文・
編集・ぼそっと池井多
・・・前回からのつづき
老人ホーム計画失敗
ちょうど一年くらい前に、ひきこもり当事者でもなければ、ひきこもりの家族でもないのに、HIKIPOSに当事者手記を書かせていただいた
あれから一年、いろいろなことがありましたので、続編を書かせていただきます。
前回までのお話を読んでいなかったり、忘れてしまった方は、それを読んでからの方がわかりやすいと思います。
著者・忽那子の夫の兄である「おいちゃん」は有名国立大学の大学院まで出た秀才だが、50代のいま働いておらず、80代の母親と東北の小都市に暮らしている。母親との間に口論が絶えず、何かというと姑は嫁に電話をかけてくるので、忽那子は迷惑している。義母とおいちゃんの母-息子共依存が諸悪の根源だと睨んだ忽那子と夫は、老母を老人ホームへ入れることで事態を解決しようとしたが、入所の当日、老母は家の前で転び、計画は水泡に帰したのであった。
さて、前回は老人ホームへ入所する朝に義母が家の前で転んで、入所の計画がご破算になってしまったところまで書きました。
お義母さんはわざと転んだのだと思います。お義母さんの身体を張った抵抗で、あの計画はお流れになったのです。
こうなると、すべては元の黙阿弥です。お義母さんから私には、以前と同じように昼といわず夜といわず電話がかかってきて、内容はいつも50代独身の長男「おいちゃん」から暴力や暴言をふるわれたという愚痴でした。しかも始末の悪いことに、誰もおいちゃんをひきこもりだと思っていないので、ひきこもり支援にもつながりようがありません。
私の子ども2人はひきこもりではないし、私の兄弟姉妹にもひきこもりはいないのに、こうしてひきこもりの家族としての負担が一手に私にかかってきました。でも、お義母さんも主人も、
「嫁と姑がしょっちゅう仲良く電話で話すのは当たり前」
ぐらいにしか考えてくれません。
そんなある日、お義母さんがまた「暴力をふるわれた」と電話でうるさすぎるので、私は主人に実家へ見に行ってやってほしいといいました。主人は、
「ひごろ母さんから話を聞いてるのはお前だから、お前も来ないと話にならない」
というので、しかたなく私も行くことになりました。
向こうへ着くと、おいちゃんはどこかへ出かけていて、お義母さんが一人で待っていました。
どうやら本当に暴力をふるわれたらしく、お義母さんの額には殴られた痕がありました。
「もう、これは暴力の証拠だから、警察に行きましょう」
と私は提案しました。
お義母さんも主人も首を縦に振りませんでした。
「警察沙汰にすると
というのです。
でも、地元の警察につなげておけば、今後何かあったときに介入してくれて、ひいては私にかかってくる負担が少なくなると思ったので、私は強く主張しました。ここで引っ込んでは、わざわざ週末をつぶして主人の実家まで来た甲斐がありません。さんざんやりとりして、とうとう私が押し切って、3人で警察署へ行くことになりました。
肚のうちが読めない義母
警察では若い女性警察官が応対に出て、取調室のような所で私たちのいうことを聞いてくれました。
でも、おいちゃんの暴力の現場を見ているのはお義母さんだけだし、そのお義母さんの供述は曖昧で、警察のお姉さんもこれをすぐに事件化するわけにはいかないと言いました。
お義母さんの供述が曖昧なのは、認知症が入ってきているせいなのかもしれないのだけど、認知症を演じて
お義母さんは、もし警察がこれを事件化すると、警察が介入して長男と引き離されるので、母息子共依存のカプセルを壊されないように、のらりくらりと答えていたのかもしれません。
警察のほうも「不当な民事介入だ」と後でいわれないように慎重になっているようでした。
警察が、
「もし可能なら、あとでご長男にも話を聞いてみます。今日のところはこれでお帰りください」
というので、私たちは警察署を後にして、お義母さんを家に送り届けました。
おいちゃんはまだ帰ってきていないようでした。
まだ新幹線がありそうなので、「もはや長居は無用」と私たち夫婦はその足で東京へ帰ることにしました。
