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私のひきこもり体験① ~それは「嫌われたくない」から始まった~

イメージ画像 Ishizaki Morito with GPT4o

文・N

 

私は現在37歳、福祉職として働いています。しかし、15歳から22歳まで、そして再び短い社会復帰の後、28歳までの長い期間をひきこもりとして過ごしました。その経験を振り返りたいと思います。

嫌われたくない

幼い頃から、私は周囲の子よりも繊細な性格でした。いわゆる完全なオタクというわけではありませんでしたが、趣味や好みはオタク気質だったと思います。友達の輪の中にいても、どこか馴染めない感覚がありました。本や漫画の世界に没頭することで安心感を得ていたように思います。私の心の奥底には常に「嫌われたくない」という思いがありました。人の表情や言葉の端々に過剰に反応し、「この人は私のことをどう思っているだろう」と常に考え続けていました。

そんな私の葛藤は、中学生になるとより顕著になりました。嫌われることを極度に恐れながらも、実際には心を開ける親しい友達がほとんどいなかったのです。表面的な関係はあっても、本当の自分を見せられる相手はいませんでした。「嫌われたくない」と思うあまり、自分の意見や感情を抑え込み、周りに合わせることで関係を維持していました。でも、そのせいで誰とも深い絆を築けず、いつも孤独を感じていました。

父は仕事に明け暮れ、ほとんど家にいませんでした。帰宅しても疲れ切っていて、家族との時間を持とうという気力もなかったのでしょう。土日も一緒に遊んだ記憶はほとんどありません。

母は幼い頃は優しかった記憶がありますが、気がつけばヒステリックに怒ることが増え、あるいはぼんやりと遠くを見つめていることが多く、話しかけづらい雰囲気がありました。母自身も父との関係や生活に満足していなかったのでしょう。いつからか、私に対して「あなたはお父さんそっくりね」と言うようになり、それが批判のように聞こえました。

家での時間は居心地が悪く、特にときどき開催する、週末の家族揃っての食事の時間が苦痛でした。父はテレビを付けたままの食事が嫌いなので消されるのですが、そうすると食卓には3歳年下の妹も含め誰も言葉を発しない沈黙だけが流れていました。その沈黙の中で、私は箸の音や咀嚼音が自分だけ大きく聞こえるような錯覚に陥り、食べるのも怖くなることがありました。その時間がとても嫌で、毎回、早く終わらないかとだけ思っていました。

不登校への入り口

中学3年生頃から、少しずつ学校に行く気力が失われていきました。朝起きると、なぜか胃が痛くなる日が増えていきました。学校に行くことを考えるだけで、息苦しさを感じるようになりました。クラスでの立ち位置、友人関係、先生との関わり方など、周りに合わせなければならないという思いだけで毎日エネルギーを消耗していました。

授業中、何か発言を求められると、極度の緊張から頭が真っ白になり、うまく答えられないことが増えました。そのたびに「みんなに馬鹿だと思われているのではないか」「嫌われているのではないか」という恐怖感に襲われました。実際は誰も気にしていなかったかもしれませんが、私の中では大きな傷になっていきました。

同時に、両親の関係が一番悪いときでした。夜遅くまで怒鳴り合いの喧嘩が続き、「離婚する、しない」という言葉が毎晩のように飛び交っていました。壁越しに聞こえる怒声で、布団の中で震えながら眠れない夜が続きました。時には、母が泣きながら私の部屋に来て愚痴をこぼすこともありました。私はただ黙って聞くしかありませんでした。

私の成績は受験を控えているのに徐々に下がっていきました。集中力が続かず、勉強しようとしても心ここにあらずの状態でした。塾に通わされましたが、そこでも人間関係に悩み、本当の意味での学習にはなりませんでした。それでもなんとか親の勧めたそこそこの高校には合格できました。

