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「若者に小説なんて読ませるな」 学校が子どもから読書を取り上げていた明治~大正時代

連載 100年前の〈家族〉の暮らし 
「若者に小説なんて読ませるな」
学校が子どもから読書を取り上げていた明治~大正時代

文・喜久井伸哉

 

社会一般に、小説を読み、演劇を見る人は、人を堕落せしめるもので、青年にとりては、最も危険なり。
(大町桂月)

 

 

なんとなく、小説を読むのは良いことだ、というイメージがある。
ネットにダラダラと時間を費やすよりも、読書をした方が知的で、想像力が豊かになる、ようなイメージはある。
しかし、多くの人にとって小説の印象が良くなったのは、それほど歴史のあることではない。
100年以上前には、むしろ危険視されていた。

特に小説好きの若者が、ボロクソに言われていた時代がある。
勉強や家の手伝いをせず、妄想の物語に気をとられるなど、時間の無駄だ、とバッシングされていた。

明治~大正期に活躍した、大町桂月(おおまちけいげつ)という評論家は、このように言っている。

社会一般に、小説を読み、演劇を見る人は、人を堕落せしめるもので、青年にとりては、最も危険なり。(「わが筆」) 

当時の常識人の発言で、一般的にも受け入れられる主張だった。

 

明治期の駒場農学校には、寄宿舎で過ごす生徒に禁止事項が定められていた。
その内の一つは、「小説稗史等ヲ読」むことだった。
学校や教育者の側が、生徒に対して本気で「小説を読むな」と言っていた。
現代にあてはめるなら、スマホやゲーム機の利用に、制限を課すようなものだろうか。

 

「小説」と言っても、当時は通俗的な「戯作(げさく)」のイメージが残っているなかで、荒唐無稽な内容の多い「講談速記本」が売れていた時代だ。
明治のなかごろには、二葉亭四迷の『浮雲』など、複雑な心理描写をともなう作品が生まれたが、全般的には、のちの少年マンガにつながるような、わかりやすいストーリーが多かった。
マンガやゲームと同様、若者がフィクションの世界に没頭するのは、大人たちにとって警戒すべきことだったのだろう。

 

そもそも「小説」という言葉が、蔑称(べっしょう)的と言えなくもない。
「論語」のような四書五経が、大いなるもの=「大説」と言われたのに対して、小さなもの=「小説」という発想があった。
1970年代に登場した「ライトノベル」にいたっては、自ら軽くて小さいことをアピールしており、「大説」から逆走している。

 

明治期にバチバチの小説批判をしていたのが、中村正直(まさなお)だった。
中村は福沢諭吉とならぶ啓蒙思想家で、当時は「聖人」とまで言われた人物だ。
時代を代表する有識者だが、『小説ヲ蔵スル四害』(1877(明9)年)という、小説罵倒の檄文を残している。
主張をざっくりまとめると、小説好きは ①品行を欠き、②不健康で早死にし、③素行が悪くなり、④悪い病気にかかりやすい。――これは間違いない、と断言されている。
医学的な論拠はよくわからないが、小説を読むと病気になって死ぬ、と真剣に言っている。
(現代の「ゲーム脳」や「スマホ脳」の話を思い出してしまうのは、私だけだろうか。)

中村は、「淫書ヲ焚燬(ふんき)スルノ十法」でも小説を敵視し、いかにこの世から小説を撲滅するか計画していた。
書店や貸本屋で取り扱わず、演劇にもするべからず、といった内容だ。
しかし、小説が大衆的な支持を集めていったことで、この「小説撲滅計画」は失敗してしまった。
もしも時の権力者が「小説」の取り締まりに本腰を入れていたら、日本文学の歴史も変わっていただろう。
時代が下ると、1890(明治23)年に森鴎外、1905(明治38)年に夏目漱石がデビューし、本格的な小説の時代に移っていくことになる。

 

ネットの世界では、エコーチェンバーの問題が指摘されている。
自身の主義主張と重なるものばかりが集まりやすく、思考が偏向しやすいのではないか、と言われている。
たしかに、特定のフィルターがかかり、自分にとって望ましいものしか見えなくなるなら、知的な柔軟性が失われてしまう。

しかしそれを言うなら、ある程度は読書も同様だろう。
自分の好むものしか受け入れないのでは、偏った知識にしかならない。
異なる思想を吸収せず、むしろ撥水(はっすい)するリスクを持つのは、読書も変わらない。
作家たちの側にだって、かたよりがありうる。
近現代の文学史に名を連ねる作家たちが、戦時中にどれほど時世礼賛の文章を書きつづっていたか。
国語の教科書の表皮を剥がすと、「読書」の歴史は、意外なほど暗い。
ネットの動画であっても、学究的に柔軟な内容なら、並みの読書よりよほど有意義になる。
しょせんはメディアの使い方次第であり、ことさら読書ばかりを特別視し、推進することはない、と思ってしまうが、これは楽観的すぎるだろうか。

 

 

 

 参照文献
堀越英美 『不道徳お母さん講座』 河出書房新社 2018年
山下泰平 『「舞姫」の主人公をバンカラとアフリカ人がボコボコにする最高の小説の世界が明治に存在したので20万字くらいかけて紹介する本』 柏書房 2019年

 

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喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。