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履歴書に空白期間があっても 井口(仮)さん当事者手記 第3回

写真:PhotoAC

文・井口(仮)
編集・ぼそっと池井多

第2回からのつづき・・・

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人生初の求職活動

今回から初めて求職活動を始めた際に様々な就労支援機関を巡った時の出来事について語りたいと思います。

長らく社会参加をしてこなかった僕は、
2009年4月、
初めての求職活動を始めることにしました。

求職活動を始めるに当たって、
僕はアルバイトをした経験が殆どなく、
大学のときに就職活動も行わなかったので、
仕事に就くための方法が分かりませんでした。

また、
職歴がなかったことや、
大学を卒業した2006年3月から2009年4月まで、
履歴書に空白期間があったので、
仕事に就くことが難しいと感じていました。

4月16日、
求職活動の第一歩は東京しごとセンターから始まりました。

東京しごとセンターに行こうと思ったきっかけは、
以前、
飯田橋にある眼科に行った際、
東京しごとセンターの前を通りがかり、
「ここに行けば仕事に就けるのだろうか」
という想いが頭をよぎったのが記憶に残っていたのだと思います。

しごとセンターに行けば、
公的な機関だし、
職歴がなくても、
履歴書に空白があっても、
自分の能力を活かせるような然るべき仕事につながることができるだろう、
という期待が、
当時の僕にはありました。

そして、
自宅からインターネットで、
東京しごとセンターのホームページを検索し、
就活倶楽部パック2日コースというセミナーをWEB上から応募して、
4月16日のセミナーに参加しました。

同時に、
しごとセンターを利用する際はキャリアカウンセリングを受けることが勧められていたため、
当時の僕にはよく分からなかった、
キャリアカウンセリングというものを受けることになりました。

 

キャリアカウンセリング第1日目

平成21年4月某日。
東京しごとセンターにて、
初めてキャリアカウンセリングを受けました。

3階にあった20代を対象とした就職支援のフロアで待っていると、
黒いスーツを着た朗らかな表情の女性が僕を迎えに来ました。

僕の担当カウンセラーとなる野川さん(仮名)でした。

そして、
奥の相談スペースに導かれ、
キャリアカウンセリングは始まりました。

野川さんが手を前方の低い位置で組んで、
じっとこちらを見つめている。

求職活動を始めてばかりだったせいか、
そのじっと僕を見つめる姿勢に、
僕は社会参加の道筋を見出しいたのかもしれません。

その時はまだ、
キャリア「カウンセリング」というものを、
よく知らなかった頃でした。
 
まず最初に、
事前に受講したセミナーについてどうだったか聞かれましたが、
僕は大した応答が出来ず、
うーん、と、
うなっていた時間が多かったと思います。

そのあと、
読書と音楽について聞かれたのはよく覚えています。
僕は20歳過ぎるまで本は全く読んでいませんでした。

読書をしてこなかった理由は、
たぶん、
学校の教科である「国語」とつながりのあるものを、
自分が必要としなかったのだろうと思います。

どういうわけか、
僕は言葉を捨てていました。
言葉を求めていたが故に、
言葉の遠さに絶望していたのかもしれません。

そして言葉が書物にあるとは思っていませんでした。
言葉はロックや漫画や映画にあると思っていました。
抜け出す糧は、漫画やロック、
そして、今は・・・。

そのうち大学に入学して同級生や他の若者と接しているうちに、
自分が本を読んでいないことに気づき、
読んでみようと思ったのが本を読み始めたきっかけでした。

 
「漱石の『三四郎』とトーマス・マンという作家のトニオ・クレーゲルです」
野川さんからどんな本が好きかと聞かれたので、
本を読み始めた頃好きだった作品を答えました。
『三四郎』だけだと面白味がないので、
少し冒険して、
『トニオ・クレーゲル』も並べて答えてみました。
 
「夏目漱石の三四郎と、
ゴメンなさいもう一つのはトニ・・・」
「トニオ・クレーゲル、です」
「ゴメンなさい。そちらは知らないけれど」
やはり、
野川さんは『トニオ・クレーゲル』を知りませんでした。
「トーマス・マンの作品です。『ヴェニスに死す』を書いた」
 「三四郎はどうして好きなの?」
野川さんは尋ねました。

「ボンヤリしているけど現実社会をしっかり見ているところ・・・」
程度の答えをうーんと唸りながりポツポツ答えました。

僕は本の感想を人に伝えるのは余り得意ではありませんでした。
僕の好きな小説は筋のはっきりしているものは殆どなく、
その頃は主人公の三四郎が熊本という田舎から大学に通うために上京してきた、
という設定さえ把握していなかったと思います。