しかし、その高校は予想以上に管理教育的な校風で、私には合いませんでした。校則は厳しく、髪型や服装の細かい規定があり、朝のホームルーム前には点呼と身だしなみチェックがありました。私にはそのプレッシャーが耐えられませんでした。またクラスメイトに話しかけることができず、入学してから友達ができませんでした。「クラスで浮いてるんじゃないか」「のけ者にされているのかも」という考えで頭が支配され、勉強どころでなくなりました。中学の最後の方もあまり登校できていなかったのですが、高校はさらに深刻で、入学からわずか3週間で完全に行けなくなってしまいました。

ひきこもりの始まり

15歳から始まった不登校生活。最初の数ヶ月は、「明日こそは学校に行こう」と思いながらも、朝になると体が動かなくなる日々でした。目覚まし時計が鳴ると、激しい動悸と吐き気に襲われ、ベッドから出られなくなりました。家族からは「怠けている」「意志が弱い」と言われ続け、自分でもそう思っていました。

外からの音、特に同年代の声が聞こえると心臓がバクバクしました。制服姿の学生を窓から見かけると、急いでカーテンを閉め、床にうずくまることもありました。「今ごろ皆は学校で何をしているんだろう」「自分だけ取り残されている」という思いに苦しみました。

ひきこもりが始まってすぐは、中学時代からの友達数人が心配して連絡をくれました。最初は返信していましたが、「今度会おう」という誘いに対して、毎回理由をつけて断らざるを得なかったのです。徐々に連絡の頻度は減り、やがて完全に途絶えてしまいました。

食事は自分の部屋でとるようになり、トイレに行く時も家族と顔を合わせないよう、足音を殺して移動していました。

両親は私の状況に対して理解を示してくれませんでした。特に父は「うちの家系にそんな弱い者はいない」と言い、母は「あなたさえ普通だったら」という目で見るようになりました。妹は普通に学校に通い、塾や部活で成果を上げる一方で、私は家の恥という扱いだったと思います。

16歳の時、担任の先生が家庭訪問に来ました。玄関先での話し合いでしたが、私は部屋から出られず、ドアの向こうの声を震えながら聞いていました。先生は「このままでは進級できません」と言い、母は泣きながら謝っていました。その後、私は高校を中退することになりました。

日中は家に一人。カーテンを閉め切った部屋で、当時流行り始めていたネットゲームに没頭するようになりました。オンラインの世界では、現実の自分とは違う姿で存在できることに安心感を覚えました。ゲームの中ではやることがたくさんありました。キャラクターのレベルを上げたり、クエストをこなしたり、ダンジョンを攻略したり。私はギルドという集団に所属し、そこでは「ヒーラー」という役割を担当していました。他のプレイヤーを回復し、支えるという役割が、現実では持てなかった自己有用感を与えてくれました。最初はとにかく現実を忘れるほど楽しく、どっぷりとのめり込んでいきました。朝方まで起きてプレイすることも珍しくなく、ゲームの世界こそが私の本当の居場所のように感じられました。

ゲーム内で知り合った人たちの中には、私と同じように不登校の子もいました。時々、深夜のチャットで互いの状況を少しずつ打ち明けることもありました。しかし、完全に自分をさらけ出す勇気はなく、相手が自己開示してくれても、私は表面的な会話に留めていました。本当のことを話せば、ゲームの世界でも嫌われるのでは、居場所がなくなるのではないかという恐怖が常にあったのです。

ゲームでも居場所がなくなる

高校を中退した後、通信制高校に挑戦しましたが、レポート提出すらできずに挫折。中学の同級生たちは大学に進学し、SNSには楽しそうな写真があふれていました。サークル活動や合コン、旅行の写真を見るたびに、自分との差を痛感し、絶望感が深まりました。私はそうしたSNSを見ては自分を責め、でも見るのをやめられないという悪循環に陥っていました。

19歳の頃から、「このままではいけない」という思いが強くなりました。「22歳までに社会に出るか、死ぬかどちらかにしよう」と決めたのもこの頃です。大学を卒業する年齢が一つの区切りだと考えていました。このまま何もしないで生きていくことはできない。でも、社会に出る自信もない。そんな葛藤の日々が続きました。

