(文 喜久井伸哉)
名古屋で引きこもり引き出し人をやっているOという女がいる。何度もテレビに出ているので知っている人もいるであろう。二か月ほどまえになるが、Oの引き出し人としての仕事ぶりを夜間、またもやテレビが紹介していた。たまたまそれを見た、ただいま引きこもり中の中学生の男の子が、「このババアを殺したい、父ちゃん、俺を名古屋に連れていってくれ」と父親に頼んだ。――この話をしてくれたのは、その頼まれた父親である。
どう思うかと聞かれ、私は、すごくノーマルな反応だと思うと答えた。続けて、連れていってあげたら、と言いそうになった。いやことによったら言ったのかもしれない。私もずっと、似たような怒りにとらえられていたからである。
(『引きこもるという情熱』)
今から四半世紀前、多くの人にとって、「ひきこもり」は目新しい「社会問題」だった。
健康な若い男性が、働かないで家に引きこもっているだって?
それはいったいどういうことか。 犯罪者予備軍? 新世代特有の精神異常?
世間に動揺が広がるなか、暴力的に「ひきこもり」を矯正しようとする人々も現れた。
閉じこもっている部屋のドアを叩き壊し、罵声を浴びせ、強制的に連行。
有無を言わせず施設に隔離し、徹底的なスパルタで管理した。
当の「支援者」は幾度もテレビに出演し、「ひきこもりを治した」と豪語する――。
現在よりもはるかに露骨で凶悪な人権侵害が、あたりまえのようにおこなわれていた。
芹沢俊介の『引きこもるという情熱』は、そのような時代に出版された名著だ。
2026年2月、約四半世紀ぶりに復刊した。

題名:引きこもるという情熱
著書:芹沢俊介
発行:くるんば
定価:1,800 円+税
発売:2026年2月5日
ISBN978-4-910972-05-3
https://www.kurumba-m.com/book-hikikomorutoiujyounetsu/
復刊書は高岡健氏書き下ろしの解説が付いている。
なお筆者は生前の芹沢氏と交流があったため、本稿には旧知のバイアスがかかっていることを付言しておく。
本書は、評論家の芹沢俊介(1942―2023)による2002年の書き下ろしだ。
なんと言ってもすごいのは、「ひきこもり」を全面肯定しているところだ。
当時としては、極めて野心的な試みだった。
「ひきこもり」が危険視されていた時代にあって、芹沢氏は『引きこもりは自分らしさの危機から自己を守る行為である』と断言。
「ひきこもり」は病理でも怠惰でもない。自分自身と対話するための貴重な時間である、と再定義した。
動的な活動として「引きこもる」動きがあり、そこには「情熱」というべきものさえある。
強引な「引き出し人」がおこなう「支援」など、その機会を奪う暴力にすぎない、と完全否定した。
この力強い批評の射程は、間違いなく現代にも届いている。
とにかく一貫して、引きこもる本人の側に立って語る人だった。
たとえば「ひきこもり」に対して、当時も今も親が「待つ」ことの大切さがよく言われる。
しかし親は、「いつまで待てばいいのか」と不満に感じやすいものだ。
これに対して、芹沢氏はどのように言っているか。
『親の自分の不安、都合を最優先しているあいだは、もっともつらい目にあっているのは子ども本人であるという当たり前の現実がみえてこないでしょう』と、親の心理をいましめている。
出版から約四半世紀を経たが、本書ほどの論理性と熱度を同時に宿した「ひきこもり」論は、他にはほとんど生まれていないのではないか。
芹沢氏は生涯にわたり、徹底して子ども・若者の側を擁護した。
『殺し殺されることの彼方』(高岡健との共著 雲母書房 2004年)、『もう一度親子になりたい』(主婦の友社 2008年)などの著書では、洞察力のあるバチバチの家族論を展開しながらも、子どもの守護者であり続けた。
評論家としては、戦後最大の思想家・吉本隆明との仕事でも知られている。
そのような書き手が、全身全霊で「ひきこもり」論に取り組み、最初の結実を見せたのが『引きこもるという情熱』だった。
本書に込められた闘争心は、『引きこもり狩り アイ・メンタルスクール寮生死亡事件/長田塾裁判』(高岡健との共著 雲母書房 2007年)や、『「存在論的ひきこもり」論』(雲母書房 2010年)などに受け継がれていくこととなる。
『引きこもるという情熱』が問題にした最大のターゲットは、「ひきこもり」に対する「否定的なまなざし」だ。
かつてより弱まったとはいえ、現代でも世の中に蔓延していると言えよう。
歴史的経緯を振り返ると、1990年頃から、稲村博をはじめとした精神科医が「ひきこもり」を若者の問題行動として論じるようになった。
1998年には、精神科医の斎藤環が『社会的ひきこもり』を発表。ベストセラーとなり、世論に影響を与えた。
斎藤氏は「ひきこもりは病気ではない」と言っていたものの、精神科医がメディアで「ひきこもり」について語っている以上、どうしても病的な課題として流布するきらいがあった。
『引きこもるという情熱』においても、『社会的ひきこもり』が批判的に取り上げられている。
芹沢氏は斎藤氏の影響力によって、「ひきこもり」に対する否定的なまなざしが強化され、社会問題化されることを懸念していた。
話題をもう一つ。
2025年、厚生労働省は「ひきこもり支援ハンドブック〜寄り添うための羅針盤〜」を発表した。
支援者向けに、「ひきこもり」とはどのようなもので、どのように対応していけば良いかをまとめた、公的な指針だ。
従来の『ひきこもりの評価・支援に関するガイドライン』では、医療的な見方や就労支援の重要性について記載されていた。
それが新しい『ハンドブック』ではまったくの別モノになり、「ひきこもり」に対する否定的なまなざしの除去が図られている。
『引きこもるという情熱』が影響したわけではないだろうが、この大きな変化は、2000年頃から芹沢氏が主張していた方向性と重なる部分がある。
四半世紀を経て、時代がようやく芹沢氏に追いついてきた、というのは言い過ぎだろうか。
少なくとも、「ひきこもり支援ハンドブック」の策定から、『引きこもるという情熱』復刊の流れは、世の中の「ひきこもり」像の転換を示しているように思う。
「ひきこもり」とは何か。「支援」とは何か。本書には、それらを根底から論究していくための火種がつまっている。
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文 喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。
追記
2026年3月1日(日)に、ジュンク堂書店池袋本店で『引きこもるという情熱』復刊と季刊誌『SHIP!』刊行の記念イベントが開催される。現在参加申し込み受付中。会場参加は定員に達する可能性があるが、後日アーカイブ配信も予定している。
