・・・「地域で支えるひきこもり」を考える 第9回 からのつづき
文・写真:ぼそっと池井多
8月の酷暑の一日、私は神奈川県
背景には丹沢の山々がつらなり、このあたりは登山道の入口ともなっている。
ひきこもり当事者や支援者など他の参加者たちは、栽培されたピーマンやミニトマトを収穫していた。トマトは青くもなく、赤く熟しすぎてもいないものを選んで獲っていくのだが、それがなかなか難しい。こういう作業をすると、パックされてスーパーに売られている均等に赤いトマトは、いかに厳選された商品であるかがわかる。
ひきこもりと社会をつなぐ企画をしている
私の周囲で農福連携について語る人が増えてきたので、それならば私も一度、自分で体験しないといけないと思い、参加させていただいたのである。
*1.COMOLY(コモリー): 株式会社Meta Anchorによる運営
Twitter(X) : @COMOLY1
*2. 4月から10月ごろまで月1~2回のペースでひきこもり当事者は無料で参加できる日がある。帰りには収穫した野菜のお土産つき。今年(2024年)はあと9月21日(土)を最後の体験日として受け付けている。それ以降は農閑期に入るため来年までお休みとのこと。
お問合せ:COMOLY https://comoly.jp/
自然と向き合い土に触れる
じつは、私にとって農業はこれが初めてではない。
20代の「そとこもり」の時期、合法的に外国人がお金を稼げる地中海岸のキブツでは、果樹園で働いて旅費をおぎなっていた。
南アフリカの農園に住みこみ
1年ほど携わるうちに、よそ者の私にも1アールほどの畑を任せてもらえるようになったが、当時この国はまだアパルトヘイト体制下であったため、黄色人種である私はやがて追い出されることになった。
農業に限らず自然を相手にする仕事は、それだけで心身に癒しをもたらすと言われている。土に触れることで、私はいつも自分の小ささを実感するとともに、存在の確かさも覚えていた。
パソコンなどを使ったデスクワークでは、自分が世界にどのように関わっているのかわからなくなることがある。ある時には、自分が世界を動かしているかのような誇大妄想を抱き、またある時には、自分の仕事がまったく世界と接点を持たず、ただ無駄なテキストやデータを生み出しているだけに思え、虚しくなっていたりする。
しかし、土を耕すときには、私にそんな感覚は起こらない。
耕しているのは、広大な大地のほんの一部に過ぎないことがつねに目に見えているため、自分がいかに小さい存在であるかが刻々と思い知らされる。いっぽう、たとえ一坪の土地でも耕した分だけ雑草が刈られ、作物が育ち、果実が収穫されると、自分の仕事が無駄ではなかったことが知覚されるのだ。
また、農業の大きな魅力は「話さなくていい」という点にもある。
ひきこもりが「働けない」または「働かない」のは、一つには職場で他者とのコミュニケーションがうまくできないからだ。仕事ができる人は同僚との会話や営業トーク、世間話が得意である。これらはひきこもりが最も苦手とする社会的スキルだ。すると、おのずから仕事ができない人間へと分類されていってしまう。となると、正当に評価してもらっていない気がして、その仕事をやめていくパターンも多い。
ところが、農作業ではむしろおしゃべりなどせず、黙々と作業を進めた方が「仕事ができる」と評価されるのだ。農園を経営する側になれば他者とのコミュニケーションも必要だが、雇用される側であれば、ほとんど言葉を交わさなくても立派な社会人として生きていくことができる。
さらに、農業を通じて人々とのつながりが生まれる。ひきこもりが持つ悔しさの一つは、家族や地域に一人前の人間として認められないことだ。しかし、農業に従事していれば、それだけで社会の一員として認められ、胸を張って生きていける。高齢化や過疎化が進む中で、ひきこもり当事者はその存在自体が地域の活性化に貢献しているとして尊重されるのである。
もちろん、そんな良いことばかりではない。
たとえば私が作業したのは、その前後の日に比べると涼しい方だったが、それでも気温は33度。
