100年前の〈家族〉の暮らし ⑧
明治時代の「不登校」的モラトリアム 永井荷風作「すみだ川」の憂鬱
文・喜久井伸哉

今から130年近く前の、1898(明治31)年のこと。文部省は、東京都に尋常小学校の増設を命じた。
学齢期の児童全体のうち、6分の1しか在学していなかったためだ。
国をあげて「学校」を作ったというのに、ほとんどの子どもが就学していない。
これは問題だ、というので、文部省は今後十年で尋常小学校を90校増設せよ、と勧告した。
取り組みのかいあってか、1911(明治44)年には、ほとんどの子どもが就学している。
公立の小学校の就学率が98%を超え、「義務教育」の体裁が整った。
もっとも、これは形の上での「就学」であり、通学していたかどうかは別だ。
まだ子どもが「労働力」と見なされていた時代で、学業は二の次三の次という家庭が多々あった。
1925年(ちょうど100年前の大正14年)の徴兵検査では、文字の読めない者が2割いたため、文部省が通学していない者の厳重取り締まりをしてもいる。
現代的な「学校」のイメージができるのは、まだ先の時代のことだ。
学校制度が広まった明治時代、適齢期の青年は、どのようなことを考えていたのだろうか。
今回は、永井荷風(ながいかふう)の「すみだ川」という小説を取り上げる。
本作には、学生の憂鬱(ゆううつ)な心理が先駆的にとらえられている。
永井荷風(1879(明治12)年ー1959(昭和34)年)は、『濹東綺譚(ぼくとうきだん)』や『断腸亭日乗(だんちょうていにちじょう)』などで知られる作家だ。
父親がエリートの官吏(かんり)で、荷風自身も大学へ行き、明治人ながら欧米を巡った経験もある。
「すみだ川」は、1909(明治42)年に発表された、60ページほどの小説だ。
江戸の情緒が残る隅田川沿いを舞台に、18歳の長吉と、16歳のお糸の恋模様が描かれている。
学校はメインテーマではないが、今でいう受験生の描写が興味深い。
大学生的なモラトリアムをとらえた、日本で最初期の小説ではないかと思う。
特徴的なのは、「不登校」の心情につながるような場面だ。
まず母親のお豊は、一人息子である長吉に、過大な期待をかけている。
お豊は三度の飯を二度にしても、行く行くはわが児を大学校に入れて立派な高給取りにせねばならぬと思っている。
生活を切り詰めて、一人息子の長吉ために学費を捻出していることが、はっきりと書かれている。
長吉が学歴を得て出世してくれることが、親としての何よりの望みだ。
母親はわが子を励ますつもりで寒そうな寝衣姿(ねまきすがた)のままながら、いつも長吉よりは早く起きて暖かい朝飯(あさめし)をちゃんと用意して置く。長吉はその親切をすまないと感じながら何分にも眠くてならぬ。
長吉は、朝6時に起きて学校へ行かねばならない。
学業や自分のためというよりも、母親への孝行のためであり、プレッシャーのためだ。
季節は秋へとうつるころで、中学校(現代の高校に相当)の夏休みが終わった。
長吉は、また朝から通学する生活を始めねばならない。
本当は頑張らねばならないのだが、全然モチベーションが上がらない。
学校はもう昨日から始まっている。朝早く母親の用意してくれる弁当箱を書物と一所に包んで家を出てみたが、二日目三日目にはつくづく遠い神田まで歩いて行く気力がなくなった。今までは毎年(まいねん)長い夏休みの終る頃と云えば学校の教場が何となく恋しく授業の開始する日が心待ちに待たれるようであった。そのういういしい心持ちは全く消えてしまった。つまらない。学問なんぞしたってつまるものか。学校は己(おの)れの望むような幸福を与える処ではない。………幸福とは無関係のものである事を長吉は物新しく感じた。
しばらくは気力を尽くしたが、それも長くは続かない。
その週間の残りの日数(ひかず)だけはどうやらこうやら、長吉は学校へ通ったが、日曜日一日を過すと、その翌朝(あくるあさ)は電車に乗って上野まで来ながらふいと下りてしまった。教師に差出すべき代数の宿題を一つもやって置かなかった。英語と漢文の下読をもして置かなかった。
