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毒親戚の物語 カサンドラな私たち ~ 女性ひきこもりの生きづらさ

画:ぼそっと池井多 with Stable Diffusion 1.5

文・橋本汐

 

親戚の毒気にあてられて

毒親について書く人は多いが、私は毒親戚について書いてみようと思う。

文章の性格上、文中の固有名詞はすべて仮名である。

 

私にとってひがし家は因縁の親戚にあたる。

私の母方の祖母の弟は貞一、同じく母方の祖父の妹は伽揶子かやこであり、東家はこの二人が結婚してできた。私たちが住んでいた地方では、昔は親戚同士で交差婚をすることが多かったのだ。

 

伽揶子はたいへん我が儘だったので、周囲の者が

「この娘はよその男と結婚生活はできんやろう」

と考えて、内輪の人間である貞一に押しつけるかたちで結婚させたらしい。

 

伽揶子は私の母の12歳年上にあたる。私の母は5人兄弟姉妹の第1子で昭和11年生まれである。父は昭和4年生まれで少年時代はチンピラのくせに秀才だったという。

貞一と伽揶子からは、昭和24年に姉の元子、昭和28年に妹の友子が生まれた。つまり、東友子は私の母の従妹にあたる。かくいう私、橋本汐は昭和43年生まれである。

 

近しい親戚だから、幼いころから何かと東家へ行く機会が多かったのだが、彼らはいつも喧嘩ばかりしていたから、幼心にまったく好きになれなかった。とくに伽揶子おばさんが貞一おじさんをいつも怒鳴りつけていた。

ある日、東家に行った時、伽揶子に怒られた貞一の机に「この切り刻み」と赤いボールペンで書かれた紙を見つけた。詳しいことはわからないが、貞一が妻に対するやり場のない怒りをこのように真っ赤な文字で書きつけて晴らしているようだということだけは伝わってきた。ギョッとした。

 

東家は、私たち橋本家にいつも欲しくないプレゼントをくれたものだ。

いちばん嫌だったのは、私と隣の従姉に、真っ赤と紺のスコッチハウスのブレザージャケットをくれたことだった。こんなオリンピック選手の入場行進みたいな服は着たくないので一度も着なかった。

伽揶子おばさんは入れ歯を2つしており、怒ると毎回その入れ歯が飛び出そうなくらいの勢いでがなり立てるのだった。子どもの頃は、それがひたすら怖かった。大人になってからは、それは怖くはなくなったが、代わりに不快に思うようになった。私の橋本家ではあんないがみ合いはなかったので、ある種の文化差を感じてしまっていた。

伽揶子も元子も性格は勝ち気であり、いつもリア充感や勝ち組感を出していて、がらっぱちだったから、謙虚な私には怖かったということもある。私の目には、元子は常に怒った顔をしているように見えた。

 

あのように諍いと憎しみの絶えない家庭に育てば、ああいう表情、ああいう性格になるのかもしれない。育ちというものが、いかに人の性格を決めているかを目の当たりにする思いだった。

 

女三人に囲まれた孫

私が思い出す、いちばん古い東家の記憶に、友子は出てこない。そのころ友子はすでに大学生で東京にいたためである。

しかし、のちに元子の夫になる垣谷はもう東家に住んでいた。昭和48年頃のことである。

東家は、いつも「自分達は流行の先端でおしゃれで粋でイケてる」と勘違いをしていたふしがある。しかし、実際は元子も友子もスタイルは悪く、色黒でダサい。伽揶子は本当は下品でがらっぱちなのに、自分は上品だと思いこんでいるのだった。

 

元子も友子も大学を出ている。伽揶子が娘の学歴にこだわったためである。印刷工である夫、貞一の給料だけでは学費が賄えないので、共働きで伽揶子も働いていた。

元子は大学を卒業後、大手の建設会社に就職、昭和52年に垣谷と結婚し、すぐ男児を出産した。その後すぐに元の職場に復帰し、息子の翔君をゼロ歳児保育にあずけて働いた。

垣谷は、大手の道路関連会社に就職したため、単身赴任が多く、また元子は結婚後も実家のすぐ近くに住んだため、昭和52年生まれの翔君は伽揶子、元子、友子といううるさい女三人に囲まれて成長し、味方は祖父の貞一独りとなった。貞一も翔君だけが慰めの存在だったらしく、とても可愛がった。

元子と友子では、元子の方が性格は激しく、母の伽揶子にそっくりである。いや、伽揶子に負けないくらいか。

友子は負けた。伽子の毒母ぶりのせいで、友子は軽い吃音になった。伽揶子が怖かったのだ。

当たり前だ。元子に比べ、友子はドジで、叱られる頻度が高かったからだ。

 