山の天気は変わりやすいので、雨が降ったり止んだりしている。雨を吸い込んだ土から水蒸気が畑一帯に放散され、あたりはものすごい湿度である。動いていなくても、全身から絞るような汗が出てくる。
湿気が多いときは
畑から上がると、今度は蚊の大群である。ちょっと油断して露出した肌はすべて同時多発的に刺される。日差しを覚悟して日焼け止めクリームは持参したのだが、蚊よけスプレーを持って来なかったのを悔いた。
それに何といっても背をかがめた作業がつづくので、腰が痛い人などは肉体的に続かないだろう。
このように書いてくると、ブラックもブラック、真っ黒クロな劣悪労働環境に聞こえてしまうだろうが、農作業のあと収穫した野菜をその場で煮込んだ麦飯カレーは美味であった。肉なども持ってくれば、バーベキューもできるだろう。
都会に暮らしていると、空の下で肉を焼くという人間ほんらいの営みをなすにも諸方面に許可を申請したり、公園のバーベキュー場を予約するのに何ヵ月もかかったりするが、ここでは誰に憚ることなくすぐできる。
また、こういうことができるように準備してくれているCOMOLYさんの企画力は大したものである。
高知県における農福連携
昨今のひきこもり支援では、しきりと農福連携が語られるようになった。
県を挙げて農福連携に取り組んでいる所が高知県である。
高知市のトマトやキュウリや生姜、須崎市のブルーベリー、土佐町のサツマイモ、三原村の
安芸地域は、平成の中ごろまで自殺率が高いことで有名であった。
私のように東京の人間からすれば、日照時間の少ない雪国でもないのに自殺者が多いというのは意外な気もするが、全国的に見ても3位や4位を争う極めて高い自殺率を記録する土地柄だったのである。
2013(平成25)年、安芸福祉保健所が中心となって自殺予防ネットワークを立ち上げた。以降、この地域の自殺率は急速に低下していく。安芸地域における現在のひきこもりの農福連携は、この自殺予防の副産物として出てきたものである。
2014年、人づきあいが苦手で仕事ができず、10年間ひきこもっていたNさんという当事者が福祉保健所にやってきた。彼は兄弟姉妹とも仲が悪かったために生活が困窮し、身体はやせ細って道端に生えている草を食べて飢えをしのいでいたという。コミュニケーションが取れないため、とても社会で働ける状態ではなかったらしい。
担当した支援者は、
「たとえ会話ができなくても、農作業ならばできるのではないか」
と考え、Nさんを地元のナス農家に紹介した。
そして支援者もいっしょに農作業に汗を流した。
雇用主である農家もNさんの特性をけんめいに理解した。そして十分な賃金を支払った。
その結果、Nさんはまじめに働き、農家が生産する収穫量も増え、それまで人手不足で悩んでいた雇用主も安心して自分の休みが取れるようになったという。
この成功例が他の農家たちにも伝わり、
「ぜひうちにも紹介してほしい」
と福祉保健所に照会や依頼が来るようになった。農家たちもただ労働力の
こうして2年後、2016年には11軒の農家に16人の当事者が就労するようになった。なかにはハウス栽培の名手になった人も、ナスの袋詰めのプロになった人もいる。雇用主である農家も、ひきこもり当事者たちが来るようになって事業を拡大し、ハウスの数を増やす所も出てきた。
現在では安芸地域全体が福祉に理解のある農業エリアとなっており、2023年には就労者は107人にまでなっている。
「支援」ではなく「思想」として
農福連携は、従来のひきこもり支援とは一線を画している。
これまでは支援者がどんなにやさしい態度で当事者に接しても、それが「支援」であるかぎり、上から下へ手を差し伸べる行為であることを免れなかった。どうしても、社会的な知識を持っている者が持っていない者にそれを教えてやる、という上下関係がそこに生まれるのである。
むろん、心ある支援者は極力それを匂わせないように、けんめいに対等な関係を演じるのだが、何といっても支援される側の当事者が敏感に、あるいは被害妄想的にそれを嗅ぎ取ってしまう。
ところが、農福連携は基本的に手が足らなくて困っている農家にひきこもり当事者が手を差し伸べてあげるものであり、農家は当事者たちにおおいに感謝してくれるので、従来の支援につきまとう上下関係は生じないという。
