたものに、そのような言葉で表すべきものはどこにもなかった。
母子が「原因」にされた歴史
吃音も「不登校」も、子供本人か、もしくは家での育て方の問題にされやすい。
『吃音のこと、わかってください クラスがえ、進学、就職。どもるとき、どうしてきたか』という本では、吃音によって大人たちから言われた言葉が記録されている。
授業で話さねばならないとき、先生から言われた言葉として、
「ふざけるのはやめなさい」
「落ち着いて」
「家の人に言って早く治してもらいなさい」などがあった。
また、口数を少なくしていると、
「恥ずかしがり」
「内気な性格を直さないとね」などと言われる。
保護者に対しては、
「家で厳しくされていませんか」
「ゆっくり話を聞いてあげていますか」
「ストレスに弱い子ですね」
「強い精神力を養わなくては」
「何でもいいので、何か自信のあるものを身につけさせてあげてください」など、保護者(母親)を追い詰める言葉が投げかけられた。
これらはまるで、「不登校」の子に言われてきた言葉のようだ。
子供の精神面に何一つとして変化がなくとも、意思と行為の不一致が起きたとたんに、「心の病気」のような問題化や、子育てへの批判が提起される。
問題化は、ただ意思と行為の不一致が、子供に表れたかどうかにすぎない。
これは専門家の説明できないことが起きたときに、子供本人や親に「原因」が丸投げされているだけではなかっただろうか。
家庭のせいにした専門家たちに謝罪を要求したい
歴史的に、非常に安易な「診断」がされてように思えてならない。
過去の新聞では、親のしつけが批判されていた。
1956年のある新聞記事は、『ドモリの悲劇から子どもを守ろう』というもので、吃音が「幼児の精神的身体的ショック」や「厳格すぎるしつけ」によるものと断定されている。
個人的には、「不登校」における『30代まで尾引く登校拒否症 早期完治しないと無気力症に』(朝日新聞 1988年9月16日夕刊)の見出しを思い起こさせる。
社会問題を解決しようという専門家のミスリードが、当事者や親に被害を与えてしまっている。
残念ながら現代でも、家庭を「原因」とする見方は払拭されていない。
私は吃音と「不登校」の半世紀において、家庭原因説を唱えた専門家たちに謝罪を要求したい。
彼らは有識者として「原因」を語ることで、多くの子供たちと母親たちを無用に傷つけてきた。
家庭原因説を唱えた精神科医や教育者たちは、数十年を経ても訂正も謝罪もせず、放言したきりとなっている。
私は彼らの雄弁さが、自戒と自省のために発揮された例を知らない。
意思と行為の不一致が起きた子供に対して、「努力が足りない」とか「やる気がない」とかと叱責するのは、間違っている。
「問題」の出どころが、当人の心の持ちようではないためだ。
また同様の理由で、「ゆっくりでいいよ」、「がんばらなくてもいいんだよ」などという慰めも、本質的な「問題」からはズレている。
吃音がそうであるように、私の体験した「不・登校」も、身体に起きたことであるにすぎない。
そのため(言わないよりは良いが)精神面への励ましや慰めが、核心的な意味を持たないのだ。
保護者の子育てにも、総体的な「原因」を求めるべきではない。
子供に意思と行為の不一致が起きていなければ、子育てが問題にされず、起きたとたんに問題とするのは、養育論として粗雑すぎであり、中身がない。
これだけのことによって、当事者である子供と、子育てをした親が、非難されてはならない。
注記
※ 厳密には、私にも生活上支障のない程度の弱い吃音があり、発声する音の初頭に「ri」を含んでいると言いづらくなります。「ありがとう(a ri ga to u)ございます」が難発になりやすいため、冒頭に「どうも」を付けて、「どうもありがとうございます」と言いかえることで、難発になることを防いでいます。
参照
菊池良和 『吃音の世界』 光文社新書 2019年
北川敬一 『吃音のこと、わかってください クラスがえ、進学、就職。どもるとき、どうしてきたか』 岩崎書店 2013年
広瀬努他 『吃音からの脱出 函館少年刑務所における実践』 黎明書房 1977年
伊藤亜紗 『どもる体』 医学書院 2018年
伊藤亜紗 『きみの体は何者か』 筑摩書房 2021年
「ドモリの悲劇から子どもを守ろう」毎日新聞 1956年1月21日夕刊
追記
「吃音」をうらやましく思うところが一つあります。幼少期の体験を振り返った際に、「吃音だった」と「不登校だった」では、出来事の引き受け方が異なってくる点です。吃音の身体が外的に「あった」「起きた」ものであるのに対して、「不登校」は属性として自身と同化し、自身の行為として「「しなかった/できなかった」という語りになってしまいやすい。「私は吃音者だった」ではなく、「吃音が起きた者だった」というように、「私は不登校だった」ではなく、「不登校が起きた者だった」として語りたいのです。この一点だけでも、私は自身の体験を「不登校」という凡俗な言葉で語ることに、乗り越えがたい支障を感じています。自己主体感のある意図的な行為としての「不・登校」ではなく、外発的な事象に見舞われた、受動的な体験として語りたい。
これは思いつきの造語ですが、「登校拒否」が仮に「登校難発」という言葉であったなら、「私は登校難発だった」ではなく、「私には登校難発があった」というふうに、自身と分離して語りやすくなるでしょう。また、「音」に「吃(=つっかえること)」の起きているのが吃音なら、「登校」に「吃(=つっかえること)」が起きているという点で「吃登校」、または「吃校」だったならどうなっていたでしょうか。臨床心理士の藤原孝志は、「School refusal」=登校拒否を「登校すくみ」と訳しました。意図的な判断として「拒否」しているのではなく、身体的な反応として「動けない」ことをとらえた適格な翻訳であり、「吃」の意味とも通じてきます。もしも「School refusal」の翻訳が日本で広まっていった時代に、「拒否」という意図的な判断ではなく、「すくみ」や「つっかえ」という身体的な事象が重視されてたなら、日本の「不登校」史は違ったものになっていたでしょう。
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文 喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。8歳からホームスクーラー(「不登校」)となり、ほぼ学校へ通わずに育った。約10年の「ひきこもり」を経験。20代の頃は、シューレ大学(NPO)で評論家の芹沢俊介氏に師事した。現在『不登校新聞』の「子ども若者編集部」メンバー。共著に『今こそ語ろう、それぞれのひきこもり』、著書に『詩集 ぼくはまなざしで自分を研いだ』がある。
Twitter https://twitter.com/ShinyaKikui
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