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大の大人に囲まれて 井口(仮)さん当事者手記 第4回

Photo by PhotoAC

文・井口(仮)
編集・ぼそっと池井多

第3回からのつづき・・・

www.hikipos.info

 

相談疲れを感じ始める

東京しごとセンターでのキャリアカウンセリングを終えて、
僕は次の支援機関を探し始めました。

2009年の間に、
渋谷のヤングハローワークや、
2つのサポートステーション、
2つ目に訪れたサポートステーションから紹介された隣接のハローワークなどに行きました。

2009年の間に訪れた支援機関では、
2つ目に訪れたサポートステーションで起きた出来事が象徴的でした。

その出来事をきっかけに、
1度目の就労支援施設巡りは終えることになりました。

そのため、
今回は2回目に訪れたサポートステーションでの出来事について書きたいと思います。

時期は若干遡って7月7日。
渋谷のヤングハローワークという場所で、
ジョブクラブという講座に参加した少し後のこと。

サポートステーションMに予約の電話をしました。

予約を入れる際に、
最初に訪れたサポートステーションである、
サポートステーションSで余り上手くいかなかった旨を伝えました。
そのように伝えると、
日本全国各所にあるサポートステーションは、
サポートステーションという看板は統一されているが、
事業所によって運営組織は異なり、
雰囲気や支援方法も様々らしいということを教えてもらえました。

僕は安心して、
少しだけ期待しました。

ただ、
利用するには事前に「相談」を受けなければならないとのことでした。
僕はサポートステーションMにアクセスするまでに、
東京しごとセンター、
サポートステーションS、
渋谷ヤングハローワークなどでスタッフの方に何度も
相談をしていたので、
「相談疲れ」を感じていました。

そのため、
相談に時間を掛けるよりも、
仕事に就くための、
具体的で実践的な支援を行って欲しいと伝えました。


それに対して電話に出たスタッフの方は、
相談者が聞かれたくないことは聞かない、
とおっしゃったので、
僕はホッとして了解し、
サポートステーションMを訪れることにしました。

同時に、
「相談」に対して警戒心を高めていました。
相談員はどんな方なのかと聞くと、
元教師で、
人柄は気さくで親しみやすいというこ とでした。
元教師、
という点に不安を感じましたが、
他に行く宛てもなかったので、
場所を聞いて行くことにしました。

 

思わぬ共通点から読書会を始める

サポートステーションMの相談員、吉田(仮名)さんは元教師、
という事前情報があったためか、
半袖のポロシャツ姿に僕は体育会系の匂いを感じました。
でも教えているのは哲学ということでした。

インテイクに先立ってアンケートに答え、
好きな本などを聞かれました。

僕は余り積極的にプロフィールを公開したくなかったので、
相談員の吉田さんに趣味を聞かれた際に普段なら、
読書、音楽・映画鑑賞、インターネット・・・と続ける箇所を、
読書・・・と消極的に答えていました。

それに続けて好きな本を聞かれ、
「文学や評論を読みます」
と再び消極的に答え、
具体的には漱石や柄谷行人さんが好きです、
と僕は答えました。

すると奇遇にも吉田さんは柄谷行人さんのファンで、
著書も全部読んでいるとおっしゃっていました。
「蓮見重彦は?」
と聞かれたので、
「小津安ニ郎を論じている本だけ読んでいます」
と僕は答えました。
「絓秀美とかは?」
僕は「いえ」と言って首を横に振りました。

柄谷行人さんが好きだという共通点があったので、
僕と吉田さんはここで柄谷さんの本の読書会をしながら、
関係をつくっていくのはどうか、
という提案を吉田さんから頂きました。

僕は良いアイデアだと思い、
ぜひやりたいと答えました。

そして、
課題図書を決めようという話になり、
僕は『意識と自然』が良いと言いました。

『意識と自然』は柄谷さんが夏目漱石について論じたデビュー論文で、
僕の人生を変えた運命の論文でした。

吉田さんは承諾し、
次回から『意識と自然』を一緒に読もうということになりました。

僕は本を読むのが何よりも好きだったし、
『意識と自然』は僕にとって大切な論文なので、一緒に読んで理解を深められるのはとても嬉しいことでした。

次の相談の日。
この日は2人だけの読書会をして『意識と自然』を味わい、
楽しみました。

読書会のやり方は、
僕が大体ひと段落ほど読んだ後、
その段落に書いてあることについて、
吉田さんが質問をして、
僕がその問いに答える、
というものでした。

そのやり方は、
僕が最近になって参加している読書会のようなフラットな関係というよりは、
教える側と学ぶ側、
という上下関係に近い形でした。

それでも、
基本的にはいつも1人で本を読んでいた僕にとって、
1行1行、
丹念に文章を音読し、
他者に問いを投げかけられ、
立ち止まってその文章について考えられる時間は、
幸せと呼べるようなものでした。