しかし、もしこれだけで満足していたら、たしかに農福連携は従来の「支援」からは一線を画するものの、これは農業人口の減少を補うためにひきこもりを労働人口として調達する、という経済政策で語られるに留まる。
だが、さらにその上に農福連携には「思想」という崇高な面があるのだ。
村落共同体の再生
少し前までの日本は、都市部以外は地域全体が一つの大きな家族であるような村落共同体、つまりムラ社会であった。
ムラ社会というと、良いイメージはないだろう。
同調圧力が高く、人々の嫉みから来る縛りが強く、どこへ行ってもお互いを監視しあっていて、自由のない生活共同体だと思われている。たしかにそういう面はあるのだが、逆にムラ社会であるから人が人らしく生きられる、という側面もあったのだ。
たとえば、かりに自分の親が毒親や虐待親であっても、村のなかには実の母以上に慈しんでくれる女性がいたり、実の父以上に人間について教えてくれる男性がいたりすれば、子はそういう人を頼りに心健やかに育った。自分の親が然るべき存在承認を与えてくれなくても、代わりに与えてくれる大人が誰か村の中に居ればよかった。
こうして人は、核家族という狭い壁の内側に閉じこめられることなく、しかも
そして、どの村にもいろいろな人がいる。健康な人、障害をもつ人、勤勉な人、働かない人、几帳面な人、ずぼらな人、……人間の多様性を自然なかたちでお互いに認識して暮らしていくのがムラ社会であった。すると、そういう所では、たとえ大人になって定職についていなくても、とくに「ひきこもり」などと特別視されることもなく、ただそういう属性をもった一人の村人としてふつうに暮らしていけたのである。
なぜ私がこのようなことを自信をもって断言できるかというと、昭和中期の生まれである私にとっては、そういう光景を幼少期にこの目で見ているからだ。現在でも地方の過疎の村へ行くと、「数年前までそうだった」という証言が聞ける。
しかし近代化の波が押し寄せてきて、人口は都市部へ流出し、家父長制や家族主義は批判にさらされるようになり、ムラ社会は崩壊し、日本人は大家族のような絆もなしにそれぞれが近代的な個人として生きなくてはならなくなった。
ここに新たな孤立が生まれた。かつて高齢者の現象として語られていた「孤独死」は、いまでは若者の問題に及んでいる。
ムラ社会では、定職につかず何となく暮らしていた男など珍しくなかったものだが、今では「ひきこもり」と呼ばれ、福祉や支援の対象とされる。近年では専業主婦までもが「ひきこもり」として見られるようになってきている。ここに新しい屈辱が生まれている。
安芸地域が目指しているものは、昔の日本のムラ社会の良いところを再生し、人間関係のネットワークを再構築する試みでもある。住民が互いの特性を理解しながら共生していくエリアとして、問題を抱える当事者たちを招き農業に従事してもらうことによって、バージョンアップした村落共同体の実現を目指しているのだ。
その意味で、農福連携はたんなる経済政策ではなく一つの思想なのである。
身近な都市部の農福連携
高知県まで行かなくても、農福連携は東京のような都市部でも進められている。
東京都といえば、全国のなかで最も農業と縁のなさそうな都道府県だ。しかし総面積の1.84%は農地なのである(*4)。
都下の自治体別に見ていくと、最も農地率が高いのは清瀬市で14.7%、私が住む練馬区は23区内だが3.2%であり、大田区でさえ1.3%の農地を持つ。
新宿区はさすがに農地率は0.0%だが、では新宿で農業など全くおこなわれていないかと思いきや、なんとデパートの屋上で養蜂が営まれ、新宿区障害者福祉作業所がハチミツを生産しているのである(*5)
また農地率5.0%の国立市では、市を挙げて援農ボランティアを募集しており、その延長として「居場所としての農園」というコンセプトで、ひきこもりのための居場所「からふらっと」を拠点に市内の農園との農福連携に取り組んでいる(*6)。
*4. 以下、東京都内の農地率に関する数字は、東京都統計年鑑や東京都のホームページなどから筆者が抜き出して計算したもの。調査年が一致しておらず正確性に欠けるので、目安にとどめてほしい。