伽揶子は自分の頭がいいと思い込んでいるのだが、しかしたとえば、学校で級長をやったのは、私の祖母と貞一の姉弟で、伽揶子はやっていない。昔の級長は今のように立候補や投票でなく、担任教師が優秀な生徒を指名していたので、頭の良し悪しの指標になっていたのである。このように伽揶子は貞一よりも優秀でないというのが事実のようだが、伽揶子は貞一を馬鹿にしまくっていた。いや、私の祖父や祖母のことも馬鹿にしまくっていた。

 

私自身は小さい頃から成績が良く、小学校では学級委員に選ばれていた。

でも、私は本心では学級委員が嫌だった。私は隅に隠れていたい性格である。私は変人なので、成績など本当にどうでもいいと思っていた。結局、高校も偏差値で切られて、進学校に行くことになったら、進学校なのに進路のひとつに就職を考えていたくらい私はボケていた。

そのため、同級生が地元の教育大学に何人も進学したのを見て、初めてこの教育大学のレベルを知るという有り様で、その時初めて友子が出た日木倉ひきくら高校から教員試験に受かるわけがないことがわかった。それで、それまで大して関心のなかった友子の経歴を、母に詳しく聞き始めたのである。

 

彼女が大学へ進学できたわけ

それまで母は、

「友子姉ちゃんは、教員試験を受けたら、筆記テストは受かるけど、たぶんその次の面接で落とされるやろ」

と言っていたが、現実にはそんなわけもないということにやっと気づいたのだ。

そこで、

「日木倉高校なら、そもそも教員試験の筆記テストなんか受からへんて」

と、説明したところ母もようやく経緯がわかったようだった。

 

友子姉ちゃんは、日木倉高校のバスケットボール部だったが、母の伽揶子が友子の高校の先生の分まで毎日弁当を作って持たせ、さらにはその先生の家のカーテンまで縫ってあげて、こびへつらうことにより力づくで昭和体育大学推薦を勝ち取ったのだという。

友子姉ちゃんは体格的に優れているわけでもなく、身長は155センチで低い。そんな人が体育大学へ推薦で受かるなんて。これだけでも、昭和体育大学への推薦自体が大叔母の賄賂によるものであることは明らかだろう。

母は言った。

「友子ちゃんは昭和体育大学へ入れても、どうせ球拾いぐらいしかさせてもらえてないやろ」

それなのに、そのうえ教師を目指して試験を受け続けていたというのは痛い話である。

 

でも、うちの父の親友が県の教員の任命権を握っていたので、その人に頼んでコネで教員試験に受かり、そして、またしてもその人のコネで私が通う中学校に教師として赴任してきたのだった。

生徒だった私は親戚が先生として赴任してきたということで、表面上は嬉しそうにしていたけど、本当は吐きたいほど嫌な気分だった。理由は、ここまで読んでくれた読者の方ならばわかるだろう。

 

私が小学校の時、Kissesというキャラクターがアメリカから入ってきた「Montgomery」という名前をどう読むか尋ねた。そしたら、友子姉ちゃんは

「私は英語が苦手だから、よう読まん」

という。

私は「モンゴメリーだろうなあ」と思っていた。

小学生に負けているわけだ。そんな人でも金とコネさえあれば、先生様である。

 

しかし、友子姉ちゃんも、もし父の親友の権力がなければ、今ごろ大人のひきこもりになっていただろうと思う。

大叔母はたいへん我が儘で、苛烈な性格で、血縁全員に当たり散らし、特に第一子である母は精神的虐待をたくさん受け、今でも過去の大叔母のことで泣いている。そのように周囲に当たり散らす人は自分の精神衛生は保てるのか、98才の今もぴんぴんと生きている。

そして、そんな私と母の二代にわたる運命なのか、私も叔母(母の妹)に、身体的虐待(4才の時ふざけて鎖骨を折られる。側彎症もこの時の骨折が原因)、精神的虐待(言葉の暴力)を受けて精神を病むことになった。

 

大叔母は、今の時代なら、発達障害と診断されるのではないかと思っている。

発達障害の夫を持つ妻が、カサンドラ症候群になるそうだが、大叔母のひどさを言えなかった母を見ていると、これは一種のカサンドラなのではないかと思う。

友子の上の元子の一人息子、翔君は45才でまだ結婚していない。

元子も大叔母そっくりの怒りっぽい人で、一家でケンカばかりしていた。そんな母の元子や祖母に育てられた翔君のメンタルが心配である。

翔君はもちろん働いていて、社会生活をしており、ひきこもりではないけれど心は死んでいて、家庭を持ちたくないのではないかと想像している。

 

(了)

 

 

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