僕はボンヤリした三四郎をボンヤリ読んでいました。
 
ボンヤリしているけど・・・以外では、
三四郎が本を余り読まずに低回することが多かった、
と書いてあったのに興味を持ちました、
と言ったかもしれません。
 
好きな音楽についても聞かれました。
「60年代のロックや70年代の日本のフォーク、
それと全盛期のジャズです。古いのが多いです」
「どうして古いのが好きなの?」
と、野川さんは表情を変えず朗らかに正視し続ける。
「うーん」
と僕は唸りながら無理矢理答えました。
「その時代の雰囲気ですかね・・・」
「その時代は他の時代とどう違うの?」
「うーん・・・。商業的ではないから・・・です」
「商業的じゃないから好きなの?」
「・・・はい」
「どうしてこんなに質問しているかというと、
それがどうして好きなのか考えて答えるのが大事だからなの」
野川さんは優しく丁寧に言いました。
そして僕は確かに大切なことだと感じました。

次回までに三四郎の読み直しと、
ジャズの魅力について言語化しておこうと思いました。
 
それと、
就職活動とは
「自分という物を売り込む営業活動」
だと教わりました。

自分という物→商品、機能、セールスポイントを考えて、
いかに高値で売れるか作戦を立てていくことが大切らしい。
僕はそれらをノートに書き留めました。
 
相談時間の1時間が経過して、
次回の予約について聞かれました。

電話で予約を入れるか、
この場で入れるか、
を聞かれて僕は後者を選びました。

電話を掛けるのが苦手だから、
というのもありましたが、
約束があると、
僕は気が引き締まる方だったので、
今のうちに予約を入れてしまった方が良いと考えました。

予約日を決めると野川さんはポストイットに次回の相談日を書き込み、
そのポストイットを僕のノートに貼りつけました。
「こうしておけば、忘れないでしょ」
 
次回は5月9日の16時からでした。

 

写真:PhotoAC, Reprocessed by Vosot Ikeida

キャリアカウンセリング2日目

5月9日、
東京しごとセンターでの2回目のキャリアカウンセリング。
この日は相談場所が若干変わりました。
僕の正面、
野川さんの背後に大きな窓があって、
窓の向こうには外の景色が広がっていました。

「それにしても、
しごとセンターの相談スペースは何故こんなに座りにくいのだろう...。」
と僕は考えていました。

テーブルの下が空洞になっていないので、
足の置き場がなく、
マクドナルドより座りづらい、
と感じていました。

しごとセンターでは4度この相談スペースにやってきましたが、
1度も上着を脱いだ記憶がありませんでした。

「良かったら上着を脱いでください」
と言ってもらえるのを期待していましたが、
自分から脱いでも良いか聞くべきだったのか、
妙に落ち着かなかったのを覚えています。

窓の外の光が眩しく、
立ち並ぶビルがどれも遠くに感じました。

この日、
野川さんは三四郎やジャズには触れず、
事前に受講したコミュニケーション・セミナーの感想を主に聞かれました。

「僕には向いてない」
と、僕は答えた。
「どうして向いていないと思うの」
「うーん」
僕はいつもどおりウンウンうなりました。

「コミュニケーション能力を身に着けることは大切で、
あのセミナーを必要としている人もいるかもしれないのですが、
僕には向いていないんです」
「どうして向いていないと思うの」
「うーん・・・」
と、僕は基本的に遠慮がちにしか答えられないので、
それ以上答えられませんでした。

今なら、
僕が社会に参加するために必要なのは、
就活セミナーで学ぶようなコミュニケーション能力ではないからです、
と答えると思います。
 
そして先日、
自己分析セミナーを途中退室したことも伝えました。
野川さんはコミュニケーション・セミナーが僕には合わなかったことも含めて、
「ごめんなさいね・・・」
とやさしく言うだけでした。

ても僕は、
そのセミナーが合わなかったという、
それ自体の問題を発展させたいと思っていました。

しかし、
セミナーが合わない、
という話は発展しませんでした。

キャリアカウンセリングの場は話し合いをする場所ではないので、
それは仕方がないと思いました。
 
更に、
「なぜ社会参加したいと思うようになったのか」
という問いには、
「生活」をしたいと思うようになったから、
と答えていました。

社会参加、
具体的な形としては仕事について、
活動をして、
「生活」がしたい。

社会参加はしたいが、
自分が社会参加をすると周囲に迷惑が掛かる、
だから今まで社会参加しなかった。
迷惑が掛かるから自分が社会参加しないことは、
社会的にも倫理的にも正しいし、
そういう状況を社会に強いられている。
でも社会参加したい。
そして「生活」をしたい。
社会参加しないことも間違っているし、
社会参加することも間違っている。
しかしやっぱり社会参加したいし、
まともに就活活動をしたいから、
自己分析させないでくれ。
何故なら自己分析をした結果社会参加しない方が正しいという結論が出るかもしれないから......。

当時の僕はそんな風に考えていました。
 
最後の部分について、
確か僕は
「自己分析をした結果、社会に参加しないことが正しいという結論が出たらどうするのですか」
と逆に野川さんに聞いたのをはっきり覚えています。