けれど、
同時に、
この貴重な相談時間を読書会だけに使っているのは勿体ないと思いました。

読書会だけでなく、
早く仕事に就きたいという焦りがあったので、
具体的に仕事につながるアプローチをしたいと思っていました。

そして、
そのことを吉田さんに伝えました。

すると吉田さんは、
「井口さんには具体的に仕事に就きたいというニーズがあることを受取りました」
というようなことを言い、
サポートステーションと隣接しているハローワークの就職チューターに繋いで下さるとおっしゃいました。

「相談疲れ」
をしている部分もありましたが、
少しでも仕事に繋がるのならと思い、
僕はハローワークに行って就職チューターの支援を受けることにしました。

 

3回目の相談日。

この回は、
「今日はそろそろ話してもらうぞ、
今まで何にもこちらは聞いていないからな」
(文言は正確ではありませんが、およそこのような内容でした)という吉田さんの言葉で始まりました。

僕はこの急展開に驚きました。

相談初日、
4月から就職活動を初めてから約3ヶ月間、
相談やコミュニケーションセミナーなどを繰り返してきたので、
もう相談ばかりでなく、
3ヶ月あったら十分出来たであろう職業訓練や職場体験などを行いたい、
相談においては、
「仕事に就く上で必要とは思えない家族や、友人の有無などといった学生時代の私生活については話したくない」という話を、
吉田さんにはすでに話していました。

それを受けて、
これまでは、
吉田さんは僕に対して
「仕事に就く上で必要とは思えない家族や、友人の有無といった学生時代の私生活について」は、聞かなかったのだと思いますが、
この相談の回は、

「今日はそろそろ話してもらうぞ、
今まで何にもこちらは聞いていないから」

と言い、
話したくない話を聞き出そうとする急展開に、
僕は驚いてしまいました。


この日の吉田さんはどこか苛立っているような感じがしました。

僕がそのことについて指摘し、
「家族関係については余り話したくない」
と言うと、
「では家族関係と井口さんの実存とは関係ないのですね」
と吉田さんは言いました。

僕は「家族関係が僕の実存と関係ない」ということを言おうとしたのではなく、
「家族関係は仕事に就く上では関係ない」ということを伝えたつもりでした。

また、
僕がその問いに答えられないでいると、
「27歳で仕事・定職についていないという事実・現状をどう考えているのか?」
と、吉田さんは質問を続けました。

その問い方がやや詰問する感じだったので、
僕は少し恐怖を感じつつ、
僕は嫌な感じを感じながら、
その答えづらい問いについて考えました。

何とか、
職に就かなかった理由について、
いくらか抽象的に語った後、
「職歴がないことが現在職業を探せない理由です」
と言うと
「それは何も言った事にならない。
普通は抽象的なものから具体的なものが立ち上がってくるが、
君の場合は抽象的なものを抽象的に説明している」
と言い、
「職歴がないのは分かった。
だが、『根』は何なの?」
と詰問されました。

僕は「根」については上手く説明できず、
抽象的な話を繰り返しました。

吉田さんが御自身で、
「自分はカウンセリングや精神分析は学んでいないから、
心の、あるいは複雑で抽象的な問題までは分からない。」
とおっしゃったので、
そもそも「根」についての話自体は出来ない人だと判断していました。

それに、
当初から、
サポートステーションで「根」について聴いて貰おうとは思っていませんでした。

更に、
ハローワークの就職チューターにつなげるために希望する職種を尋ねられました。

その問いに上手く答えることができないでいる僕に対して、
「今回話せないようだったら、
次回また相談の場を設けて改めて聞くことにしますが」
と、吉田さんは言いました。

急いでいる、
焦っている、
時間がないと思っていた僕にとって、
その言葉は脅しに近い言葉でした。

もし、
今回希望職種について話さなければ、
就職チューターに繋いでもらうのは、
次回の吉田さんとの相談の後になってしまい、
少なくともさらに1週間〜10日くらいは掛かってしまう。

