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「親の心配はぼくを押しつぶした」 イタリアのひきこもり当事者アレッシオの過去と未来

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アレッシオの住むピエモンテ州   写真 Konstantin Kleine

文・アレッシオ & ぼそっと池井多

 

イタリアのコロナ禍とひきこもり生活

ぼそっと :  アレッシオ、こんにちは。ひきポスの紙面へようこそ。

アレッシオ: ぼそっとさん、ひきポスに登場させてくれてありがとう。ここで対話できるのは光栄です。

ぼそっと : まずはコロナ禍が始まって、「新しい生活様式」になったイタリアで、君がどんな生活をしているか教えてよ。

アレッシオ :  まあ、元気でやってるよ。今年(2021年)の初めから祖父母の家に引っ越して、祖父母の介護をしている。もう9ヵ月になるけど、そんな「新しい生活様式」を楽しんでいるさ。 

昨年、コロナ禍の第1波が襲ってきたときは、ここ北イタリアではぼく自身の生活はそんなに変わらなかった。コロナ禍が始まってからも、ぼくは相変わらずそれまでと同じひきこもり生活を送っていたからさ。

ぼそっと : でも、ニュースでは、北イタリアはコロナ禍でものすごい打撃を受けたと聞いたけど?

アレッシオ : それは同じ北イタリアでも、ロンバルディア州、とくにベルガモのあたりだよ。ぼくはそこから100キロ西へ行った山の中、ピエモンテ州に住んでいるんだ。

でも、ここもときどきコロナの感染者数が激増した。イタリアでは感染者が増えると、その地域は赤マークがつけられて「レッド・ゾーン」となる。すると、そこから出ていけなくなるんだ。ロック・ダウンされるんだな。ピエモンテ州もときどきレッド・ゾーンに入るスレスレまで行った。

でも、ぼくはひきこもりだから、ロック・ダウンされようが何だろうが、それほど生活に変化は感じない。

 

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コロナ禍の最中のイタリアの首都ローマ
Photo by Gabriella Clare Marino on Unsplash

ぼそっと : なるほど。第2波はどうだった?

アレッシオ : 第2波は去年(2020年)の夏に来たな。正直いって、ぼくはちょっとコロナをなめてたな。

あのとき、ぼくはもうコロナは去ったと思って、この地方のひきこもりと当事者会を開催するつもりでいた。ところが、再び感染が広まって、当事者会は中止せざるをえなかった。そのことでぼくは孤独を感じたんだ。

だけど、さっきも言ったように、ぼくは今の生活を楽しんでいるし、この世界に生きていられることに感謝しているし、他の人たちのために世界をより良い場所にしていくチャンスを与えられていることをうれしく思っているよ。

ぼそっと : いわゆる「ふつうの人々」もコロナ禍では孤独を感じただろう。でも、君は彼らほどは孤独を否定的にとらえていない、ということかな。

アレッシオ : うん。これは、いま言ったことと反対に聞こえるかもしれないけど、ぼくはひきこもりとして、孤独という環境にもう6年も身を置いているんだ。だから、もう慣れてる、ということがあるんだろう。

6年前、ぼくはひきこもりになる引き金というものがあった。「引き金」という言い方は、たぶんトラウマに苦しんだことのない人にはわからないと思うから、関連リンクを挙げておくよ。(英語版:日本語版は該当項目がまだない)

 

 

ぼそっと : ありがとう。私は「引き金」が何であるか知っているよ。

アレッシオ : 日本では、コロナ禍はどうだったの。

ぼそっと : そうだね、私は日本で最も感染者数が多くなった東京に住んでいるけど、君と同じで、コロナ禍が来たからといって、初めのうちはとくに私のひきこもり生活に変化がもたらされることはなかった。

しかし、イタリアでもそうだと思うけど、ひきこもりといっても多様で、外出しまくっているひきこもりもいるから、そういう人たちは「ステイホーム」と言われて、さっそくストレスを溜めていたようだね。

第1波が去った後は、2020年の間はマスクをして、手指を消毒して、当事者会なども開催していた。

しかし、2021年4月になって3度目の緊急事態宣言が発出され、当事者会ができなくなった時は、さすがにうんざりしたね。さらに、その夏に日本では東京オリンピック・パラリンピックが緊急事態宣言下でおこなわれるという異常事態になった。

そのあたりから日本にもデルタ株とかが入ってきて、感染者数はうなぎ上りとなったんだよ。

2021年10月末である現在は、ワクチン接種率が高まって、感染者数は落ち着いてきているようだけど、これからまた第6波がくるかもしれない。

 

両親との関係は

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アレッシオ
(本人提供)

ぼそっと :  君はどうしてひきこもりになったのか、教えてくれる?

