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私のひきこもり体験② ~親の変化~

イメージ画像 Ishizaki Morito with GPT4o

文・N

 

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22歳での社会復帰への挑戦──たった1週間で終わった郵便局のアルバイト。それは私にとって、文字通り生死をかけた挑戦でした。「誕生日までに社会復帰できなかったら、もう生きていなくてもいい」そんな思いを抱えて、無理やり自分を動かしたのです。

結果はあっけない失敗でした。心が完全に壊れてしまい、もはや精神的に立っていられる状態ではありませんでした。「もう何も望めない、終わりだ」という絶望感だけを抱えて、私はただ横になって過ごす日々に入りました。

そこから先の数年間、私はまるで屍のような状態で生きていました。その頃の記憶は今でもあいまいです。一日一日はきっと長かったはずなのに、振り返ると霧のように過ぎ去っていて、何があったのかほとんど思い出せません。

以前はまだゲームをしたり、ネットを見たりする気力くらいは残っていました。でもこの時期は、重い鬱状態に入ってしまい、それすらできなくなっていました。すべてが意味を失い、私はただ死に向かって生きているような感覚でした。

今になって思うのは、それまでの自分は「いつか何かの役に立つかもしれない」という淡い期待で、ゲームや映画、アニメを見ていたのかもしれないということです。社会経験が乏しい自分にとって、それらはある種の"準備"だったのかもしれません。でも、期待も目的も何もないと、行動は止まるんですね。

父の変化

24歳くらいの頃、一つの転機が訪れました。いつも忙しくて家にいなかった父が、家にいるようになったのです。最初は週末だけでしたが、やがて平日も家にいるようになりました。

私はとても戸惑いました。父のことは苦手で避けていたし、会いたくなかった。前回も書きましたが、子どもの頃から父は仕事で家にいない事が多く、時々厳しい小言を言うような人でした。ですから、まるで「正体不明の謎の人物」がソファでテレビを見ているようで、家の中でのひっそりと過ごせる時間がなくなってしまった。誰もいない家でだけ、ようやく呼吸ができる、そんな感じだったのに、常に誰かが家にいることで、心が休まらなくなっていったのです。

階下に降りるタイミング、トイレに行くタイミング、すべて父を避けて選ばなければならない。家の中にいながら、常に誰かの存在を気にして生きる──そんな息苦しい日々でした。

「もしかして、リストラされたのかもしれない」という推測はありましたが、確かめる勇気もありませんでした。

初めての「対話」

そんなある日、トイレから出た私に、父が突然名前を呼びました。

それは何年ぶりかのことでした。あまりの驚きに声も出ず、頭が真っ白になってフリーズしてしまったのを覚えています。今思えば、父も勇気を振り絞って声をかけたのだと思います。

「ちょっと話をしないか」

怖くて不気味で仕方がありませんでしたが、断ることもまた怖くもあり、私は黙って父の隣に座りました。

「実は、お父さん、リストラにあったんだ」

やはりそうだったのか、と心の中で思いました。あれだけ会社のために働いていた父がリストラにあうなんて、どこか現実感がありませんでした。

でも、次に父が言った言葉は、私の心に深く刻まれました。

「半年間、何もしないでいるだけで、こんなに苦しいとは思わなかった。お前の気持ち、少しわかった気がする。誰にも必要とされていないって、こんなにつらいものなんだな。お前、ずっとしんどかったんだな」

そう言って、父が涙を流したのです。初めて見た父の涙…。そのとき、私は生まれて初めて、父が私のことを理解しようとしてくれていると感じました。

私にとって父は、ずっと遠い存在でした。家にはほとんどおらず、母をヒステリックにさせる何かがあって、「よく知らない、でもなんとなく怖い人」でした。それがあの瞬間、同じ人間として、私の隣に座っていたのです。

静かな連帯

それから、父と一緒に時々ドライブに行くようになりました。買い物に出かけたり、ちょっと遠くの町まで行ったり。ほとんど会話はありませんでしたが、初めて「人として」父と向き合っているような、不思議な時間でした。

そういう時間が、週に何度か、1年以上続きました。私のひきこもり生活は変わらないけれど、その中に「父とドライブに行く」という小さなルーティンができたのです。

父は、私に対して一切否定的なことを言わなくなっていました。それまでは「甘えている」とか「なんでそんなこともできないんだ」と言ってきた父が、何も言わなくなった。時々「よければ行かないか?」と自室にいる私に声をかけるだけ。

それはまるで、社会に必要とされなくなった者同士の、静かな連帯のような感覚でした。ふたりで黙って車に乗っている時間、会話はほとんどないけれど、どこかで通じ合っているような気がしていました。それは、とても不思議で、どこか救われるような時間でした。

その頃になると、母の態度も少しずつ変わっていきました。以前の母は、私を「恥ずかしい存在」とでも思っているような、どこか苦虫を噛み潰したような眼差しを向けてきていた気がします。けれど、母も次第に私への接し方を変えていったのです。まるで私が幼い頃のような、穏やかな態度で接してくれるようになった──そんなふうに感じることが増えていきました。

安心して生きていればいい

ある日、いつものように父と車に乗っていた時のことです。運転席の父が、ぽつりと言いました。

「お父さん、リストラにあったんだ。けどな、退職金はたくさん出た。ローンも全部払い終わってるし、金の心配はしなくていい。お前がこの家にずっと住んでても大丈夫だよ」

そして、さらにこう続けたのです。

「実はお母さんとカウンセリングに通ってるんだ。夫婦でな。いろいろ考えて、お父さんはまた働くつもりだ。でも、お前は今のままでいい。無理に何かしなくていい。安心して生きていればいいんだよ」

その瞬間、私は本当に心が揺さぶられました。そんなことを、父が言うなんて思ってもみなかった。それはもう、「この人が自分の親だったのか?」と思ってしまうくらい、まるで別人のように感じられたのです。

それまでの私は、つねに「生きていてはいけない」と思っていました。自分には価値がない。何もできないし、存在しているだけで迷惑だ。我が家の恥だ。そんな自己否定が、毎日、朝から晩まで心を締め付けていました。

けれど父のあの言葉を聞いたとき、私は初めて「このまま、生きていていいのかもしれない」と少しだけ思えたのです。

実はその後わかったことですが、父と母は心理カウンセリングを受けていたのではなく、マイナーな新興宗教にリストラ後に入信していたらしいのです。両親の変化は、このことが強く影響しているのではと思います。正直言えばどこか受け入れがたいことなのですが、普段宗教の話題を出したり、信仰を押し付けることも、お金をつぎ込むこともないので、これはこれで仕方ないことなのかなと思っています。

③に続く…