それに対する野川さんの答えをよく覚えていません。

恐らくは、
「それでも井口さんは社会参加・就職しようと思ってここ(しごとセンター)にきたんでしょう?」
と、
問われたのだと思います。
 
健康面についても話しました。
社会参加するべきではない、
と思った社会的倫理的な理由以外に、
身体的な事情を語る必要がありました。

「身体の調子がずっと悪かったんですけど、
年月を掛けてある程度克服して、
働く上で折合いをつけられるくらいには回復したので・・・」
というようなことを言いました。
「と、いっても心臓に病を抱えているとか、
医師に障害を認定される事情はないので・・・すごい悪いというわけではないです」
「背も大きいしね」
 
そのようなやり取りをしているときに、
『道草』(夏目漱石)の中の健三の台詞を思い出しました。
 
「年が若くって起居に不自由さえなければ丈夫だと思うんだろう。門構えの宅に住んで下女さえ使っていれば金でもあると考えるように」
 
僕は背が高く、
血色も良いので
他人には健康に見えるのだろう
と感じていました。
 
そしてこの日も1時間が経過し、
野川さんは次回の相談日を書いたポストイットを僕のノートに貼ろうとしました。
その際どういうわけか、
野川さんは懸命に呪文を唱えるかのように一方的に話をしながら、
目線を背け、
手探り状態でポストイットを机の上に貼ろうとするので、
僕はポストイットと机の間にサッとノートを挟み込むようにして、
ノートに無事ポストイットが貼られるように手助けをしました。

相談の終わり頃、
職業訓練についても考えていると話をして、
その場を去りました。
 
4月某日
母から「しごとセンターに通って、職業訓練に参加することになってうれしい」という不謹慎なメールが来たのを覚えています。

キャリアカウンセリング第3回目

5月16日 
しごとセンターでの3回目のキャリアカウンセリング。
この日が野川さんとの最後の相談になりました。

僕は職業訓練を検討していたので、
どのような訓練を受けたら良いか相談したいと思っていました。
職業訓練の締め切りは比較的早いので、
ゆっくり考えている時間は余りありませんでした。
前回の相談の最後に職業訓練について触れたので、
この日の相談がスムーズに行われることを期待していました。

野川さんはこの日も僕を唸らせる質問を何度かしました。
そして僕は野川さんの質問に答えていました。

けれど、
なかなか本題に移らないので、
僕の方から話を切り出しました。

「あの・・・今日は話したいことがあったのですが」

野川さんは恐らく就職や、
求職活動をするうえで必要であろう心構えについての話をやめて、
僕の声に耳を傾けました。

「前回の終わりの方にもお話ししたのですが、
職業訓練を検討していまして・・・」

と言って僕は鞄にしまっておいた透明のファイルから
職業訓練校の案内書を取り出して野川さんの前に置きました。

野川さんは両の手をふわふわさせながら訓練校の案内書に眼を下ろしました。
申し込みの締め切りが近いことや、
近日説明会が行われることなどを話しながら、
野川さんに意見を求めました。

職業訓練について相談することは、
キャリアカウンセラーとの相談の場に相応しいと僕は思っていました。

しかし、
野川さんは眼を潤わせて黙ってしまいました。

「あのっ・・・あ・・・ごめんなさい」
と野川さんは言いました。

「あの、ごめんなさい。職業訓練については余り詳しくないの」

「え?そう・・・何ですか?」

「一緒に・・・どのコースが良いか考えることは出来るんだけれど・・・ごめんなさい。
今日は(相談の)時間が来てしまって、
でも締め切りが近いのよね・・・」

野川さんがなぜ急に眼を潤わせ、沈黙し、
若干取り乱したような言動をしているのか僕には分かりませんでした。

「あの・・・質問しても良い・・・でしょうか?
どうして急に困惑されたのですか?」

野川さんはうつむきながら瞬きを繰り返し、
ゆっくりと答えました。

「ごめんなさい。
私はてっきり井口さんは立ち止まっているのだと思っていたの。そうしたら歩いてた」

僕はこの答え・・・結末を予想していました。
この結末を予想していたからこそ、
社会参加が困難だという意識がありました。
 
困惑されたとはいえ、
まだカウンセリングを受けることや、
求職活動に慣れていない自分の話しぶりを目の当たりにすれば、
キャリアカウンセラーとして活動している野川さんが困惑してしまうのは、
致し方なかったのかもしれません。

もし、
今なら、
キャリアカウンセラーの方が野川さんのように困惑したとしても、
「そんなこともありますよね!」
と軽く流して、
相談を続けられたのかもしれません。

でも、
当時の僕は急に困惑された野川さんの姿を見て、
もう信頼することができなくなってしまい、
相談を辞めるという選択をしました。

そして、
求職活動は続きます。

この後、
2009年の間に、
サポートステーションに2箇所、
渋谷のヤングハローワークの就職倶楽部などに訪れることになります。

 

・・・第4回へつづく

 

 

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