
シリーズ・私のひきこもり体験 ~隠された子供~
文・はな
編集・石崎森人
中学校に上がった私は、もう一段と、人と関わらないようになっていた。思春期の真っ只中に、父親にもう一つの家庭があるという事実が発覚し、家はますます居心地の悪い場所になった。そして、同じように学校もまた、居心地の悪い場所だった。
優秀という名の重圧
私のいた学年は、なぜか「市内でいちばん優秀だ」と言われていた。勉強ができて、学校生活もしっかりしている、と。そのせいで、学校側は「うちには優秀な生徒がいっぱいます」という体面を保とうと、異常なほどプレッシャーをかけてきた。。定期的に視察にくる教育関係者が授業を見学していたり何だか落ち着かない授業時間を過ごしていた。先生たちは常に厳しく私たちを律し、「ちゃんとしろ」という無言の圧力。。少しでも非行に走った生徒は、すぐさま排除される。そんな緊迫した空気のせいで、休み時間でさえ、みんな顔が険しく、しんとしている。上の学年や下の学年が学生らしく自然に過ごしているのがひどく羨ましかった。
そんな状況だったから、人の顔色を窺い、怒られたくないという私の性質は、より一層加速してしまった。学校へ行くのは、ただただ苦痛だった。生き苦しくて、本当に、365日ずっと死にたいと思いながら学校に通っていた。
身内が死んだ、という嘘
そんなことを考えているのだから、当然、私の身体にも変調が表れるようになり、頻繁に保健室で休むようになった。しかし、休むことさえ、ここでは許されなかった。厳しい女の先生が保健室にやってきては、「本当は具合悪くないんだろう。ずる休みしてるんだろう」と私を責めた。後になって思うと、その先生自身も更年期障害でよく保健室を使っていたそうなので、私がいるのが居心地悪かったのかもしれない。
先生に疑われるのが怖くて、私は保健室に行くこともできなくなった。でも、学校を休めば、家と学校の両方から怒られる。だから私は、遅刻や早退を繰り返すようになった。わざと遠回りをして学校に向かい、授業に出る時間を少しでも遅らせる。どうしても帰りたくなった時は、「身内が死んだので」と嘘をついた。何人、身内を殺したか分からない。先生たちも怪しいとは思っていたはずだが、さすがにその嘘を直接問いただすことはなかった。
当時は、自分がとんでもないことをしているという罪悪感でいっぱいだった。警察に捕まるのではないかと、毎日ヒヤヒヤしながら生活していた。家にも学校にも居場所はなく、私の頭の中は常に混乱していた。教室の椅子に座っているだけで、もう百パーセントの力を使い果たしてしまう。ノートを取る気力も残っておらず、浅い呼吸を繰り返しながら、ただ時間が過ぎるのを待っていた。当然、成績は散々だった。勉強もできない私は、「優秀な学年」の足を引っ張るお荷物でしかなく、ますます学校に居心地の悪さを感じていた。
逃げ場のない場所
中学の時の担任は、有名競技の創始者だという熱血教師だった。出張ばかりでほとんど学校に来ないくせに、たまに来ると「うちのクラスは無遅刻無欠席を目指そう」などと言い出す。過去にそれを達成して新聞に載った栄光を、もう一度味わいたいだけなのだ。自分の名誉のために、具合が悪い生徒にさえ「一度は学校に来い」と平気で言うような、先生のようで先生ではない人だった。私が悩んでいても、相談する隙などまったくなかった。
頻繁に早退する私を、さすがにおかしいと思ったのだろう。熱血な先生も、何か口に出してはいけないことだと察したのかもしれない。その先生は一度だけ、週に一度学校に来るカウンセラーに会うよう、私に命じた。「授業は受けなくていいから、行け」と。
しかし、そこで本当のことを話せるはずもなかった。カウンセラーといっても、元は学校の先生だった退職後の人だ。私の珍しい苗字を見て、「去年、誰か亡くなった?」と、叔父が亡くなった時の新聞のお悔やみ欄の話を掘り返すような人だった。まさかそこを掘り返されるのか、と驚いた。結局、何も解決しないまま、たった一度のカウンセリングは終わった。私には、どこにも逃げ場がなかった。(続く)
