(文 喜久井伸哉)
前回は、小津安二郎の映画について話した。
小津映画といえば、日本の巨匠たちの中でも、特に渋い(いわば地味な)作風で知られている。
しかし、公開当時は大ヒットを飛ばした監督であり、1929年には、『大学は出たけれど』という作品が社会現象になった。
かつては、大学への進学率自体が低く、卒業(修了)は特別なことだった。
本作の青年は、親類や世間から多大な期待を背負い、苦労して大学を出たというのに、就職先がなく、将来に不安を抱いている。日本の未来はどうなっていくのか、という世相の動揺を反映した作品だ。
今でこそ、映画は片手におさまるスマホの中で、個々が好きな作品を観ることができる。
だがネットやテレビの登場以前は、当然ながら、劇場に行って、定刻に観なければならない。
映画の歴史の大半は、大勢の観客が、同時期に同じ作品を鑑賞せざるを得ないものだった。
あらためて、歴史を振り返ってみる。
「映画」が初めて一般公開されたのは、1895年のこと。
リュミエール兄弟によって、パリの人々に放映された。
客席の方に向かってくる電車が映写され、ぶつかるのではないかと思った観客が逃げ出した、というエピソードは有名だ。
「映像」そのものに見慣れていなかったことを考えると、現代のVR以上の驚きだったろう。
日本での初公開は、それからわずか2年後の1897年で、「活動写真」として紹介された。
1902年には、空想的な演出に満ちた『月世界旅行』が作られており、映像表現の急速な進歩がわかる。
(それにしても、月まで行く方法が大砲でぶっ飛ぶ、という極めて直截な方法なので、むしろ科学の激変に驚くべきか。)
1911年には、フランスの犯罪映画『ジゴマ』が封切られる。
本作によって、子どもたちのあいだで「ジゴマごっこ」が大流行し、教育上の悪影響が多いとして、上映禁止になった。
性表現によって上映禁止、ならまだしも、教育上の理由で上映禁止、というのは、当時でも珍しいようだ。
思うに、「自分がどんな人間か」という自己同定に、映画が強烈な影響を与えていた時代があった。
つい数十年前まで、劇中の主人公像や、銀幕のスターに影響を受けることは、珍しいことではなかった。
一定以上の年代であれば、ブルース・リーの映画を観てヌンチャクをやってしまうとか、高倉健の映画を観て寡黙になってしまうとか、映画の身体性が、自分の身体性に影響することを、経験しているのではないか。
現代でも影響はしていると思うが、広く薄いかたちのように思う。
アニメやVチューバーによって、フィクションの人間像・身体感覚が、誰しもにうっすらと浸透している。
その分無意識的なところで、日本社会のあらゆるコミュニケーションに作用しているのではないだろうか。
1920年代には、日本で外国映画のブームが起きている。
コメディアンのチャップリン、キートンの作品が人気を集め、俳優のフェアバンクスの主演作や、『嘆きのピエロ』(1924年 )などの大ヒット作が生まれた。
約100年前の映画史には、以下のような名前が刻まれている。
1920年、ドイツ表現主義を代表する映画『カリガリ博士』。
1925年、エイゼンシュテイン監督による『戦艦ポチョムキン』。
1927年、フリッツ・ラングが生んだSFの金字塔『メトロポリス』。
1927年、初のトーキー映画『ジャズ・シンガー』。
1928年、後の名だたる監督たちに影響を与えた『裁かるるジャンヌ』。
1928年、初めてミッキー・マウスが登場したアニメ映画『蒸気船ウィリー』。
日本映画では、『狂った一頁』(衣笠貞之助監督、1926年)が面白い。
モノクロのサイレントではあるが、YouTubeで観るMVと変わらない速度で、場面がめまぐるしく切り替わる。
作家の川端康成も関わっており、前衛的な「若さ」が強く感じられる。
約100年前に、これほどの視覚表現に到達していたことは驚きだ。
なお、日本初の本格トーキー映画の公開は、1931年の『マダムと女房』(五所平之助監督)。
当時は、「うるさくて見ちゃいられない」という声があったという。
「うるさい」というのは音響設備の問題もあるが、「機械から人の声のする」ことが、まだあたりまえではなかったせいもあるだろう。
今年が「放送100年」と言っているとおり、ラジオ放送の開始が1925年。
初めて洋楽レコードが発売されたのは、1928年のことだ。これ以降、本格的なレコードの時代が始まる。
1920年代前後に、生身の人間がいなくても「声」や「歌」を耳にする、という認識の地殻変動が起きている。
映画、アニメ、ラジオ、レコードと、続々と新しいメディアが生まれていった時代だ。
この歴史的過程がなければ、現代のアニメ文化やJ-POPの隆盛もなかった。
身体感覚や感情表現において、無意識のうちに、計り知れないほどの影響を受けているはずだ。
現代では、AIと比較して「人間とは何か」が考究される時代になった。
しかしこの100年ほどを見ても、視覚表現や音声表現によって、そもそもの「人間」像が大きく変化している。
幼い頃からあたりまえに持っている、「人間とはこういうもの」「自分はこのような存在」という基本的な認識も、メディアによって、根本的な影響を受けている。
(つづく)
参照
下川耿史監修 家庭総合研究会編 『明治・大正家庭史年表1868-1925』 河出書房新社 2000年
下川耿史監修 家庭総合研究会編 『昭和・平成家庭史年表1926―1996』 河出書房新社 1998年
下川耿史監修 『近代子ども史年表 1926-2000 昭和・平成編』 河出書房新社 2002年
下川耿史監修 『近代子ども史年表 1868-1926 明治・大正編』 河出書房新社 2002年
Photo by Pixabay
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文・喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。