
シリーズ・私のひきこもり体験 〜隠された子供〜
文・はな 編集・石崎森人
高校の卒業式を終えた次の日から、私の本格的なひきこもり生活が始まった。自分の部屋で、ただひたすら横になる。「なんでこんな人生なんだろう」という問いから始まり、自分の家庭環境への絶望、そして何もかも憎い、という感情に支配されていった。
不思議なことだが、その頃の私は、ずっと口の中が苦かった。体内で毒を生成しているのではないかと思うくらい、喉がイガイガして苦しくて仕方がなかった。
なんで私は、私なんだろう
頭の中では、常に自問自答を繰り返していた。天井を見上げながら、「なんで私は、私なんだろう」と考える。「なんでこの親から、この町に生まれてきたんだろう」。セーラームーンでもよかったのに、なんで私なんだろう。そんな答えの出ない問いがずっと頭の中を巡っていた。そうしているうちに、ゆっくりと部屋が暗くなって夜が来る。
夜になると少しだけ元気が出た。人のいない時間を見計らってツタヤへ行き、本を読んだり、DVDを借りたりする。お金がないから、当日返却で借りて、夜のうちに見て、朝方に返しに行く。そして昼に寝る。そんな生活を、ずっと繰り返していた。
元気がある時は、本屋や図書館にも行った。私みたいな人間は、これまでこの世にいたのだろうか。そういう人が書いた本はないだろうか。私は必死で「前例」を探していた。前例がないことが怖かったからだ。でも探しても探しても、答えは見つからない。不安しか生まれなかった。
親に相談するという考えは、思いつきもしなかった。私がただ元気がないだけだと思っていた母は、気をきかせて私の部屋の前に求人情報誌の「タウンワーク」を置くようになった。ご丁寧に、接客が苦手そうだからと、できそうな仕事に丸までつけて。タウンワークが発行される毎週月曜日は本当にしんどかった。今、私が向き合っているのは、そういうことではないのに。
これ以上、傷つきたくない
当時、一番怖かったのは、先行きが全く見えないことだった。家にいるのも嫌だったが、外に出て人と関わることがとても怖かった。外に出ても、なに一つもいいことなんか起きない。きっとまた嫌な思いをするに違いない。そう思い込んでいた。
就職するという選択肢は、私の中には全くなかった。高校を卒業して、何の準備もないまま「はい、次」と社会に出ることなどできるはずがない。自分の不安と向き合うだけで精一杯で、もうキャパオーバーだったのだ。
きっと順調な人生を歩んできただろう人には、この地獄は分からないだろう。「働けば解決するじゃないか」「嫌なことくらい誰にでもある。みんな酒でも飲んで気を紛らわしている」と言われても、つまずいてばかりの人間には、そんな簡単に切り替えなんてできるはずないのだ。
順調な人が経験する「嫌なこと」は、たぶんちょっとしたかすり傷のようなものなのだろう。でも、私にとっての「嫌なこと」は、人生を揺るがすような大事件だった。もう、これ以上傷つきたくなかった。これ以上傷ついたら、本当に死んでしまう。HPがほとんど残っていないギリギリの状態で、毒やデバフまでかかっているのに、どうしろというのか。さんざん傷ついて、心も身体もボロボロだった。自分を守りたい一心で、私は部屋に閉じこもっていたのだと思う。
生まれ変わりたいと願って
死にたい、というよりは、消えてしまいたい、と思っていた。何もかもリセットして、一からやり直したい。生まれ変わりたい、と。
どれだけ考えても、行き着く先は同じだった。あんな両親が、私を助けてくれるはずがない。そして、落ち込めば落ち込むほど、「隠された存在」だったという事実が、重くのしかかってくる。私は、外れくじを引くタイプの人間なのだ、と。
そんな堂々巡りの日々が、十九歳から二十歳を過ぎるまでの三年間、続いた。(つづく)