20歳の誕生日は一人で過ごしました。成人式には当然参加せず、テレビで晴れ着姿の若者たちを見ながら、自分の人生は完全に狂ってしまったんだと涙が止まりませんでした。

この頃、私の生活リズムは完全に崩れていました。夜になると不安が強まり、眠れなくなりました。「このまま一生ひきこもりなのか」「親が死んだら自分はどうなるのか」といった思いが頭から離れず、朝方まで起きていることが常態化していました。体を動かさないので体重は増え続け、鏡を見るのも嫌になりました。

ネットゲームの世界での人間関係も徐々に変化していきました。同じゲームを何年も続けていると、周りのプレイヤーは入れ替わり、顔見知りたちも次々と現実の生活に戻っていきました。「リアルが忙しくなったから」と言って消えていく彼らを見送りながら、私だけが取り残される感覚に苦しみました。

21歳の時、所属していたギルド内である出来事が起きて、私はリーダー的な人に嫌われました。そして徐々にギルド内で居場所がなくなっていったのです。

結局、私はそのギルドを脱退し、別のサーバーに移りましたが、同じことが繰り返されるのではないかという恐怖から、新たな人間関係を作ることができなくなりました。ソロプレイに徹するようになりましたが、徐々にゲームへの情熱も失われていきました。最終的には、オンラインゲームにすら参加する勇気がなくなり、オフラインゲームや動画視聴だけが私の日常となりました。

自分の存在価値がわからなくなり、死について考える日々が続きました。でも、死ぬことさえも怖くて、ただただ部屋で時間が過ぎるのを待っていました。誰にも迷惑をかけたくない、でも生きているだけで迷惑をかけている—そんな矛盾した思いに苦しみました。

最初の一歩と挫折

22歳の誕生日、私は決断しました。それは本当に生きるか死ぬかの選択でした。これまでの7年間、私はゲームの中でばかり生きてきました。同年代の人たちはすでに社会人として働き、中には結婚している人もいました。このままでは本当に終わりだという危機感だけが、私を動かしました。

渾身の勇気で、自転車で行ける距離にある郵便局の深夜仕分けのアルバイトに応募しました。電話をかけるのさえ恐ろしく、何度も受話器を置きかけましたが、なんとか最後まで話すことができました。面接の日、私は何度も引き返そうとし、トイレで吐きそうになりましたが、「これが最後のチャンスだ」という思いで踏みとどまりました。

面接官は中年の女性で、私の緊張した様子を見て優しく接してくれました。履歴書の空白について聞かれた時、「体調を崩していた」と曖昧に答えましたが、それ以上は追及されませんでした。驚いたことに採用されました。夜間の仕分け作業は人と話す必要が少なく、私にとっては理想的でした。

初日、緊張で吐きそうになりながらも、なんとか仕事をこなしました。仕分け作業自体は単純で、黙々と取り組むことができました。同僚は皆自分の作業に集中していたため、特に会話を求められることもありませんでした。

しかし1週間後、私の体と心は限界を迎えました。生活リズムの変化、人との接触によるストレス、そして何より「社会に適応できない自分」への絶望感。深夜の仕事から帰ると、「明日も行かなければ」「行けなければ本当に人生は終わりだ」という思いで胸が締め付けられ、眠れない日々が続きました。些細なミスを指摘された時の恥ずかしさ、同僚の何気ない会話についていけない疎外感…、職場で過ごすすべての時間が私を追い詰めました。

結局、電話一本で退職し、再びひきこもることになりました。

この挫折は私をさらに深い闇へと突き落としました。「やっぱり自分はダメなんだ」という思いが強まり、28歳までの長いひきこもり期間が始まりました。たった1週間の社会復帰の試みが失敗に終わったことで、ほとんどなかった自信は完全に崩れ去りました。「もう二度と外の世界には出られない」「一生このまま終わるんだ」という絶望感は、以前にも増して重くのしかかり酷い鬱になってしまったのです。

ここまで書いてきて、過去を振り返りしんどくなってきました。一旦筆を置きます。28歳からどのように社会復帰していったのか、そして今の福祉職につながる道のりについては、また別の機会に書きたいと思います。最後まで読んでくださりありがとうございました。