
シリーズ・私のひきこもり体験 〜隠された子供〜
文・はな 編集・石崎森人
自分を取り戻したきっかけ
母が入院したことで、私は図らずも、家の中で一人暮らしのような状態を経験した。それまでの私は、家にあるものをなんとなく食べ、家にある入浴剤でなんとなく入浴する。自分のための選択というものが、日常になかった。
それが、母の入院を機に変わった。自分で食べるものを準備し、部屋を片付け、自分のための入浴剤を選ぶ。今日は夜にこれを食べよう。今日はこのバス路線で帰ってみよう。病院の売店で、あれを買ってみよう。そんな、自分で何かを選択する機会が増えた途端、私は少しずつ元気になっていった。
ずっと、私の視点は「自分の思考」にしか向いていなかった。それが、母の入院によって「自分が生活する環境」そのものにも目を向けざるを得なくなり、やるべきことが増えた。その中で自分の好きなものを選び、身の回りを自分の心地よいもので固めていくことが、苦しい毎日の中でのささやかな楽しみになっていた。主体性を失っていた私が、自分自身を取り戻し始めた瞬間だったのかもしれない。
言えなかった言葉
その変化は、私の行動にも表れた。父と喧嘩ができるようになったのだ。理不尽な怒りに、ただ耐えるだけだった私が、「もういいです」と言って、父の車を降りることができた。きっと父も、私が急に言い返したことに驚いたと思う。その件がきっかけに、地元にいる間、私は父に言いたいことを言うようになった。「それはおかしいよね」とか「もういいです」と。
母に対しても、そうだった。脳卒中で倒れてから、母は少し変わった。人の話を以前より聞くようになり、些細なことでよく泣くようになった。退院してから、私は勇気を出して、昔の話をしてみた。「お母さんに小さい時こういうことをされて、すごく悲しかったんだよね」そう言うと、母はしくしくと泣き始め、「ごめんね。これからはずっと謝っていくから」と言った。人が変わったかのように、素直になった母を見て、私は堰を切ったように言えなかったことをたくさんぶつけた。あの時も、この時も、と。さんざん母を泣かせてしまった。現在は大分元気になって、また少し元の母に戻ってきているけれど。
ずっと言いたかった。ずっと分かってほしかった。回復期にあった私は、父にも母にも今まで溜め込んできた言葉を、やっとの思いでぶつけた。それは、これからを生きるために必要なことだったのだと思う。
ここで死ぬなら東京で死ぬ
心の中に溜まっていたものを吐き出し、私はようやく自分が本当にどうしたいのかを考えることができるようになっていた。母が入院したことで、私は外の世界と関わる方法を少しだけ学んだ。親戚にも、自分で電話をかけた。人と関わることは怖かったけれど、その手応えは、私を確かに元気づけていた。
もう、あのひきこもっていた日々には絶対戻りたくない。
私は、家を出ることを決めた。東京へ行こう。そう退院した母に告げると、母は言った。「東京へ行ったら、死ぬよ」
昔の私だったら、その言葉に怯えてまた動けなくなっていただろう。でも、その時の私は違った。
「ここで死ぬくらいだったら、東京で一人で死んだ方がまし」
しんどい毎日を送ってきた私にとっては、今までが死んでいたようなものだった。これ以上、死ぬようなことがあったとしても、もういい。啖呵を切って、私はハローワークへと走った。どうせ死ぬなら、やりきって死にたい。それは、私にとっての一つの「生まれ変わり」だったのかもしれない。(第一部 了)
