「人生では遠回りも大事だ」、と言われることがある。
違う、と思う。
私は長年引きこもっていたが、ぶらぶら遠回りをしていたわけではない。
仮に何かに対する「遠回り」だったとしても、じゃあ近道ってどこだよ、と思う。
学校や会社に行っている人に対して、「近道をしている」とは言わない。
「遠回りも大事」と言いつつ、その道が就学か就労にしか続いておらず、さらにその先の「ゴール」が想定されていないのであれば、結局この慰めの言葉は、「今はまだいいけど、そのうち働いてくれるよね」という、やわらかな圧力にすぎないのではないか。
「立ち止まる時間も大切」という慰めも同様だ。
学校や会社に行っていないと、どれだけそれ以外のことで活動的であっても、「立ち止まっている」呼ばわりされる。
相対性理論みたいな話で、それは、観測地点によって物の進み方が違って見える、というような話ではないか。
「休むことも大事」にも、その気がある。
並の通学者や通勤者よりも、よっぽど内面的にハードな日々を送っていても、「休んでいる」というと、まるでただゴロゴロしているだけかのようだ。
私が休んでいたのは学校であって、日々の暮らしを休んでいたのではない。

そして、古くからある格言の、「急がば回れ」も同様で……と思ったが、この言葉に関しては、ちょっと違う、かもしれない。
「立ち止まっている」とか「休んでいる」とかではなく、心境としては、急いでいる。
急いでいる時ほど遠回りをせよ、という教えだ。
古(いにしえ)から伝わる箴言(しんげん)にしては、矛盾のエッジが効いている。
意味合いとしては、「急(せ)いては事を仕損じる」ということなのだろう。
急いでいるからといって無理な近道をせず、慎重に、確実な道を歩んだ方が良い、と伝えている。
該博(がいはく)な英文学者だった外山滋比古(とやましげひこ)によると、日本の「急がば回れ」にあたる格言は、世界各地に散らばっているという。
「フェスティナ・レンテ」という随筆に書いており、その題名にしても、ラテン語で「ゆっくり急げ」という意味だそうだ。
いくつか紹介されている。
・ゆっくり行くことを恐れるな(中国)
・ゆっくり行くものが遠くまで行く(イタリア)
・急ぐならもっとゆっくりせよ(イギリス)
・急いで行こうと思ったら古い道を行け(タイ)
・ゆっくり行くものは確実に行く(フランス)
・遅くても全然しないよりは良い(ドイツ)
・急げば急ぐほどまずく行く(フランス)
外山滋比古は、若い時には「急がば回れ」の格言をつまらないものだと思っていた、という。
しかし歳を重ねて、この何気ない言葉が、実感をもって重要に思えるようになった、と語っている。
おそらく人生が長丁場になり、ある種の「長期戦」になればなるほど、この言葉の深度は増していくように思われる。
いきなりだが、ふと「アンダンテ」の話を思い出した。
音楽用語で、「歩くような速度」を意味する言葉だ。
伊藤亜紗と村瀬孝生による往復書簡に、『ぼけと利他』(ミシマ社 2022年)という本がある。
この中で伊藤が、音楽教習を見学した際、「アンダンテ」の説明が印象的だったことを書いている。
モーツァルトのある楽譜には、「アンダンテ」=「歩くような速度で演奏せよ」、という指示がある。
本書によると、1分間に刻む四部音符(BPM)が63から76のペース、だという。
メトロノームをカチカチと動かしたとき、1秒に1回よりも速めのテンポにあたる。
それがだいたい人の歩く速さ、ということなのだろう。
しかし「歩く速度」といっても、状況によって異なるものだ。
若者と老人、上り坂と下り坂の違いがあり、また時代によっても違う。
モーツァルトの時代に、もっとも早く移動できる乗り物が何かと言えば、馬車だった。
そのため、現代の若い演奏家のアンダンテは、たいていの場合速すぎるらしい。
伊藤の話によると、ベテランの音楽家は、若い演奏家に対して、アンダンテの速度を遅くするように指導した。
それは、BPMが「63から76」の速度よりも、さらに遅いものだった。
マニュアル的な理解を逸脱しているが、これによってモーツァルトの曲が豊かさを増す、という。
私はこの「アンダンテ」が、「急がば回れ」の移動速度ではないか、と思う。
「BPMが63から76」という、型にはまった意味での「アンダンテ」ではない。
場合によっては、ものすごく遅い。
しかし学校や会社に行く人々の、均質な歩速と比較して、遅いことを指すのではない、と思う。
人から見て立ち止まっているに等しい移動速度だったとしても、それがその人の「アンダンテ」でありえる。
そしてなおかつ、もっとも「急いでいる」状態でもありえるはずだ。
自動車も鉄道もなく、重い荷物を背負い、鈍い足取りで坂道を歩いていく人を肯定する時、それを記述する言葉は「遅さ」ではない。
「マイペース」とも、ちょっと違う。
「マイペースでいい」というアドバイスもあるが、それは、人と比較して、遅い場合に言われることが多い。
「ゆっくりしている」という意味を含んでしまう。
私の場合は、誰かから「マイペースでいい」と言われたとしても、まったく心に響かない。
内面的には、むしろ緊密で、極めて急いでいる点もあるためだ。
人と比較した速度ではなく、いかに独立独歩のテンポを持続しているか、という観点で、アンダンテでいる。
フェスティナ・レンテ。
急がば回れ。
アンダンテ。
歩く速度で。
私は、立ち止まっているわけでも、休んでいるわけでもない。
人からどのように見られるかは別として、今も昔も、急ぎながら歩いている。
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文 喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。
