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カーネーションはいつか枯れる 「母の日」と「親の愛」をめぐる不都合な歴史

(文:喜久井伸哉)

「お母さんに感謝」せねばならないか

毎年、この季節になると心がざわつく。
5月の第2日曜日が、「母の日」とされているせいだ。
花屋ではカーネーションが売り出され、「お母さんに感謝を伝えよう」などと喧伝(けんでん)されている。
わたしのように母親との関係が良くない者にとって、これはきつい。

「母」の偉さはわかっているつもりだ。
お腹を痛めてわたしを産んだ。病気のときは徹夜で看病してくれた。
手間も時間も金も費やして、わたしのような愚息(ぐそく)を育ててくれた。
それと共に、母とのあいだにはひどいことが山ほどあった。
わたしが小学校に通わなくなったあたりから、親子関係は大きくゆがんでしまった。
中年になった今でも、母との関係は一筋縄ではいかない。
「母の日」だからといって、安直に「ありがとう」などと言うことはできない。

  

「母の日」とは何か?

いくつかの資料を調べると、「母の日」は世界各地で祝われているようだ。
伝統の創始者はアンナ・ジャービス(1864-1948)という人で、母親の愛情の清らかさを伝えたかったらしい。
現代のアメリカとカナダでも、5月の第2週の日曜日が「母の日」とされている。

 日本では、1931(昭和6)年、初めて民間による「母の日」(第2日曜日)の催しが開かれた。
その第1号は、東京でおこなわれた「母をたたえましょう」街頭行進だという。
なかなかのパワーワードだが、ともかくその運動や理念が全国に広まったことで、日本でも「母の日」が定着。
1948(昭和23)年、正式に「母の日」が定められた。

 

なぜ母親にカーネーション?

 「母の日」と言えば、すぐにカーネーションを連想する。
トゥイグス・ウェイ著『カーネーションの文化史』(竹田円訳、原書房、2021年)によると、アンナ・ジャービスが「母の愛情の清らかさを示すため」に選んだのがカーネーションだったという。
厳密に言うと、白いカーネーションだった。
現代のアメリカとカナダでは伝統が変化しており、「母が元気な人は赤いカーネーション、母を亡くした人は白いカーネーションを胸に飾ることになっているらしい」とある。
日本では白のカーネーションの象徴は聞いたことがなく、文化の違いを感じさせる。

ちなみに韓国では、毎年5月8日が父親と母親に平等に感謝する「父母の日(オボイナル)」とのことだ。
両親とも、赤かピンクのカーネーション(またはそのコサージュ)を胸につける。
またポーランドでは、社会主義国だった時代に「母の日」ではなく「女性の日」が祝われていた。
当時は手に入れにくかった化粧品など、ちょっとしたプレゼントをカーネションに添えて贈る習慣があったという。

それにしても、なぜカーネーションが選ばれたのだろうか?
歴史をたどると、もとから西洋絵画のモチーフとしてたびたび登場していたという。
15世紀頃の宗教画で、聖母マリアや幼いキリストがカーネーションを持つ作品は珍しくない。
この花がマリアの「愛の象徴」だったとすると、現代の母親も「聖母」のイメージと重なるということだろう。

ちなみに、赤いカーネーションは社会主義のシンボルとして使われた歴史もある。
前掲書には「イタリア、オーストリア、旧ユーゴスラビア構成国では、今も毎年メーデーにカーネーションが登場する」と記されており、世界中でカーネーション=「母の愛」のイメージがあるわけではない。
日本で5月にカーネーションがあふれる景色は、出身地域によっては「母の日」でなく「労働者の日」に見えるかもしれない。

 

「母の愛」は歴史的か?

 宗教的な意味での「聖母」はまだしも、すべての「母親」が子どもへの愛情に満ちていたかといと、かなりあやしい。
どのような母親も子どもを無条件で愛し、また子どもも親を愛するものだ、とするイメージは、近現代に急造された部分がある。

具体的には、民話の起源に残酷な表現が多い。
西洋の「白雪姫」や「ヘンゼルとグレーテル」の物語は、現代の日本でもよく知られているはずだ。
それらは、血のつながりのない「継母」が、罪のない子どもをいじめることで物語が始まる。
しかし、この設定は童話を集めたグリム兄弟の改作によるものだ。
もともとは実母が子どもをいじめ、かなり直接的な体罰を加える場面が語り継がれていた。
関係性を継母に変えたのは、グリム兄弟が「残酷すぎる」と判断したためだろう。
民話によっては、親が子どもを殺すストーリーもあった。

日本国内でも、親が子どもに体罰を加え、場合によっては殺してしまうストーリーが見つかる。
民話以前に、神話の「古事記」からしてそうだ。
「古事記」に登場する地母神のイザナミは、「人間を毎日千人殺す」と誓い実行する。
人間=子どもを、生み出すのではなく、「殺す母」のイメージが登場している。
また、アキヤマノシタヒという神は、息子に呪いをかけて殺そうとした。

日本の神話や古典文学のなかで、「母の愛」にあたるイメージを見つけることは意外と難しい。
「万葉集」や「土佐日記」は多様なテーマを含んでいるにも関わらず、母性を思わせる箇所が見つからない。

では、子守唄はどうだろう。
子守唄は親が子どもを寝かしつけるために歌うもので、「母の愛」が込められているはずだ。
勤勉な文化人類学者は日本各地に残る子守唄の採集をおこなっており、資料はたくさんある。
ではここで、宮崎県米良地方につたわる「米良の子守唄」を聞いてみよう。 

ねんねんころりよ おころりよ

ねんねしないと 川流す

ねんねんころりよ おころりよ

ねんねしないと 墓立てる 

ダメだ。赤ん坊に対して「寝ないなら殺してしまいたい」と歌っている。
文化人類学的なアプローチをすると、NHKで流せないタイプの子守唄が見つかってしまう。

 

深いようで浅い「家庭」の歴史

歴史的なはずの母子関係の印象は、近現代に成立した部分が少なくない。
「家族」のイメージもそうだが、「家庭」という言葉そのものが、明治時代以降に広まったものだ。
西洋から「輸入」されてきたことで、「家庭はいかにあるべきか」が論じられるようになった。

時代背景が異なるにせよ、戦後においても映画やドラマにかなり暴力的なシーンが見つかる。
親や教師が子どもをひっぱたく場面は、つい2、30年ほど前までなんら特別なものではなかった。

長期シリーズとなっているテレビアニメの「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」「クレヨンしんちゃん」は、長年にわたってお茶の間に「家庭」のイメージを広めている。
だがそれぞれの初期の作品を見ると、現代の感覚では子どもに対する暴言・暴力にあたるものが見つかる。
1992年にテレビ放送が開始された「クレヨンしんちゃん」は、当初は倫理面で物議を醸すほどの「あぶなさ」が人気の秘訣だった。
原作の漫画や初期のアニメでは、しんのすけが悪さをすると、母親のみさえがゲンコツを落とし、大きなタンコブができるというのがお約束のギャグだった。

民話を改変した「グリム童話」と同様、後世にはマイルドに濾過された作風が伝わっていくのだろう。

 「母の日」とともに、現代の「母の愛」や「家庭」のイメージも、相当恣意的に作られたものだと言える。

 

 

 

 参照
堀越英美著『不道徳お母さん講座 私たちはなぜ母性と自己犠牲に感動するのか』河出書房新社 2018年
下川耿史著『近代子ども史年表 明治・大正編: 1868-1926』河出書房新社 2002年 

Photo by Pixabay

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喜久井伸哉(きくいしんや)
1987年生まれ。詩人・フリーライター。