それだけの日数が過ぎるのを待つのはどうしても嫌でした。
そのように思った僕は脅されるような気持ちで、
希望職種について話しました。

焦って脅されるように、ではありましたが、
希望職種について答えたおかげで、
隣接のハローワークの就職チューターに繋いでもらえることになりました。


この相談の後、
僕はパソコンスキルも学びたい、
ということを吉田さんに伝えました。

それに対して、
吉田さんは、
サポートステーションMと提携している専門学校Zを紹介して下さり、
僕は受講してみたいと思ったので、
受講申込み書も提出しました。

思えば1度に自分のニーズを少し伝え過ぎたかもしれません。

でも、
そのくらい当時の僕は早く前に進みたいという気持ちで一杯でした。

 

こちらの言葉を遮る相談員

8月6日
サポートステーションMの吉田さんの紹介で、
サポートステーションMに隣接している、
ハローワークMに行きました。
紹介して頂いたのは若年者JOBサポーターという制度で、
担当は三田村さん(仮名)という女性のキャリアカウンセラーでした。

三田村さんは黒いスーツを着ていました。
東京しごとセンターの野川さんと同じような黒いスーツで、佇まいもどこか似ていました。
まず、サポートステーションMで僕の相談を担当をしていた吉田さんから、
今までの相談内容について伝わっているかどうか尋ねました。

「吉田さんからはあの時電話での紹介で・・・井口さんもいらっしゃい・・・」
「いました」と僕。
「あっ、いくらか聞いていて重複するかもしれないけど、改めて話して欲しいの」

伝わっていないのだなと思いつつ、
僕は答えました。
僕は「相談疲れ」の果てに「相談慣れ」していたので、
自分でも驚くほど簡潔にこれまでの経歴や、
社会参加しなかった理由について話すことができました。

これまでの経歴や社会参加しなかった理由について、心理的・社会的・倫理的な側面に絞ってから、身体的な健康上の理由について分けて話しました。
身体的な理由について話したのは、
心理的・社会的・倫理的な理由だけでは、
ニート・ひきこもり的な文脈に位置づけられてしまうからでした。

「健康面というのは精神的なもの?」
と 三田村さんは聞きました。

僕は難しい表情をして
「いえ、違います」
と答えました。
この日は具体的な話は行われませんでした。

相談の終わり頃に、
「私が健康上の理由というのは精神的なものなのかと聞いたとき、
井口さんは少し怒ったような顔をしたの。
怒ったというより・・・何かむっとしたような顔をしたの。
けれど、
こちらとしては相手がどんな事情を抱えているのか、
何が井口さんの社会参加を妨げている要因となっているのか
1つ1つ確認しなければならないの」
と 三田村さんは言いました。

三田村さんの言い分は分かりました。
しかし、

僕が三田村さんの話を聴いて難しい顔をしたのは、
「これまでの経歴や社会参加しなかった理由について、心理的・社会的・倫理的な側面に絞ってから、身体的な健康上の理由について分けて話し」て、精神面の理由を健康上の話と切り離して説明したのに、
三田村さんが健康面の話に精神的なものを持ち込んできたからでした。

僕は、
精神的な病が・・・いわゆる心の病を抱えているのが社会不参加の理由ではありませんでした。
むしろ、
求職活動中の頃に抱えていた困難は、
いくら社会の構造的な問題を口にしても、
心の問題に摺り替えてしまう傾向が社会に参加している側の多くの人たちにあることや、
キャリアカウンセラーをはじめとする相談員に感じる、フラットに話を聴く姿勢の低さでした。

解決のしない問題は止めにして具体的な話がしたいと僕が言うと、
「次回は具体的な話から始めましょう。だから井口さんも具体的にどんな仕事でどんな条件の仕事が良いのかそれで良いか考えて箇条書きにして来て欲しいの」
と、
僕の言葉を遮るように三田村さんは言いました。

どうもキャリアカウンセラーや相談員の方々はこちらの言葉を遮って、
自分の主張を押し通す傾向が多くありました。

そのため、
自分の意見を最後まで安心して話しづらいと感じていました。

 

Photo by PhotoAC

 

......

 

ハローワークM、

就職サポーターである三田村さんとの2度目の相談。

 

僕は「自分には一般の就職活動は向いていない」という話をしました。

それはなぜかと聞かれても非常に答えづらいものでした。

 

でも、

明確な理由がありました。

しかし、

それをキャリアカウンセラーに話すのは難しいと感じていました。

 

そのため、

「求人票が遠くに感じる」

という言葉を枕にして、

うんうん唸りながら、

ぎこちない口調で言葉を紡いでいきました。

それは相談者―相談員という関係からくる制約により言葉を削ぎ落としていった結果でもありました。

 

「相手がどんな人生を送って来たのか、

どんな考えを持って、

どんな仕事に就きたいのか、

言葉にしてくれないと、

分かんないのよね」

と三田村さんは言いました。

 