ところが、東京へあと1時間という所まで戻ってきたときに、主人のスマホに兄のおいちゃんから電話がかかってきたのです。
「おい、お前ら! 警察へ行ったのか! よけいなことしやがって!」
おいちゃんがえらい剣幕で電話の向こうで怒鳴っているのが、隣に居ても聞こえました。
実家へ引き返す夫
あとからわかったことには、あの女性警察官はパトロールのついでに家まで来てくれたようでした。そこで、帰ってきていたおいちゃんにも任意で少し話を聞いたらしいのです。
おいちゃんは方言まる出しのただの田舎オヤジに見えますが、さすが国立大学の大学院を出ただけあって、こういう時もまったく慌てず、素知らぬ顔で論理的に警察官を説き伏せ、納得させて署へ帰したとのことでした。
ところが、警察官が帰っていくやいなや、おいちゃんは豹変してお義母さんを罵倒し、東京へ帰る途中の弟の携帯に電話をかけてきたのでした。
「よけいなことしやがって! ちょっとこっちサ戻ってこい!」
もうすぐで東京に帰り着くところだというのに、戻ってこいというのです。
私は「とんでもない」と思って、主人に目配せをしました。
でも、主人は兄の剣幕に震え上がっていて、
「これは電話が長引きそうだ」
と思ったのか、座席を立って、スマホを片手に車両の連結部へ行ってしまいました。
やがて座席に戻ってくると、
「ちょっと僕だけ実家に戻るわ」
というのです。
「なに言ってんの。あなた、バカじゃない? あと1時間で東京よ」
私は止めたのですが、主人の心はもう決まっているようでした。
なんでもおいちゃんが電話で、
「忽那子さんが警察へ連れてったんだってな。そったら嫁の分際でこっちの家のこと引っかきまわして。
年寄りサ俺に押しつけて、自分たちだけ東京でいい生活してやがって。おめえらが来ねえんだったら、俺がこれから東京サ行って、おめえらの生活ぶっ壊してやる!」
などと言い始めたというのです。
「これは尋常じゃない。警察へ行ったことで、兄貴はすごく怒ってる。ちょっと僕だけ戻って、兄貴をなだめてくるよ。忽那子だけうちへ帰っておけ」
主人はそう言い残すと、大宮で降りて、また下りの新幹線に乗ったのでした。
ここにも8050問題が
こうして私だけ東京の家に帰ってきましたが、実家に戻った主人はそのまま修羅場に身を投じることになりました。
おいちゃんは、こう怒り狂っていたそうです。
「そもそもお前らがおふくろの世話を俺一人に押しつけて、自分たちだけノウノウと東京で優雅な暮らしをしてやがるから、こっちの家ではイザコザが絶えねえんだ。
それで何かというと、俺が暴力だ何だといわれる。
俺が働けないのは、おふくろの面倒を見なくちゃいけねえからだ。
お前らはいい思いして、俺だけ人生を犠牲にしてきた。そのうえ今回は警察サ行って、まるで俺が犯人か何かみてえに言いつけた。ぜったい許せねえ!」
主人がいくら宥めても怒りは鎮まらず、そのうちおいちゃんは主人にこう言い始めました。
「お前、近所サ回って、謝ってこい。
『ほんらい私が母親の面倒を見るべきところを、みんな兄に押しつけているために、いろいろとお騒がせしております』
と町内の家一軒ずつ回って頭下げてこい!」
経過をときどきLINEで知らせてもらっていた私は腹が立って、主人に、
「バッカじゃないの。なんであなたが近所に謝りに回らなくちゃいけないのよ。だいたいおいちゃんは自分の人生がうまく行かないことをぜんぶ私たちのせいにしてるわよ。自分が怒鳴って近所迷惑かけてるんだから、自分が謝って回ればいいのよ」
と主人に返信しました。
ところが主人は、
「それはそうだけど、兄貴はプライドの高い男だから、そんなこと言ったらよけい火に油を注ぐだけだ。ここは一つ僕が我慢して、兄貴のいうとおり近所に謝って回ることにするよ」
などというものだから、私の怒りは主人にも向いてきて、
「そうやっていつもあなたが弱腰だから、おいちゃんもつけあがって、どんどん状況が悪くなるのよ。国立大だか大学院だか知らないけど、今はただの中高年のひきこもりじゃない。あなたの実家みたいなところを『8050問題』っていうのよ!」
と送ってやりました。
すると主人は、
