
シリーズ・私のひきこもり体験 〜隠された子供〜
文・はな 編集・石崎森人
三年間続いた、私のひきこもり生活。それが終わるきっかけは、あまりにも突然やってきた。私が二十歳になった頃、母親が脳卒中で倒れたのである。自分の今後について悩んでいる場合ではなくなった。目の前にいる母親をどうすればいいのか。私の視点は、強制的にそちらへと切り替わった。
それまでずっとひきこもっていた私で何かスイッチが入った。保険会社の手続き、高額医療費の申請や母のお見舞い(ほぼ毎日)、病院の先生とのやりとり、私が全て対応しなければならない。難易度高めな強制イベントの発生が、私をむりやり動かした。それは、図らずも私を三年ぶりに外の世界へと引き戻すことになった。
壊れていく父
しかし、事態はさらに悪化していく。母が倒れたのと時を同じくして、父の仕事がうまくいかなくなったのだ。もともと地元の大きな旅館の息子で、バブル期にはその資産で遊び暮らしていた父。旅館を売った後も、持ち前の口のうまさと顔の広さで不動産の仲介業を始め、一時は大きな儲けも出していたらしい。だが、それもとうとう立ち行かなくなった。
金銭的な行き詰まりと、母の入院。そのせいで、父のメンタルは弱り、より一層ヒステリーになっていった。そしてその理不尽な怒りは、母親のことで手一杯だった私に向けられた。
母はよく、父の仕事の請求書をパソコンで作っていた。父は私に、その代わりをしろと言った。「お前もパソコンできるんだから、お母さんの代わりにお前が作れ」。数字を入れるだけだからと引き受けた私に、父は些細なことで激しく怒鳴り散らした。「フォントが違う。お前の母さんが作ったのと全然違う」。代わりなのだから見えればいいじゃないか。必要な項目は書いているのだから許してほしい。そう言っても、父の怒りは収まらなかった。フォントごときで、なぜここまで。もうそんなことに気を配る余裕は、毎日疲れ切っていた私にはなかったのに。
雪の中の絶叫
父の怒りは、日に日に狂気じみたものになっていった。ある雪の日、病院へ向かう車の中で、父はまた些細なことで怒り始めた。鬼のように、狂ったように怒り、車をガンガン揺らす。もう、私も限界だった。咄嗟に出た言葉は「ここで降ろしてください」だった。私は山道の途中で車を無理やり降りた。
後ろから「待てこら!」と父の怒鳴り声が聞こえたが、無視して歩き続けた。深く積もった雪の中を、一時間ほどかけて病院まで歩いた。
病院に着き、何事もなかったかのように母の前に立つと、母は顔面蒼白だった。「どうしたの」と聞くと、震える声で言った。「さっき、お父さんから電話があって、『山の真ん中に捨ててきた』って…」。父は、私を殺して山に捨ててきたとでも言うように、母に電話で怒鳴りつけたらしい。
私が死んだと思い込んでいた母は、私の姿を見て生きていてよかったと安堵したその瞬間、気を失いその場に倒れてしまった。
「すいません、母親が倒れたんで来てください!」私の声に、院内は騒然となった。「どうしたんですか急に」「また脳血流か」白目になった母が、リハビリ室から病室まで担架で運ばれていく。
私は何度も母に言った。「お姉ちゃんとかいるんだから、電話したら?」と。でも母は、「迷感がかかるから」と言って、頑なに拒むだけだった。「何かあってから連絡される方がよっぽど迷感だよ」と言っても、母は何も言わなかった。
だから、私が動くしかなかった。母の姉や兄に、私から電話をかけた。「母が入院していて…」。そうやって、自ら関わりを作っていく中で、私は気づいた。私は、ちっちゃい頃から、こういう身内との関わりが欲しかったのだ、と。
もう母の許可をもらわなくても、私は自分で人と関わっていけばいいんだ。こうして、少しずつやっていけばいいのか。そんな感覚を、掴みかけていた。(つづく)