このような台詞にも僕は違和感を覚えていました。

話を聴く専門家であるキャリアカウンセラーが、

自身のスキル不足や責任を、

相談者に転嫁させているようにも聞こえました。

 

自分にとっては、

あらゆる求人広告が遠くに感じると三田村さんに言いました。

 

「どうして遠くに感じるの?」

 

という問いにはまた唸ってしまいましたが、

店頭に貼ってあるチラシも、

雑誌に掲載されている広告も、

自分には無縁で非合理的に思えました。

 

「求人=応募」形式で行われるハローワーク的な労働概念に合致する就職活動が、

僕には馬鹿馬鹿しく思えました。

 

ハローワークへ来る途中、

沢山の商店やオフィスの中に、

潜在的に自分を求めている人はいなかったのだろうか。

潜在的に自分を求めている場所があったとして、

ハローワークに求人広告を出すのだろうか。

 

あるキャリア・カウンセラーはこう答えました。

「ハローワークが一番求人が集まるんですよ。広告費用が安いから。」

 

しかしカウンセラーの答えには、

そもそもハローワーク的な労働概念に対する過度な信頼を感じてしまう。

潜在的に自分を求めている職場がハローワークに募集を出してしているか、

という募集の内容に関する問いが、

求人数・・・量の問題に変わってしまっている。

 

この日僕は話す内容を整理して用意していました。

難しい話は辞めて早く具体的な話を始めたいと思いました。

実際にそれを言葉に出して言いました。

三田村さんは比較的ワンセンテンスが長く、

一方的に話す時間も長い傾向がありました。

こちらの話を塞き止める場面も何度かありました。

1時間の相談時間は三田村さんの演説を最後に終わってしまい、

また続きは1週間後、

ということになりました。

 

難しい話をしても社会参加が遠くなるだけなので、

具体的な話をして欲しいというと

「次回は具体的な話から始めましょう。だから井口さんも具体的にどんな仕事でどんな条件の仕事が良いのか考えてくる、それで良い?」

 

しかし、

僕はこのような茶番に時間やエネルギーを投資し続けたくなかったので、

ハローワークのジョブチューターである三田村さんとの相談を終えようと思っていました。

 

そして、

その際、

ジョブチューターに繋げて頂いた吉田さんやサポートステーションMに先に連絡をした方が良いだろうと考えました。

 

そこで、

まずはサポートステーションMに電話をしましたが、

相談員の吉田さんは不在でした。

そのため、

電話に出た女性スタッフの方にジョブチューターである三田村さんの相談をやめることにしたという旨を告げると、

「自分でハローワークの方に断りの電話を入れることはできますか?」

「自分で頑張って電話してみようか?」

と、

小さな子どもに言い聞かせるように女性事務員の方がおっしゃったので、

女性事務員の応対に疑念を持ちつつも、

自分でハローワークのチュ-ターに断りの電話を入れました。

 

そして、

最後の相談日である、

9月9日を迎えました。

 

大の大人たちに囲まれて

いつものようにサポステに行くと、

それまで担当だった吉田さんに代わり、

別の相談員である堀田さん(仮名)が相談を受け持つことを、吉田さんから告げられました。

事前連絡はありませんでした。

 

僕はサポステ内の受付カウンターの裏側、

部屋の奥の隅っこに案内され、

そこで吉田さんと堀田さんが僕を囲むように座りました。

 

ものすごい圧力を感じました。

 

相談員が急に変わった理由として、

吉田さんの主張は、

前回の相談で僕が、

「基礎的なパソコンスキルを学びたい」

と言ったので、

サポートステーションMと提携している専門学校Zを紹介して受講申し込み(受講希望)書も提出した。

だから今回、最後の相談は、

専門学校Zについて話すのが筋、

ということでした。

 

しかし、

僕としては、

それ以前にサポートステーションMと提携しているハローワークの就職チューターの紹介を受け、諸事情により断った話と、

サポートステーシ ョンMでの相談当初から吉田さんとの間で企画していた「読書会」を行うつもりでした。

相談の予約も吉田さんとの相談や読書会などを希望していたので、

貴重な相談時間を使ってまで、

他の相談員の方との相談は望んでいませんでした。

 

もし、

相談内容を変更するような時、

まして相談員が変更になるような時は、

事前に連絡をする方がむしろ「筋」だと思っていました。

実際に7月29日に電話で、

相談内容に変更のある場合、

事前に確認し合う取り決めをおこなっていたという事実もありました。

 

