
文・雨川雅生
以前、ある深い悩みを聴く電話相談の仕事をしていたことがあります。
その電話相談の相談者の中で、
とても心に残っている相談者の方(以下、Aさん)がいました。
Aさんは純粋そうな若い女性で、
少し震えたような遠慮がちな話し方で僕に話し始めました。
実は本来はAさんの相談内容は、深い心理的な危機対応の窓口のため、お断りをしなければいけない内容だったのですが、
Aさんの話を聴いていて、
どんな想いを抱えて生きていて、今日、電話を掛けて下さったのかどうしても聴きたくなり、
話を聴くことにしました。
Aさんは余り人に知られていない病気を抱えていました。
命に関わる病気ではなく、
見た目に関わることではありますが、
工夫をすれば隠すことができる、
そのような病気でした。
その病気についての詳細は分かりませんが、
女性であるAさんにとってはとても辛い病気だったのではないかと思います。
また、
現代の医療では治療もできないということでした。
Aさんは幼い頃からその病気を抱え、
家族以外の人には言ったことがなく、
その病気をずっと隠しながら生きていました。
そのため、
友達に悩みを相談しても、
本当の悩みである病気のことを話せないので、
うわべだけの付き合いとなってしまい、
それがとても辛いということでした。
その悩み相談電話の相談員になる10年以上前、
僕自身もよく悩み相談電話に電話して、
人には言えない悩みを話していました。
相談員によって対応は異なりますが、
とても暖かく励ましてくださる相談員の方々が多くいらっしゃり、その方々に救われた想いをした経験がありました。
僕も何とか力になりたいと想い、
Aさんのお話を聴き続けていました。
もしかしたら励ますようなことを言ったり、
アドバイスをしてしまったかもしれません。
でも、
とにかくただ共感して聴き続けるように努めました。
とても大変な病気を抱え、
ずっと辛い想いをしているはずなのに、
Aさんは誰かを責めるような発言はせず、
とてもしっかりとした話し方で、
僕にも丁寧に接して下さり、
謙虚で、
公平なものの見方をできるような方でした。
とても純粋で、
綺麗な心を持った方だと思いました。
電話を終える際に、
Aさんは僕に、
「聴いて下さってありがとうございました」
と、とても心を込めて言ってくださいました。
僕は大したことは言えなかったと思いますが、
彼女にそのように言ってもらえて、
とても救われた気持ちがしました。
悩み相談電話の仕事をやりたかった理由には、
僕と同じように、人には言えない事情を抱え、
その事情を抱えているが故に社会参加や社会生活に困難を感じている、Aさんのような方の力になりたいという想いがありました。
しかし、
本来、その電話相談の仕事ではAさんのような方は支援の対象外でした。
Aさんの話を聴いていて、
「ひきこもり」の問題を通じて長年感じてきたことや、経験してきたことと重なる部分がありました。
僕が「ひきこもり」の問題に関心を持ったきっかけは、約17年前、初めて社会に参加しようと思い、求職活動をした際に利用した、サポートステーションやヤングハローワークなどの支援機関での対応に疑問を持ったことです。
社会参加や社会生活に困難を感じていた理由は明確にありましたが、
それは僕が出会ってきた支援者にはとても伝えられる事情ではありませんでした。
しかし、
支援機関のスタッフの中には、
「それは何にも言ったことにならない。職歴がないことで就職活動に自信がないことは分かった。でも「根」は何なの!?」と、
抱えている困難さを語るように強要するような発言をする方もいました。
また、
何度も面談し、その支援者が主催している就職を目指すための連続ワークショップ(就活塾のようなもの)でも仕事に対する意欲や人生のビジョンを語ったにも関わらず、
「働きたくなぁい?」
と、子どもをなだめるような言い方で問いかけ、
それに対して「働きたくないように見えるのですか?」と聞き返すと、
「分からないの。何にも話してくれないから」
と不機嫌そうに答え、僕の話を充分に聴くことなく、立て続けに自分の意見をぶつけてくるキャリアコンサルタントの方もおられました。
そして、
そのような支援機関での対応に疑問を持ったことを伝えようと思い、
「ひきこもり」関係の集まりに参加するようになりました。
色んな場に参加していくうちに、「ひきこもり」関係の集まりでも、支援機関に相談する際も、段々と話せなかったことが話せるようになってきました。
しかし、なかなか話を聞いてもらうのが難しい現実がありました。
集まりで支援機関での対応に疑問を持ったと伝えても、
「それは辛い目に遭いましたね」のような形での共感にとどまり、ではどうすれば疑問に思った支援機関での対応を改善できるだろうか、のような建設的な対話を展開する流れにはなりませんでした。
最初の頃は話しても無駄だろう、と思っていた、
社会復帰の困難の原因の一つとなっている視力矯正の不具合についても、
たくさんの支援窓口や支援機関で話してきましたが、
支援するのは難しいという対応がほとんどでした。
どうすれば視力矯正の不具合を改善できるだろうか、一緒に考えながら社会参加の方法を模索していこう、という伴走型の支援を提案する人はいませんでした。
そして次第に、支援機関での対応に疑問を持った、
ひきこもりの問題が語られる際に支援機関での状況が語られていないことに問題意識を感じた、視力矯正の不具合を抱えて悩んでいる、などの話をしないようになった時期がありました。
そのような経験から、
切実な課題を抱えていればいるほど、
「ひきこもり」関係の集まりや支援者や支援機関に対して、
「ここでは自分の問題は扱われない」と感じ、
足が遠のいている人たちも幾らかいるだろうと感じています。
でも、
僕が当事者としても、支援者としても、
「ひきこもり」の問題を通じて出会いたいのは、Aさんのような、人には絶対に言えないが、
この社会では生きづらさを感じてしまうような病気や障害、事情などを抱えている人です。
切実な課題を抱えているが故に、
「ひきこもり」関係の集まりや支援者や支援機関に、
「ここでは自分の問題は扱われない」だろうと感じているかもしれない人です。
そのような病気や障害、事情を抱えている人は、
引きこもってしまったり、ずっとどうにもならない生きづらさを抱えていても、
そのような病気や障害、事情を抱えていることは話せない。
けれど本当は、
「ひきこもり」や「生きづらさ」という言葉を借りれば、具体的に抱えている病気や障害、事情を話さなくても、困難さを共有したり、人や社会とつながれる。
そんな可能性があると思います。
そしてその先に、
自分が抱えている本当の悩みを共有できる道も、
開かれていくと思います。