長吉は、母親への良心の呵責(かしゃく)にさいなまれつつ、ひたすら近所を歩き回ったり、サボって森の中で小説を読んだりする。
用事もないのに、恋仲のお糸の家の前を通り過ぎもする。
しかし、お糸は自分を置いて早々に大人になっていくようで、一人取り残されたような気がしてしまう。
そうこうしているうちに、あっという間に月日が経ち、受験の年を迎える。
本当なら、気合を入れて勉強せねばならない。
しかし長吉は、インフルエンザで二十日ばかり寝込んでしまう。
真剣な学生なら大変な事態だが、長吉は、むしろ試験に落ちる言い訳ができた、と内心よろこんだ。
体が回復して町中に出ると、偶然浄瑠璃の舞台に行きあたり、役者として成功している旧友に再会する。
旧友と話し込んでいるうちに、長吉は子どもの頃に三味線(しゃみせん)が好きだったことを思い出す。
人からは三味線の才能があるかもしれないと期待されたが、母親から禁じられていたため、あきらめていた。
長吉は悔やむ。
もしあの頃から三味線を習っていたら、きっと今ごろは一流になっていたはずだ、と夢想する。
長吉は若者らしい情熱が湧き上がり、今からでも役者になろう、と心に決めた。
役者になって一旗揚げ、お糸とも結ばれれば、素晴らしい将来が待っているはずだ。
四月になった。長吉は試験に落ちた。そして母親のお豊に本心を告げた。
当然、大騒動になった。
お豊は混乱する。
大事な一人息子が進学を棒に振って、しかも役者になりたいと言い出したのだから、そりゃそうだ。
「今は生命(いのち)に等しい希望の光も全く消えてしまった」。
明治時代の母親ながら、息子の進学はすでにそれほどの重要性を持っていた。
長吉は、芸能に詳しい伯父さんは、自分の進路を応援してくれると思っていた。
だがその伯父さんからも、「とにかくもう一年辛抱しなさない」「親孝行して置けば悪い報(むく)いはないよ」などと説得されてしまう。
あてがはずれてしまった。
なおこの伯父さんは、学校制度のことをよくわかっていない。
お豊との会話で、「中学校だっけね、乃公(おれ)は子供を持った事がねえから当節の学校の事はちっとも分らない。大学校まで行くにゃまだ余程かかるのかい」とたずねている。
制度について知らず、自身も学校とは無縁の人生を歩んできたにもかかわらず、学校には行けと言っている。
長吉は面白くない。
協力者が見つからず、役者になろうという野心がしぼんでいく。
お糸との関係も、どうなるかわかったものではない。
長吉は、「今は自殺する勇気もないから病気にでもなって死ねばよい」とやけっぱちにつづる。
もうお先まっ暗だ。
小説「すみだ川」は、長吉がモヤモヤした気分のまま、行く末がどうなるかわからずに終わる。
作品がまるごと、モラトリアムのもやの中に立ち入ったかのようだ。
進路をめぐる長吉の悩みは、努力して研鑽を積めば、庶民でも立身出世の道が見えてくるという、職業選択に自由が生まれた時代ゆえの苦しさだろう。
かといって、誰もがスキルやモチベーションに恵まれているわけではない。
親の期待に、応えられるとは限らない。役者になりたい、歌手になりたい、芸人になりたい……そのような若者の願望が親と軋轢を起こす話は、明治時代から今日まで、いくらでもある。
本作を読むと、学校制度が成立した直後から、若者が自分の望みと親の望みの板挟みになっていた、ということがわかる。
参照
下川耿史監修 『近代子ども史年表 1868-1926 明治・大正編』 河出書房新社 2002年
湯沢雍彦他著 『百年前の家庭生活』 クレス出版 2006年
永井荷風 『すみだ川・二人妻』 新潮社 1969年
Photo by Pixabay
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文 喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。