アレッシオ  それは手短に答えることのできない質問だな。

ぼそっと : 知ってるよ。誰にとっても、ひきこもりになった理由というものは、即座に端的に答えられるものではない。

じゃあ、とりあえずご両親は君から見てどんな人であるか、語ってくれるかい。

アレッシオ : いいよ。ぼくの父はとても抑圧的な人だ。そして母は、ぼくに無関心で遠い存在だといえるだろう。

ひきこもりの専門家はよく、

「ひきこもりが生まれる家庭では、父親が家庭に不在であり、母親が子どもとの距離が近すぎて抑圧的である」

なんて言うけれど、それはぼくの家庭にはまったく当てはまらないよ。

ぼそっと :  面白いね。私にも当てはまらない。

アレッシオ : ぼくはいつも他の子たちと自分はちがうと感じてきた。ぼくは、たとえばゲームなんか、他の子が持っているものを買ってもらえなかった。でも、他の子が買ってもらっていないものを、いつも両親から与えられてきたんだ。

ぼそっと : 君はそういうものを両親から与えられてうれしかったかい?

アレッシオ : 「うれしくなかった」というと嘘になるな。やっぱりうれしくはあったんだと思う。

でも、両親から与えられるものが、ぼくの本当に欲しいものじゃないって感覚は、どうしても拭い去れなかった。だけど、ぼくはそれを両親に対して口に出して言えなかったんだ。

たとえ子どもであっても、

「両親を傷つけてはいけないから、買ってもらえてうれしかったフリをしてよう」

とか考えちゃうものさ。

ぼそっと :  そうだよね。君もやさしい子だったんだな。

アレッシオ : そうだよ。でも、両親にとっては、そんなぼくは、まだ良い子として十分ではなかった。両親はぼくにつねに良い子であれ、謙虚であれ、ということを求めていた。そして、ぼく自身も心の深いところで、それは重要なことだと思っていた。

でも、結局ぼくはこういう風に考えるようになった。

「ぼくはぼくだ。なぜなら、たとえそれが良かったにせよ悪かったにせよ、両親はぼくをこういうふうに育てたから。だから、ぼくは両親に感謝している。そこには良い面と悪い面があると考えられなくてはならない。

ぼくを押しつぶしたのは、彼ら自身が両親であることに抱く不安だった。両親はぼくに物を買い与えたり、ぼくを愛しているふりをしたり、ぼくから愛されているふりをした。なぜならば、両親はそれ以外の方法で愛を表現することができなかったからだ」

そういうことにぼくは気づいたんだよ。 

ぼそっと :  とても考えさせられる言葉だね。深いが、とてもわかりやすい表現になっている。君が両親との関係をそこまでわかりやすい言葉を使って語れるようになるまでには、そうとう何度も何度も深く考え直したのだろう。

いま君は両親のことをどう考えているかい。

アレッシオ : いまぼくは、両親がぼくに対してほんとうの愛情を持っていなかったことをそんなに責めるつもりはないよ。でも、ぼくが今どのような人間であって、未来はどうなりたいかということを理解するのは重要だ。

ぼそっと : まあ、そうだな。 

アレッシオ : ともかく、成長するにつれて、ぼくは友達ができた。でも彼らはほんとうの友達じゃなかった。なぜなら、その関係は有毒なものであって、ぼくはそこにどっぷり入りこみたいとは思えなかったからだ。彼らは毒友で、ぼくはつきあうのが大変だった。結局、彼らはぼくの生活を破壊して、すっかり悪いものへ変えてしまった。

ぼくはいつも他人たちとはちがってきた。ぼくはいつだって、ぼくをいじめる奴らを許そうと努力してきた。ぼくは彼らがまちがっていると知っているから、いじめについて彼らと語ろうと思わない。

ぼそっと : ふむ。詳しくは聞かないけど、それはさぞ痛く苦しい体験だったのだろうね。それは思春期のころだったの。

アレッシオ : そうだね、15歳の頃、ぼくをいじめてくる奴らにたくさん遭遇して、ぼくはいつも彼らを赦す立場だった。彼らは、もう今となっては口にしたくもない屈辱的なあだ名をぼくにつけて呼んでいた。

そういう彼らとの異常な関係が、ぼくを疲弊させて、ぼくは燃え尽き症候群になった。燃え尽き症候群というのは、こちらを参照してね。

 

燃え尽き症候群

ja.wikipedia.org

 

アレッシオ :  それで、ぼくは情緒的に壊れてしまった。もう学校へも行けなくなった。勉強もしたくない、スポーツもやりたくない、友達と出かけることもしたくない。そんな日々になった。やがてぼくは学校を辞めて、ひきこもりになったのさ。

ぼそっと : そうか。つらかったんだね。

アレッシオ   あれから7年経つよ。ぼくは、自分がこのひきこもり状態から抜け出せないことに、ときどき大きなフラストレーションを感じる。ぼくは、自分の失敗に、あるいは中学生の思春期であった過去の生活に、とめどもなく苦しんだし落ちこみもした。それで昼間はずっと寝ていて、夜だけに起きていた。