「それはちがうだろう。兄貴はひきこもりじゃないよ。部屋にこもってないし、自分の趣味の集まりなんかには出かけているらしい。ただ、働いてないだけだ。『ひきこもり』なんて言ったら、もう兄貴の怒りに手がつけられなくなるからやめてくれ」
というのです。
罠にはめられた仔鹿
翌日も主人は会社の有給休暇を取って、そのまま実家に滞在しました。私は何か話し合いが行われている気配を感じました。
そして、その次の日、主人が東京郊外の私たちの家へ帰ってきたとき、なんとお義母さんを連れてきたのでした。そして言いました。
「これからおふくろはうちで面倒見ることになった。よろしくな」
私はあっけに取られました。そんな重大な決定に私が関わらせてもらえなかったなんて! うちで面倒を見るとなったら、お世話するのはこの私でしょうが。
私が拒めないように、とちゅうの新幹線の車中など、うちに連れてくるまでのあいだ情報を伏せておいたのも気に障りました。もうお義母さんがうちに来てしまえば、まさか私は追い返さないだろうと踏んだのでしょう。いったい一家の専業主婦を何だと思っているのでしょうか。私は「だまされた」と思いました。
これで私は一気に主人を信頼できなくなりました。
すぐにも家を出ていき、千葉の実家へ行こうかと考えました。でも、下の息子がまだ小学生で、母親がそばに居てやる必要があります。
たぶん主人も義母も義兄も、私が子育てで身動きできないから、家を出ていったりすることはないだろうと見越して、お義母さんを連れてきたんじゃないか、と思います。私は三人が共謀して仕掛けた罠にはまったかわいそうな仔鹿でした。
私はもう悔しくて悔しくて、どうしてくれようかと思いました。
でも、ここで私がブチ切れて衝動的に家を出ても、すぐに帰ってこざるをえません。それでは私がただの馬鹿な女ということで終わります。
だから、ここは見かけ上、しばらくは従順にお義母さんをうちで面倒見るふりをすることにしました。だまされたら、だまし返すのです。
それで水面下では、千葉の実家に連絡を取り、息子二人を連れて私が身を寄せたときの受け入れ態勢について準備を進めるのです。そこでいちばん頭が痛いのは、下の子の学校でした。
こうして、そろそろ3ヵ月が経とうとしています。
「母親を押しつけられているから、俺は働けないんだ」
と言っていたおいちゃんは、独り暮らしになって3ヵ月、いまだ生活に何も変化はなく、相変わらず働いていないようです。年寄りを私たちに押しつけて、いっそう自由を謳歌しているのでしょう。すべて私に負担が押しつけられています。このままで済ますつもりはありません。
いま私はひそかに離婚を考えています。
お義母さんを引き取って、幸せそうに5人家族で暮らしているように近所には見えるかもしれないけど、主人と私の関係は冷え切っていて、仮面夫婦を続けています。
準備が整ったら、私は息子たち二人を連れてここを出ていき、千葉の実家へ引っ越します。このマンションには主人と義母だけが残ることでしょう。すると何もできないはずです。
そのとき初めて、主人も義母も義兄も、これまで家族が回ってきたのは私のおかげだったということに気づくでしょう。その時にはもう遅い。「ざまあみろ」って感じです。
でも悲しいのは、なぜひきこもりの親でも兄弟姉妹でもない私が、こんな風に結婚生活を壊されなくてはならないのでしょうか。私だって本当は離婚なんてしたくありません。すべてはおいちゃんがいけないのです。
もう腹が立って腹が立って、すぐにでも離婚届にサインして結婚指輪とともに主人に突きつけたくなりますが、早まると自分の首を絞めることになるので、なんとか思いとどまっている今日この頃です。
でも、どこかに感情を吐き出さないとやっていられないので、またひきこもり当事者でもないのに、HIKIPOSに手記を書かせていただくことになりました。
最後までお読みいただきありがとうございました。また進展がありましたら書かせていただきます。そのときも、ひきこもり当事者でなくてもHIKIPOSに書かせてもらえたらうれしいです。
(了)
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