文・まさと
編集・ぼそっと池井多
……前回からのつづき
貧乏で健康になる
前回は貧困と貧乏は違うことを考察し始めたところで字数がつきてしまいました。
今回はその続編です。
民放テレビで「1ヶ月10000円節約生活」という番組が高視聴率だったようです。私も見たことがあるのですが、格安の生鮮食品や野草を使い、美味しそうで健康的な節約料理を作って、光熱費節約のため早寝早起きをしていました。貧乏は健康になるということを教えてくれました。
いっぽう、貧困には不健康な肥満との関連を証明する研究があり、同じ金がない状態でも雲泥の差があるようです。ひきこもりは金がない人が多いです。そこで貧困にならず貧乏でいることがサバイバルにつながるはずだと思いました。
貧困は命に関わる
私は貧困問題のルポをたくさん読みました。
そのなかで貧困が命に関わってしまった例として、銚子の公営住宅に住んでいたシングルマザーの話をご紹介したいと思います。
そのシングルマザーの職業は最低賃金に近い時給のアルバイトで、フルタイムで働けるのは繁忙期だけという不安定なものでした。
そのような中、仕事が少ない時期と娘の高校入学が重なって、その費用として街金から50,000円借りてしまったのです。まもなくその法外な利子の支払いに追われるようになり、家賃を踏み倒してしまい、強制退去が執行される間際に親子で無理心中を図って母だけが延命しました。
銚子の公営住宅は困窮者に対する家賃の減免措置があり、それを受ければ家賃は月3,000円になったそうです。私も別の自治体の公営住宅に住んでいるのですが、入居時に公営住宅に関する情報が全て書かれた冊子が渡されています。そこには減免措置に関してもしっかり書かれているのです。
こうして考えると、公的な冊子を読めるほどの読解力は、貧困に陥らず貧乏に留まるための必須スキルではないでしょうか。
また読解力があれば、就学援助などの情報が得られ、もしかしたら子どもの入学時とか金が入り用になった時のための特別給付制度などに申請できるかもしれません。自治体によっては困窮者に無利子で生活費を貸し付けてくれる制度があるようです。公共サービスの情報に対する読解力は必須です。
歴史上の人物に貧乏を学ぶ
貧困に陥らないための貧乏の考察に、森鴎外の娘の森茉莉と水木しげるとお釈迦様を挙げて、私の貧乏と比較してみます。
森茉莉の贅沢貧乏
森茉莉は森鴎外の娘で、戦前は知的な富裕層だった女性です。戦後の東京が焼け野原だったころは、かなり困窮したシングルマザーでしたが、やがて文筆で最低限の収入を得られるようになりました。
そのなかで書かれた『贅沢貧乏』というエッセイは、我々のための示唆に富んでいます。それによると彼女は、戦後しばらくは郊外だった世田谷の低家賃住宅を格安で手に入れ、自分好みの雑貨で快適な住環境にし、格安の食材で贅沢な気持ちになれる料理を自炊していました。贅沢な気持ちになれる輸入菓子を一口分小売りしてもらって、それを心の底から味わった、というようなことが書かれています。
私は寒い日の自炊で、醤油と豆板醤だけで味付けする雪平鍋を作ります。タンパク質は鳥むね肉と油揚げで、あとは安く買っておいた野菜を火の通りにくい部位から先に入れていって、葉ものをひと煮立ちさせたら出来上がりです。4L1499円で買った焼酎を熱い麦茶で割ったものを呑みながら食べると芯から暖まります。
朝にまとめ炊きしておいた玄米と卵でつくる〆の雑炊も暖まります。菓子は食べないのですが、近所のドラッグストアに398円のスペインワインを1本だけ買いに行くのが、たまの贅沢です。
「ゲゲゲの女房」の水木しげる
戦場で片腕を失って復員し、貧困ではなく貧乏で生き抜いた水木しげるの生活も示唆に富んでいます。片腕を失ったことに対する恨みは一切なく、絵心があるのを活かして最低限の収入を得て生きていました。紙芝居を描くことから漫画に移行したのですが、流行漫画家として脚光を浴びるまでは貧乏でした。
見合いで結婚した女房とは、当時田舎だった深大寺付近の散策を楽しんで会話を重ねる、無料デートでした。そのなかでも臨時収入があると、美味しい舶来の缶詰めを買って女房と舌鼓を打ちます。
水木しげる曰く、ケチ一辺倒だと行き詰まるそうです。森茉莉でも考察しましたが、出来る範囲で贅沢できるか、いつもケチしか頭にないかが、貧乏と貧困の分かれ道かもしれません。
私は地元のディスカウントの日曜朝市で、鳥むね肉と豚こま肉を地域最安値でまとめ買いして一週間分にしているのですが、たまには牛肉が食べたくなります。他の近所のディスカウントショップが味付きのオーストラリアステーキ肉を安く売っていまして、先日行ったらその日の目玉商品として100g168円でした。贅沢を楽しんで、牛肉の滋養で元気になりました。
お釈迦様
お釈迦様の私有財産は托鉢の食料を受けとるお椀と質素な衣服だけで、いわばホームレスの生活をしていました。
お釈迦様の年齢は諸説あるのですが、健康長寿を達成したのは間違いないようです。貧困は病気になりますが、貧乏は健康長寿を実現するのです。
私は『ブッダのことば』を繰り返し読んでいるのですが、お釈迦様が一番重視するのは知恵の力です。森茉莉も水木しげるも表現することで糧を得た知恵者です。
知恵の力を養う努力は孤独を忘れさせてくれます。そして資本主義の餌食にならなくて済むように、自分のミニマムを把握できます。自分のミニマムが満たされていると実感できれば、金がなくても卑屈になりません。貧困は卑屈です。それが精神に悪影響を与えて病気になるのです。我々は「時間強者」です。ブッダのことばを読んで、お釈迦様から貧乏を学びましょう。
最後に
日本には清貧を重んじる価値観がありました。なのに現代は金の亡者がもてはやされています。
一汁一菜という質素な食事が健康面でも理想的とされていたのですが、金満的グルメブームが社会を席捲しています。
「貧しいことは惨めだ」
と社会から思い込まされることで貧困が発生したと思います。
貧乏は清いのです。清い贅沢をたまにして、健康長寿を実現しましょう。
(了)