ぼそっと : 出口がないっていうのは、つらいよな。

アレッシオ   うん、そうなんだよ。

そのうちにぼくは一人の女の子に会った。ぼくと同じ齢で、ぼくの人生をすっかり良い方向へ変えてくれた子だ。彼女はぼくを抱きしめてくれて、ぼくたちは身体でつながった。

彼女はぼくの状態をかわいそうだと思ってくれて、ぼくも彼女の状態をそう思った。彼女もひきこもりだったんだ。ぼくは彼女の温かい体温を感じることで、それまでぼくを苛んでいた自殺志向の考えを払拭し、「たとえひきこもりであっても生きていこう」という意思を持つようになった。その意思は彼女が与えてくれたのさ。

ぼそっと : すばらしいことだ。彼女とはその後もうまく行っているの。

アレッシオ   彼女は一時的にピエモンテ州に在住した家族の人だった。まもなく、彼女は家族とともに自分たちの出身地方へ戻ることになったのさ。それを知って、ぼくはもう穏やかではいられなくなった。

彼女は悲しがっていた。ぼくも彼女と別れることは悲しかったが、それ以上に彼女の苦しみがぼくから生じているものではないかと思えて、罪悪感でいっぱいになってしまった。そういう感情の混乱から、ぼくは情緒的に爆発して通常の生活が送れなくなった。それで精神病院に入院することになったのさ。

その間に彼女は故郷の街へ去っていき、ぼくは人生が空っぽになった。もう一日たりとも生きていけない、という感覚になったんだ。

つらかった。鬱になった。でも病棟で治療を受けているうちに、少しずつぼくは通常の感情を取り戻してきた。そして2週間後、ぼくは精神病院を退院して、彼女なしの人生を再建していくための模索を始めることになったのさ。

 

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ピエモンテ州の山村  Photo by ddzphoto

イタリアのひきこもりたちのための計画

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ヨーロッパ最後のサバンナ「バラッジャ」
とピエモンテ州から
見たアルプス山脈(背景)


ぼそっと : 今はどんな気分だい。

アレッシオ : 今はやる気に満ちているよ。相変わらず、ひきこもりだけどね。ひきこもりとしてできることがたくさんあるように感じている。

ぼそっと : 日本ではそれを「活動系ひきこもり」と言ったりするんだけど、どんな活動計画が君にあるのかな。

アレッシオ :  ぼくの頭のなかには、ひきこもりたちの人生を前に進める計画がたくさん詰まっている。それを実行していくことは、ぼくにとっても人生の目的となっている。

ぼそっと :  わかる、わかる。

アレッシオ :  最初に手がけたプロジェクトは「ひきポエム」というもので、ひきこもり状態ですごしている人たちの書いた詩や歌、記事などを集めていく企画だ。それについては、以前ひきポスでも書かせていただいたから、ここでは詳しく繰り返さない。関心のある人は、どうぞこのページを見て。

 

ぼそっと :  うん、以前読ませていただいたよ。

アレッシオ : 二番目のプロジェクトは、ぼくと同じここピエモンテ州のひきこもりであるアレッサンドロとエヴァとのコラボで作られたもので、HikiTo というんだ。ぼくはここでプロデューサーというか、彼らのアイデアを発生させる役割を負っている。

 

ぼそっと : ホームページを見せてもらったことがあるけど、なかなかカラフルなデザインだったね。

アレッシオ : とくに面白いのは、ひきこもりが4人から6人集まって、外の世界へのアプローチを試みる計画だ。まだ始まったばかりの段階で、やがてコロナ禍がおさまってイタリア国内が自由に行き来できるようになったら、もっと各地のひきこもりたちとこの計画について話し合えると思うよ。

ぼそっと : 早くコロナ禍が終わるといいね。他には。

アレッシオ : 孤独についてのドキュメンタリーに出演する。ぼくはそこでひきこもりについて語る予定。

それからぼくの家には大きな庭があるので、そこに環境に配慮した農場をつくる。ぼくの最終的な夢は、ひきこもりたちが環境にやさしい持続可能な生産をしながら一緒に暮らしていく共同体をつくることだ。

ぼくは、ひきこもりの状態で生活している人たちには、大きな共感を持っている。今後はボランティアとして、自分と同じ境遇にある人たちの話を掘り起こしてみたいと思っているよ。

ぼそっと : 大きな計画がいっぱいだな。「ひきこもり村をつくる」というのは、日本でも試みられているみたいだ。君たちの計画がうまく行くといいね。

アレッシオ : 日本で試みられているひきこもり村って、どんな感じ。

ぼそっと : 私が聞いたことあるのは、ある地方の深い山の中で、人口減少のため廃校になった小学校の校舎に共同で寝泊まりしながら、ひきこもりたちが一緒に暮らし、村の人々のお手伝いなどやって生計を立てている、というものだ。

日本では一般に家賃が高い。でも、そのような山奥なら家賃は要らないのに等しい。すると、収入が少ないひきこもりでも生きていける、という仕組みらしい。

アレッシオ :  なるほど。いろいろ対話してくれありがとう。ぼくにもためになったよ。今度はぼくたちがイタリアでやっているHikiToに来て、あなたのインタビューをさせてください。

ぼそっと : はい、楽しみにしているよ。そのときはどうぞお声がけください。

 

(了)

 

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