
シリーズ・私のひきこもり体験 ~隠された子供~
文・はな
編集・石崎森人
私の父親は、どんな人だったか。母親と同じように、機嫌のいい時はそれはもう、すごく私を可愛がってくれる人だった。私が味噌汁をこぼしても、激しく怒る母親の横で「いいじゃないか、子供がやったことなんだから」と、なだめてくれるような、母親よりは子育てに寛容な人だった。少なくとも、小さい頃の私にとっては、味方でいてくれる存在だったように思う。
飛び火する怒り
しかし、私が年を重ねるにつれて、父親もまた、理不尽なことで怒るようになっていった。特に、母親と喧嘩をした後がそうだった。母親に向けられた怒りが、そのまま私にまで飛び火してくるのである。父親は、怒ると私と母親を「二人で一つ」みたいに見ている時があった。「お母さんがそう思っているということは、お前もそう思っているんだろう」。たとえ私が何も知らなくても、母親が父の悪口を言ったら、お前も一緒になって言っているんだろう、と決めつけて怒る。まるで女子の喧嘩のようなきっかけで、全方位に怒りをぶつける人だった。
置いていかれた絵
父親とのことについて思い出すと、今でも胸に引っかかって、しんどくなる出来事がある。私がまだ小さい頃、父親の誕生日に、私は絵を描いてプレゼントした。「お、かわいいな、ありがとう」。父はそう言って、その場では受け取ってくれた。でも、父は帰る時、その絵を私たちの家にそっと置いて帰ってしまった。今ならわかるが、父にはもう一つの家庭があるのだから、私が描いた絵を持って帰れるはずがない。
その光景が、私にはひどくショックだった。あれが、私と父の間の隔たりを決定的にした出来事だったように思う。私の存在は、やはり隠されなければならないのだ、と。普通の父親なら、娘からもらった絵を自分の部屋に飾ったり、大切にしまったりするのだろう。でも、私たちの家はそうではない。ここが普通じゃないのだと、改めて突きつけられた気がした。そのシーンは、大人になった今でも、思い出すと落ち込んでしまう。
その頃からだろうか。私は子供ながらに、父の行動をおかしいと感じ始め、試すようなことをするようになった。小学校高学年の頃だったと思う。もう一つの家庭にいるはずの日に、「大みそかは一緒にご飯を食べようよ」と、無理だと分かっている誘いをしてみる。父は決まって、「いや、ちょっと仕事があるから」と曖昧に断った。
誕生日に渡した絵も、そうした「試し」の一つだった。この絵を、父は持って帰ってくれるだろうか、と。結局、父は絵を持って行かなかった。その事実が、私にはどうしようもなく腹立たしかった。私は父が置いていった絵を、破いて捨てた。どうせ、いらないのだろう、と。
車のなかの鉛筆
父親へのもやもやとした気持ちは、小学校六年生の頃にはっきりとした疑いに変わっていた。「なんでお父さんは、うちにずっといないんだろう」。父の車に乗っていると、私が持ってきたわけではない子供用の鉛筆が落ちていることがあった。子供が乗っていたとしか思えない痕跡が、車内のあちこちに残っている。それを見て見ぬふりをするのが、だんだんとしんどくなってきた。
ある日、私は意を決して母に聞いた。「お父さんって、もしかして私以外に子供とかいる?」。母は、静かに「うん、いるよ」と答えた。
その瞬間、私の人生が、またピタッと止まってしまったような感覚に陥った。薄々わかっていた。わかってはいたけれど、言葉にして告げられた時の絶望は、想像以上だった。また一つ、私の生きづらさが増えてしまった。
父は、隠すのが下手な人だった。うまくやっているつもりで、全然うまくできていなかった。向こうの家の三人の子供たちは、何も気づかずに育ったらしい。なぜか、その全ての負債を、私だけが抱え込んでいるような気がしてならなかった。その理不尽さは、大人になってからも、ずっと頭の片隅にある。(続)