*5. 新宿区の養蜂業
https://www.maff.go.jp/j/nousin/kouryu/attach/pdf/kourei-23.pdf , p.14
*6. 国立市の農福連携
https://www.city.kunitachi.tokyo.jp/material/files/group/1/R60305.pdf
ひきこもりの現実から見た農福連携
それでは、農福連携はひきこもりの就労と社会復帰の問題に一石二鳥の解決をもたらすのだろうか。ひきこもり支援者はみんな農福連携へ殺到すれば、私たちは明るい未来を手にすることができるのだろうか。
ひきこもり当事者として言わせていただくと、私はそこまで楽観的になれない。
これまで述べてきた農福連携の数々のすばらしい点が有効になるのは、あくまでもひきこもり当事者が農業で働く意志を持った場合に限られると思う。実際にそういう意志を持った当事者は多くいる。しかし、逆にそもそも働く意志がない当事者は、どのような環境や機会を与えられても、そのたびに条件の不足を見つけ出して働こうとはしないだろう。
「働く意志はあるが、社会が悪いから働かない」
というひきこもり当事者も多い。
そこで支援者は、良い労働環境や条件を提供しようと模索する。しかし、そうした外面を整えても、そういう当事者はまた新しい理由を見つけて働こうとせず、支援者をがっかりさせることがある。結局、働きたくないのである。
それは私自身を見ていてもわかる。
今回、一日農業体験をさせていただいて、とても良い体験をしたと思うけれど、ではこれからずっと農業を職業にして生きていくかと問われると、私は
自然に向き合い、土に触れたからといって、実存的問題が解決するとは思えない。もっとも、たとえばロシアの文豪トルストイのように、大地を耕すうちに自己の存在意義を見出していく賢人もいるだろうが、私のような凡人はとてもそのような高い知性を持っているとは思えないのである。
また「自分は大学を出たインテリだ。今さら土にまみれて肉体労働なんてできるかい」などと考えているような当事者もいる。
したがって「なぜひきこもりは働かないのか」について真の理由を求めるならば、労働環境や就労システムなどの外的条件の整備もさることながら、世界観を語り合う対話のようなアプローチが不可欠となる。
しかし、ただ対話をしていれば農業をするようになるかというと、そんな甘いものではないと思うし、もっと踏み込んでカウンセリングや精神分析といった方法であると、本人にそれを受ける意志がなければ「侵襲」や「暴力」になってしまう。だから、たいていここから先へは行けないのである。
思想としての農福連携はすばらしいと私は思う。
先に挙げたトルストイのみならず、
村落共同体、ムラ社会には良い面と悪い面があるだろうが、良い面だけを抽出して再生するというのも至難の業だろう。コインは裏と表がくっついているものだからだ。
昔のムラ社会をしばっていた窮屈な人間関係やしきたり、人間ならばとうぜん持つであろう欲望や嫉妬の処理など、共同体の運営にあたっては負の側面への対応も現実的に考えていかなくてはなるまい。そのような対応に、いま農福連携を推進しているリーダーの皆さんが今後どのように立ち向かっていくのか、応援の気持ちをこめて遠くから見守っていきたいと思う。
・・・「地域で支えるひきこもり」を考える 第11回へつづく
<筆者プロフィール>
ぼそっと池井多 中高年ひきこもり当事者。23歳よりひきこもり始め、「そとこもり」「うちこもり」など多様な形で断続的にひきこもり続け現在に到る。VOSOT(チームぼそっと)主宰。
ひきこもり当事者としてメディアなどに出た結果、一部の他の当事者たちから嫉みを買い、特定の人物の申立てにより2021年11月からVOSOTの公式ブログの全記事が閲覧できなくされている。
著書に『世界のひきこもり 地下茎コスモポリタニズムの出現』(2020, 寿郎社)。
詳細情報 : https://lit.link/vosot
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