僕は、

相談内容及び相談員が急遽変更になったことに異議を申し立てて、

ハローワークについての話をし始めようとしました。

しかし、

僕の言葉を遮られ、

ハローワークの就職チューターとの面談の継続を一方的に断るのは無責任なこと、

という主旨のことを吉田さんに言われました。

 

「無責任・・・」と、

僕は吉田さんの言葉を理解しかねたのでそのような表情をすると、

「難しいですか?」

と吉田さんは言い、

「提携先のハローワークと我々との間の信頼関係に関わるんです」

というようなことを言いました。

 

つまり、

サポートステーションが紹介した相談者である僕が、

相談の継続を一方的に終えてしまったことで、

提携ハローワークとの関係に傷がつくために、

僕が〈無責任〉だということでした。

 

この点に関しては、

僕としてはハローワークに相談継続の断りを入れる前にサポートステーションMに電話で連絡をしていたので、

理不尽な気持ちになりました。

 

その際、

吉田さんが不在だったため、

電話を受け取った女性事務員に詳細を告げると、

「自分でハローワークの方に断りの電話を入れることはできますか?」

「自分で頑張って電話してみようか?」

と女性事務員の方がおっしゃったので、

女性事務員の対応に疑念を持ちつつも

自分でハローワークのチュ-ターに断りの電話を入れました。

 

確かに直接紹介して下さった吉田さんに事前に話さなかったのは良くありませんでしたが、

女性事務員にはお伝えしたので、

もし吉田さんが女性事務員から連絡を受けていれば、

僕に電話をして詳細について聴くことはできたはずでした。

 

僕が一方的に断ったことに対しての無責任というより、

まず、

サポートステーションMという職場の中で吉田さんと女性事務員の間で連絡が行き届いていないことに対して責任が問われるべきであるし、

さらに僕とハローワークの就職チューターとの間に何があったのか、

詳細について確認するのが、

然るべき対応だと、

当時の僕は感じていました。

 

堀田さんともいくらか話をしましたが、

余り細かいことは覚えていません。

 

ただ1つだけ、

僕が研究をしたい、

というようなことを言うと、

「研究をするなら大学のような研究機関に行かないとできない。

申し訳ないけれど、

研究機関に関する情報は自分もサポステも持っていない」

というようなことをおっしゃったのは覚えています。

 

話の内容よりも、

ただ、

吉田さんと堀田さんへの相談は、

それまで担当だった吉田さんに代わり、

別の相談員である堀田さんが相談を担当することを、

吉田さんから告げられたのが突然であったこと、

また、サポステの隅っこに案内され、

吉田さんと堀田さんが僕を囲むように座り、

追い詰められたような気持ちにさせられたこと、

そして吉田さんに

「ハローワークの就職チューターとの面談の継続を一方的に断るのは無責任なこと」

と一方的に言われたことを理不尽に感じていたことなどが重なり、

穏やかな気持ちで話をすることができず、

そのため、

話に集中することができませんでした。

 

そういうこともあって、

サポートステーションの隅っこにある狭い相談スペースで、

2人の大の大人に囲まれていることが、

ただ、

とても辛い状況でした。

 

なぜこんなところに居て、

こんな状況に合っているのか、

よく分からなくなり、

とても惨めで悲しい気持ちになりました。

 

その状況で堀田さんは、

「じゃあ、どうしたい?」

と、

僕が何か言葉を発するたびに言葉を遮り、

鋭い眼光を上目使いで僕に向けながら何度も言いましたが、

その言い方に僕は強い圧力を感じました。

 

そして、

最後に、

「この状況を伝えたい」

と僕は言って、

4月から始めた求職活動の過程で支援機関を巡った経験を伝えたいという想いを言葉にしたのは、とてもよく覚えています。

 

今思えば、

社会に参加するために、

サポートステーションMを訪れる必要も、

サポートステーションMの隅っこの一角で、

2人の大人の男性に囲まれて圧力を感じながら必死で自分の想いを語る必要も、

ありませんでした。

 

(ただ...最後に相談ブースの席から立つ時、

堀田さんは「ごめんな、余り要望に応えられなくて」と僕におっしゃっていたので、

堀田さんとしては本当に僕を支援したいという気持ちがあったのかもしれません。)

 

そしてこの後、僕は、

「この状況を伝えたい」

と想い、

厚生労働省や、

サポートステーションを統括している若者支援自立中央支援センターなどに連絡をしたり、

ひきこもり関係の集まりやイベントに参加するようになりました。

 

しかし......

 

・・・第5回へつづく

 

 

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